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本との出会い——『HHhH』の場合。

 この場合、厳密な意味では、翻訳家と原書との出会いというべきでしょう。でも、翻訳家と言っても様々なタイプの翻訳家が存在するし、ひとつひとつの翻訳作品の本になるまでの行程も違います。
 自分で本を見つけて——おもしろそうな本、売れそうな本、ずっと探していた本、尊敬する作家の新刊、あるいは再刊など、これもまた様々ですが——、出版社に売り込みをはかる場合もあれば、出版社からの依頼で本が送られてくる場合もあります。
 いわゆる駆け出しの若いころは、出版社から頼まれることはないので、自分で本を探してレジュメを書いて売り込んでいたものでした。で、無名の新人の場合、自前の企画が通ることは万に一つしかないと心得たほうがいいです。
 身も蓋もない言い方をすれば、編集者はあくまでも自分で選んだ本を出版したいので、他人の企画には厳しいのです。でも、万に一つとあえて誇張しましたが、無名の新人の企画が通る可能性、あるいは条件はそれなりにあります。でも、この話は長くなるので、別の機会に譲りましょう。

  『HHhH』の原書は、出版社から送られてきた。いつものことだが、読んでレジュメを書いてほしいという依頼。もちろん、いきなり送られてくることはない。電話なり、メールで打診があったうえで、こちらがOKすれば送られてくる。
 この本の場合、まずタイトルを見て、ギョッとした。『HHhH』なんて、まずなんのことやらわからない。アルファベットが並んでいるだけのタイトルなんて初めてだ。JFKとかCIAとか、あるいはKGBならともかく、聞いたことも見たこともない。
 原書の裏ページの、短い作品紹介文を読んでとりあえず日本語に置き換えることはできた。
「ヒムラーの頭脳はハイドリヒと呼ばれる」
 それでも、なんのことだか、さっぱりわからない。わかるのはナチスものだということくらい。フランスの若い作家——この処女作を上梓した当時、作者のローラン・ビネは三十七歳——が、ナチス高官の暗殺未遂事件を書いている。でも、これがノンフィクション作品だとしたら、一次資料はみなドイツ語で書かれているはずだ。この作家はドイツ語に堪能なのか? ドイツ語がたくさん出てきたらお手上げじゃないか。
 とにかく、読んでみるしかないだろう。
 というわけで、ページを繰りはじめた。
 すると冒頭の一行目から引き込まれた。
 「ガプチーク、それが彼の名、実在の人物だ」
 切れる。スパッと、脳みそに切り込んでくる。みずみずしい。ガプチークがなにじん・・・・で、正確にはどう発音するのかも、最初はわからなかった。でも、引き込まれた。さらに引き込まれる箇所が最初のページに出てきた。

 ミラン・クンデラは『笑いと忘却の書』のなかで、登場人物に名前をつけなければならないことが少し恥ずかしいとほのめかしている。とはいえ、彼の小説作品にはトマーシュだとかタミナだとかテレーザだとか命名された登場人物があふれ、そんな恥の意識などほとんど感じさせないし、そこにははっきりと自覚された直感がある。リアルな効果を狙う子供っぽい配慮から、もしくは最善の場合、ごく単純に便宜上であっても、でっち上げた人物にでっち上げた名前をつけることほど俗っぽいことがあるだろうか? 僕の考えでは、クンデラはもっと遠くまで行けたはずだ。そもそも、登場人物をでっち上げることほど俗っぽいことがあるだろうか?

  『笑いと忘却の書』が日本で刊行されたのは一九九二年のことだ(集英社刊)。その年、あの傑作『不滅』も刊行されている(同)。もう、夢中になって読んだ。帯には「ジョイス、プルーストで幕を開けた二十世紀の文学は、この小説で締めくくられる」と記されているが、はったりや誇張ではないと思った。それほどおもしろかった。
 最初にミラン・クンデラの作品を読んだのは、「集英社ギャラリー[世界の文学]12」に収められた『存在の耐えられない軽さ』だった。今、奥付けを調べてみると一九八九年の刊行になっている。
 ああ、そうか、八〇年代の終わりから九〇年代のはじめにかけて、自分はこの手の小説を夢中になって読んでいたんだな、と思う。
 そして、今も昔もこの手の小説が好きなのだ、と思い直す。
 つまりは「哲学小説」ということになるのだろうが、けっして重苦しく難解なものではなく、軽妙洒脱な作品。哲学と聞いて、重いと感じるのはカントやヘーゲルを思い出すからだろう。あるいは戦後フランスの実存主義とか構造主義とか。
 でも、われわれは現実のなかで、へどもど、あくせく、俗っぽく、くだらないことに頭を悩ませながら生きているのだ。そんなわれわれにだって哲学は必要だ。けれどそれは学校で習う小難しい「哲学」じゃない。
 生きている哲学。笑い飛ばす哲学。少し悲しい哲学。そんなもの。
 それがミラン・クンデラにはあった。
 そのクンデラに、この若きフランス人作家は噛み付いている。張り合おうとしている。その心意気、いいじゃないか!
 というわけで、そのまま一気に読み終えた。
 読み終えたときには、タイトルは『HHhH』しかないじゃないかという気分になっていた。
 そして、けっこう長い、気合いの入ったレジュメを書き上げて担当編集者に送った。
 同時に不安が襲ってきた。
 こんな風変わりな小説、いったい誰が読むんだ?

(つづく)

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