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― 帯 ― 寛容と人間の尊厳について

ファッションブランドのVALENTINOが制作した自ブランドの宣伝写真が非難を浴びました。
結果、会社側の謝罪とともに画像は削除されていますが、その後も批判と非難に同調を示すネット上の世論は高まり続けています。

私はこの表現に対しまず全面的に肯定します。そしていま現在起きている流れについて重大な懸念を表明します。
擁護と肯定の旨をTwitterで発信して以降、非難と暴言が寄せられ続けていますが、そうした方々にこの文章が伝えようとするものが理解されるのは難しいものになっているかもしれません。

その理由も後に述べますが、この文章の結論としては寛容は人間性を保つための非常に貴重な財産であり、人々が自覚もなくそれを持てなくなっていく過程は人類の悲惨な出来事の再現を思わせるものであるということです。


様々な事柄が付随するものなので、それぞれ端的に述べていきたいと思います。


寛容さ

まず寛容は人に強いることはできません。自分で発揮できるかどうか、するかどうかです。

なぜ「寛容さ」を始めに持ち出したかというと、寛容の意義を理解し自ら示すには厳密な論理性を持つことが必要となるからです。

「アンとサリー課題」という有名な心理テストがあるのですが、有名ですので例として挙げたいと思います。心理的なものを図るものでなく単純な論理のクイズと思って考えてください。

・サリーとアンはぬいぐるみで遊んでいます。
・サリーはぬいぐるみをおもちゃ箱に入れて蓋をし、サリーは部屋を出ていきました。
・アンはその間おもちゃ箱からぬいぐるみを取り出して遊び、カゴの中にしまいました。
・戻ってきたサリーがぬいぐるみを取り出そうとした場合に最初に探すのはどこでしょう。


という問題です。
何が正解ですとかこの問題の意味についての解説はあえてしません。


寛容とは、相手の視点や信念の存在を想定し肯定的に許容する態度のことです。
歴史上でこの態度が大きく取り上げられるふたつのタイミングを提起します。
ひとつは哲学を含む多様性ある文化的発展が起きた頃、もう一つは弾圧の機運が高まった頃です。

それぞれの意味合いをざっくりまとめると、前者は他者の視点で見えているもの見えていないものがあるのを認め、それについて考える余地の大切さ認められた時代です。古代ギリシャで哲学が発達した頃やその成果が引き継がれた古代ローマ帝国の思想や名言の中にその要素が表れます(東洋哲学との比較は長くなるので省きます)。
重要なのは単に他者の見える見えないものを論理的に想定するというだけでなく、他者の判断や人生や創造性の存在を許容するという所にまで範囲が及ぶ考え方であるということです。
文化が発達する時代では、多くの市民が芸術や文学を楽しみ求めることから、他者の発想とその自由の大切さが暗黙の了解のように共有されていく傾向があります。

後者は、多くの市民の宗教や思想や自由な表現などに対する弾圧が起きた時代に、あるいは思想家の処刑が始まった頃などに「思い出せ」とでもいうかのような、悲鳴の如き提唱として散見されます。
悲惨な戦争や文化の抑圧の時代に差し掛かるあるいは真っ只中に多く見られます(宗教改革、フランス革命、第二次世界大戦など)


では海外の方にとって、日本人の「日本文化や服飾に対する態度」その背景は見えているものなのでしょうか。


海外の人にとって見え方は違う


 海外の人が日本の家に入った時、土足で上がるのは知らないからです。
 着物の左右のどちらを前にするか迷うのは、着方を知らないからです。
 アイムファインというのを不思議がったり笑う理由が分からなかったり「日本人は」で決めつける人がいるのも、全部知らないからです。

見え方が違うのです。同じ漫画でも他国のを見てタッチが違うと感じるのは、その国の漫画の捉え方を知らないからです。

しかし漫画も映画も服も建築方法も、お互い知らないのに共有できているのはなぜでしょうか。
それは過去の人々が、お互いが知らないことを理解する力である理性を働かせ積み重ねた努力があるからです。

「理性とは人間に共通して備わる性質である」という発想が人権のヒントとなり、感情があるのも物語を生み出すのもそれらを理解する知性も人権として人の尊厳であると定められたことから勇気も共有されていきました。
ここが近現代における世界中の人々同士の文化交流のきっかけとなりました。

日本の和製漢語や和洋折衷は海外の哲学や文化を取り入れてのことですね。
ジャポニズムも日本の芸術品や嗜好品が戦前は大変な規模で輸出されてたのも、海外の人々が受け入れたからですね。

人が他文化に触れた際に抱いた新鮮な感動や触発されて思い描いたイメージをその国の人がそのまま表す自由が認められていたことが、私達が今共有し楽しんでいる様々な文化の基礎を生み出す背景となりました。

そのことを普段は意識することなく、私達は今生きています。


想像の自由

私達は。
人間はと言った方がいいかもしれません、お互いを知らないから想像をします。
想像を基点に生み出される創作は国や民族などの枠組みを超える力を持つものです。
知らないからこそ想像し目にしたものを応用して作られる作品とは、国境や文化や民族の枠を超えて広まる力を持つ、人間の共通言語であるともいえます。

人権思想が広まって以降の西欧に広まった日本文化のブームジャポニズムも、印象派で有名な芸術的影響へ展開し、そして日本の画壇や文学へ影響を及ぼしました。エコーのように自由な感想の力が伝わったといえます。

日本人にすれば大正時代の洋装と和装の折衷の姿が思い起こされるかもしれません。逆に現代の日本人が当時の世相をモチーフに想像力を働かせて物語や音楽などを作ったりもしていますね。

この文化の動きは明治維新以降の産業革命による発展から後の話なのですが、人権を掲げる社会で経済の豊かさが市民に広まり始め、そして国という枠組みが引き起こす大戦争の前の、人々の中で生じた文化の成熟でした。


ちなみにジャポニズムのきっかけは海外に送られた陶器などの包み紙に使われた浮世絵がきっかけとされています。
皆さんは「ちり紙として使え」というでしょうか。
または「絵は絵、描かれているものを勝手に想像にまかせて使うな」というでしょうか。

想像の自由を許さない態度

それは次のようなことを引き起こします。
想像の自由の余地つまりアイデアを形にすることを許さない徹底的な非難を起こした後に、もし似たような事を日本人がした際は、その表現の文脈を読み取ることで許容される可能性を生じさせます。
非難していた人々はそれを目にしても心の中で起きている矛盾に気づかず、黙り込むかもしれません。

つまり日本人は許すが海外の人には許さないという事態が起こりえるということです。

この展開を問題と思う人思わない人その両方が生じると思いますが、では問題だとされる場面ではどこが問題となるのでしょうか。

徹底的な非難は、公平公正さの追求や文化を守るというテーマを人々が共有し、またそれを基調とした議論から生み出されるような結論ではありません。
また、非難を叫ぶ個人が他の人からも言い募られる無数の非難を眺めても、そこに「一方は良くて一方は悪い」という理屈が正当であると示すものはありません。
つまり非論理的な理屈を世論としてしまいかねないのが問題ということです。

帯に見えるもの(十中八九そうだとしても)を敷いて歩くこととは、人を監禁しただとか事実を示す記録を隠しただとか人を焼いてるというわけではありません。
文化の異なる人の発想で、何かを自国の伝統にそぐわない扱い方をしたとしても、伝統に反したというドメスティックな見方をするのではなく、まずアイデアそのものとして見るべきなのです。

なぜなら、それは私達の可能性だからです
可能性を踏みにじってはいけません。

今回のコマーシャルは演劇的表現ともいえますが、私達はついに、それらを許さない領域に踏み込んでいるのでしょうか。


理性と寛容による日本と西洋とのつながり


理性を基礎にした人権思想が広まって以降、衣服も絵画も美術品も学問も、無数の文化的交流が起きたことが事実であるのは言うまでもないでしょう。説明は時間もないので省きます。
大正時代の衣服についていえば震災がきっかけで機能性の高い洋服の需要が高まる面もありましたが、和洋折衷は鳶コートや袴とブーツのセットなどの新しい美術性が生じましたね。
文学や音楽などの芸術や娯楽性の高いものも伝え合い、食器や飲食品など生活に直結する様々な事物の世界的交流が起きました。
「理性という新たなものを捉える力は平等に備わる」という理念は尊厳の証明となり一人ひとりに勇気を与え、またその視点はパリ博覧会や世界規模で展開された平等の参政権運動と平和運動への動きにつながりました。
全てひとつながりなのです。

それを踏み潰した巨大な原因のひとつが、民族と文化というカテゴライズに基づくルールの押し付け、つまり不寛容でした。


戦争による断絶

人権理念は、市民一人一人に対しては学問に触れることや他国との文化交流を促しました。人はみな平等に理性を持ち働かせられるとしたからです。それは言い換えると、平等を認めてこなかった過去の時代が、自分と同じように心がある他の人を簡単に憎んだり決めつけたり、戦争などで殺害してきたのだと意識させる思想であったからともいえるでしょう。
しかし国の指導者層や国家規模の利益争いまた勢力争いの観点では、他国との交流も金を稼ぐため以上の価値を持ち得なかったのだといえます。

西欧の16世紀の宗教改革にさかのぼります。
分裂した教会それぞれが争いを続ける各国の権力の正当性を認めることになりました。それは信徒数の拡大と勢力拡大競争を同じ意味にしてしまう結果を生みました。
16世紀の出来事として鎖国が皆さんの印象に深いと思いますが、その時代のキリシタン迫害の悲劇と奴隷となって連れ去られた人々の存在から、整合性の付けづらい歴史という感覚を持っている人は多いのではないでしょうか。
これを西洋視点で見た場合、真剣に宗教を広めようとした宗教家と、その宗教が影響力を持ち始めた地域で奴隷集めや植民地支配を広げるというふたつの思惑が同時に存在したためです。
新大陸での悲惨な弾圧などに心を痛め、同じ人としての尊厳があると訴える人もいましたし、勢力拡大による際限なき戦争の連鎖を食い止めようと国際法のはしりとなる理念を提唱した人などもいました。しかし食い止める程の大きな力を持つことはできませんでした。

日本が鎖国をしている間その支配は世界中に広がりました。
しかし、際限なく戦争と戦争準備が続けられるかと思いきや、新大陸の弾圧に心を痛めた人や国際法について考えた人達がつむいだものは人権理念へと結びついていきました。
そこから権力者がひたすら戦争を繰り返し、その尻拭いで苦しませられ続ける人々が人々による国家を求めて起こす革命へとつながったのです。
革命が繰り返された後は、権力者層の勢力争い市民を基礎に成り立つ議会政治そのふたつの共存した状態となりました。
よって、この理念から世界中の人々は個人の単位では交流を深め文化と平和の運動を展開させるに至ったのですが、国家規模での利益争いが続いたことと国家間の条約は逆に戦争の連鎖を引き起こすものとなってしまい、また悲惨な戦争の時代へと突入しました。
人間の尊厳のひとつとされた学問の自由の追求とそこに積み立てられた科学的発見の正確さが、そのまま爆弾の威力へと転化されました。

戦争は人々の文化交流とそれによる経済活動を途切れさせました。
想像の自由を認め合う余地そのものである、人間の頭蓋骨そのものの壊し合いに至ったためです。


戦争の前段階では様々な国で、他国の文化を楽しんだり交流活動が断絶されました。他国の文化の否定や拒絶の世論が起きました。
各国の事情は様々です。ただ、ひとつ言えることがあります。

それは他文化他民族に対する厳正な態度を、自民族や文化そのものの話はしていないのに意思統一を図るためにこぞって人々が唱え始めたということです。

考えてみてください。他国の人と文化交流の土台となったのは同じ理性と心を持つ他者の発想を受け入れた寛容です。
文化の内容を具体的に伝えあった時代とは、その個人の想像の自由を認めあった時代と同義です。
しかし人が相争うために、国家民族自国の文化という枠組みでそれに反する人に対する他罰的な厳正さを求めた場面では、寛容や具体的な文化交流はあったのでしょうか。

なぜ他罰と不寛容がはびこるのか


今私達の間で和装文化は身近なものであるとは決して言えません。
古着が安いのは手に入れやすいという面で良いのですが、新品はここぞという時に買うものという認知が一般的であり、またデザインの流行り廃りが大規模に起きているわけでもありません。
この点はこのテーマに関してはどうでも良いことです。「お前らは文化を保っていないのに文句だけ吐き出すのか」といった文化の強要などもっての他だからです。

問題なのは文化自体の話題が盛り上がっている訳でもないのに「文化」が他罰的な言い募りの中で繰り返されることです。
その言論は非難に対する共感共感に基づく拡散が根幹です。
つまり実質的には、共有する仲間意識を確認するために「純粋な文化」を言い募る事態が起きていることを表しているということです。

それに積極的に参加している方々は、それまでの人生で見聞きした限りの文化に関する情報を根拠に、新しい文化に触れた他国の人のアイデアや斬新な感想を否定していることを一切顧みることがありません。
あるのは非難の言葉と指摘する自分は正しいという感覚です。

この状態が深刻化すると、非国民などのレッテル貼りや人間性の否定などにエスカレートします。
なぜなら、それは他者の視点があるという想定を排除しているからこそ盛り上がる非難であり、その非難を自説として正当化し続けるには非難の共有非難への共感があるかの確認を繰り返しが必要だからです。

「他者の観点」が存在する余地のないこの場面に、糾弾を行った責任を取ろうとする人はいません。
既に非難の対象となった人に自分の知らない視点があったかもしれないと想像する余地をかなぐり捨てています。


起きていた希望

他国の人が自国の文化を扱うということは、モチーフが自由に扱われることで日本人では考えつかないアイデアの生まれる可能性が生じていることを意味します。
それが生み出されれば日本人も参考にします。
このエコーには人間の希望があります。


今回の徹底的な批判と非難が意味するもの


これは日本風のモチーフの無音の排斥運動のきっかけになり得ます。
なぜなら、問題ではなかったものでも悪意なく創作活動をしている人にとって「激烈な怒りに抵触しかねないもの」と認識させまたレイシストと見なされかねないという恐怖を引き起こし、表現や発想そのものの回避を促すからです。
そしてその自己防衛行動は宣言の上で為されたりはしません。

これは文化の異なる人が抱いた発想とアイデアを、伝統性を用いて否定する人々がその非難とは別に間接的に引き起こす影響です。

私はそれを防ぐべく、寛容であるべきとここに訴えます。

それがエラスムス以来の、か細くも紡がれてきた人類の平和と文化の希望の糸であり、世界中のこれからを生きる人々の人生を彩るものになり得るからです。


追記

事を悪い方へと向かわせようとする人があまりにも多いので、不本意ながらに弁えるべき部分を以下の記事で解説しました。

裏であり真である「『帯』の擁護」の本当の意図|高橋しょうご

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