マガジンのカバー画像

原稿

91
ライターとしての成果物
運営しているクリエイター

2022年5月の記事一覧

#160 Ronald Haslam

 ロン・ハスラムがグランプリにフル参戦を開始したのは、1983年のことだ。「ロケット・ロン」…

#159 Christian Sarron

 1985年、ホッケンハイムで開催された西ドイツGPは雨にたたられていた。 レースはスペンサー…

#158 Raymond Roche

 その頃、フランスでは14歳になれば義務教育から解放されて働くことができ、同時にバイクにも…

#157 Randy Mamola

 ランディ・マモラは天才のひとりだ。19歳でグランプリデビューを飾ると、激戦を極める250cc…

#156 Michael Sydney Doohan

 ポールポジション獲得58回、表彰台に登ること95回、そのうち、優勝は54回。グランプリ通算13…

#155 Kevin James Schwantz

「転倒ばかりでイヤになった」  ケビン・シュワンツはこう言い残し、モトクロスライダーとし…

#154 Wayne Wesley Rainey

 1984年4月。世界グランプリの第2戦イタリアGPがミサノで開催されていた。ライダーの実力とマシンのポテンシャルが拮抗する250ccクラスは2秒強の中に36人のライダーがひしめきあう激戦になった。その19番グリッドにヤマハTZ250を並べたライダーがウェイン・レイニー、当時23歳。アメリカからやってきたルーキーの姿だった。  予選19位、初めてのコース、慣れないマシン、そして周りは百戦錬磨のヨーロピアンライダー達……。このレースで、レイニーの活躍を予想するのは難しかったは

#153 Wayne Michael Gardner

 1980年、ダッチTTと呼ばれる伝統のオランダGPを見るために、オーストラリアから一人の若者が…

#152 Eddie Ray Lawson

 世界グランプリの最高峰クラス、GP500で4度ものタイトルに輝いたエディ・ローソン。1984年…

#147 心の時代 ~自分で決める価値~

モノの価値は、それを使う本人の満足度に本質がある。というか、そこにしかない。にもかかわら…

#146 webCGのコラム

webCGでは、たまに時事ネタのようなものを書いているんですけどね。そこそこ時間をかけたレジ…

#145 マン島関連いろいろ

『ahead』最新号(2022年5月15日発売)は、幾人かが過去に書いたマン島関連記事の再編集版にな…

#144 アラフィフのバンバン

下記リンク先の原稿は2019年9月号の『ahead』より。この時のバンバンは一年後に手放し、もっと…

#140 15歳になった1986年に

無論、その時は気がついていなかったが、今の自分につながる、そのカケラのようなものができたのは1986年のことだ。15歳になろうとしていたその年に手にした、二冊の本がきっかけになった。 一冊は、中学3年生の夏休みに読んだ『マン島に死す』。そして、もう一冊は、同じ年の冬休みに手に入れた『クラブマン』だ。そのどちらにも最初から最後までバイクとレース、そしてアイリッシュ海にある小島「アイル・オブ・マン」の風景が散りばめられていた。 『マン島に死す』は、その直接的なタイトルの通り、