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種目変更~世界と戦うために~

指導者になってから、はや25年の月日が経ちました。

現在、陸上競技に関する様々な仕事をしていますが、究極の目標は、『世界の舞台で戦える選手を育てること』ここしばらく、そういった舞台からは遠ざかっていますが、日本一諦めが悪い指導者だと思っていますので(笑)、今は、臥薪嘗胆の毎日です。

昨晩も、ダイヤモンドリーグの映像を見ながら、どうしたら日本人選手が、世界で戦えるようになるのか、考えていました。

キーとなるのは、やはりタレントの発掘。過去、世界各地の大会で戦ってきましたが、能力の差、特にスピードベースの差をまざまざと見せつけられたせいか、スピードベースがある選手を発掘し、種目変更(トランスファー)させることに、注力しています。

800mで日本選手権を二連覇し、現在は、関東学院大学のコーチを務めている岸川朱里選手(※当時)を、スカウトした時にも、「将来的には、5000mで世界と戦う!」というビジョンを描いていました。

一番初めに、日体大の石井先生、岸川選手にお会いした際、上記のビジョンをお話しましたが、お二人とも、苦笑いをされていました。1500mまでは、考えられても、5000mまでは…と思ったのでしょうね。

傍から見ると、奇想天外な発想と思われる方がほとんどだと思いますが、岸川選手は、高校時代、800mでインターハイ2位という成績のいっぽうで、県高校駅伝では、1区(6km)を務め、難コースの丹沢湖で、21分そこそこで走っていました。ずっと追い続けていたからこそ、きちんと持久的なトレーニングを積めば、いけるという自信が、私にはあったわけです。

現役時代、5000mへの布石として、何回か「1500mをやってみない?」と諭しましたが、岸川選手は、800mへの思い入れや拘りが強く、頑なに走ろうとはしませんでした(苦笑)沖縄合宿の最終日、「800mに必要なトレーニングだから」と言い聞かせて、1200mをやった時、単独走&強風の中、1500m4分15秒くらいのペースで、すっと上がってきましたから、1500mのトレーニングをしっかり行えば、いい記録で走れたと思います。1500mを、一度も走らせることができなかったことは、心残りです…

同じような発想で、声をかけて下さったのが、永山忠幸監督@ワコールでした。800mで日本選手権連覇の直後、たくさんの方々がお祝いの言葉をかけて下さった中で、永山監督だけは、「ラストの200mがあれだけ失速したら、世界とは戦えない。このスピードを生かして、3000mSCをやらせた方がいい。3000mSCのノウハウは、上野君、持ってるでしょ」と、お声がけ頂きました。

常に、世界の最前線で戦ってこられた永山監督だからこそ、出てきた言葉。今でも、ずっと心に残っています。

新聞記事

この新聞記事は、3年前のものですが、非常に共感できる内容でした。

以前指導していた辰巳悦加選手(大阪世界陸上3000mSC日本代表)も800m・1500mからのトランスファー

1年目は800m
2年目は1500m
3年目は3000m・5000m

といった段階的な強化を行い、4年目に3000mSCに挑戦させ、開花しました。当初は、5000mで北京五輪を狙わせる計画でしたが、2月の千葉国際クロスカントリーでの丸太越えを見た時、直感的に「これはいける!」と確信し、トランスファーを促しました。

結果的に、この直感が当たり、その後の彼女の飛躍に繋がったわけですが、記事の本文にもあるように、トランスファーには、選手本人の意思が重要で、選手の気持ちを汲みながら、将来への道筋を描けるかが重要ですね。

現在は、400m55秒81、800m2分07秒47(日本選手権800m4位)の実績を持っている大宅楓選手【大東建託パートナーズ】を、3000mSCにトランスファー中。病気の影響や、長い距離への対応に苦労しながらも、一歩ずつ前に進んでいます。

大宅楓

以前の種目への未練を断ち切ることや、根気強く取り組む姿勢、所属企業の理解・バッグアップなども重要ですね。

大宅選手のトランスファーが成功した時、新たな世界への扉が開かれると信じて、引き続き頑張っていこうと思います!

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