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エッセイ:レオナルド・ダ・ヴィンチ─天才の実像:東京国立博物館(2003年4月22日)

おそらく大抵の人は、他人が美術を鑑賞しに行っただけの日記などには興味がないだろうと思う。正直なところ、読み応えのある批評ならともかく私本人はそうだ。

しかし、今回は敢えてそれを取り上げてみようと思う。何故ならば、何気なく当時の日記(ブログ)を見ていたらこの写真を見かけたからだ。

レオナルド・ダ・ヴィンチの作品を見るべく「詰めてください」と言われながら並んだ長蛇の列。今の時勢では許されるべくもない風景。当然私もここに並んだ。

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まあ、そうは言うが、当時何を見て、何を思ったかは細かく覚えてなどいない。なので感想は、メモ程度に書いた当時の日記を転記する。

意気込んで見てきましたよ!
当然のことながら、中は写真撮影禁止なので(まあ当然)、チラシとか、並んでいる人とか撮ってみた(それって意味あるのか)。
って言うか日本語、「天才の実像」になってるけど、「WORK」だから「天才の業績」とか訳すべきでは?とか思ってました。
最初から分かっていたことですが、絵は受胎告知の一点だけだった。他の人は満足できたのかな。
私は、もともと模型とか、飛行機械とかが見たくて行っていたので、大満足だったのですが。
図録も買った。平和な一日だった。 

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この程度の日記ではあるが、これで記憶が想起される部分もある。

「最初から分かっていたことですが、絵は受胎告知の一点だけだった。他の人は満足できたのかな。」と書いているこの部分、実は当時でもこう書いた理由を、読んでいて思い出したのだ。

ダ・ヴィンチの飛行機械の模型を見ていた時だったと思う。

今では考えられないほど密着したすし詰め状態で、真後ろの(多分)ご夫婦の奥さんの方が、旦那さんに言っていた。

「ねえ、ダ・ヴィンチっていうけど、全然絵が無かったわね。モナリザとか来てないの?」

旦那さんがなんと答えたか、あるいは答えていないのかはもう記憶にないが、当時、それを聞いて、いやモナリザは門外不出だからとか、ダ・ヴィンチの業績は絵だけじゃないのだが、とか、それ以外にも非常に多くの事柄が一瞬にして脳裏を駆け巡ったのだった。

それを当時の感情のまま日記に書けば、全く仔細を知らぬ女性への中傷になりそうで、曖昧に暈した記載の中身も、十数年を経て明瞭に思い返すこともあるものだなと思った。

美術や芸術について、それらを先入観無くして鑑賞すること自体は非常に素晴らしい行為だ。

だが、やはり、美術のみならず、文学や映画にも、それに至るまでの文脈というのは存在し、ある程度の予備知識、まあ一般的には、教養と呼ばれるものがあれば、より楽しめる場合があるのだということは強く思う。

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