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無償で演奏しちゃいけないと音大生に言い続けてきた私がいま、無償で文章は書いちゃいけないと自分に言い聞かせている。
気がつけばいま下書きが76本もある。。。それはさておき、本題へ。
その前に、私のプロフィール。念の為。
名古屋大学法学部助手を経て、名古屋音楽大学教員。46歳准教授のとき学長に就任。音楽が専門でない音大学長として注目を浴びる。6年間の学長任期満了に伴い退任。2017年より札幌大谷大学の学長に就任。4年間の学長任期満了に伴い退任。
2010年から2021年まで足掛け12年にわたり、二つの私立大学(地方の小規模な芸術系の大学)で学長を務める。専門は政治学。1996年から2021年まで四半世紀にわたり、政治学者として「日本の音大」改革に取り組む。
2021年3月末にてセミリタイア。2023年卯年に還暦を迎える。現在、老後の不安を抱えつつも、札幌でのんびりと暮らしている。
2023年4月、noteをプラットフォームにオンラインサロンをはじめる。
無償で演奏しちゃいけないと音大生に言い続けてきた私がいま、無償で文章は書いちゃいけないと自分に言い聞かせている。
じつは、タイトルだけで言いたいことは尽きている。だが、それでは記事にならないので、少しだけ解説したい。
音大生は演奏ができる。
音大の教育内容も多様化したので、最近はそうでない音大生もいる。が、それもさておき。
学生だから無償で演奏するのが当然?
そのむかし、音大生に無償で演奏を依頼する人たちが世の中にはたくさんいた。20世紀も末の話である。
私が音大に勤めたのを知ると、「誰か演奏してくれる人いないかなぁ」と尋ねてくる人が大勢でてきた。
「たくさんいますよ」「お願いできるかなぁ」「もちろんです、でご予算は?」「え?お金いるの?」
とまあ、こんな感じであった。
音大生=学生=ひま=時間を持て余している=ただで演奏させてやる。。。こんな図式だったのだろうか。。。よくわからない。。
音大生が演奏の機会を与えられることはたいへん喜ばしいことである。できれば断りたくない。
だが、無償では絶対に私は引き受けなかった。せめて交通費と弁当代を出してもらうというところから始めるのが、当時はそれでも精一杯だった。それほど世の中に理解がなかったのだ。そもそもまったく予算を組んでいないというのだから仕方がない。
相手側には「プロならまだしもプロじゃないでしょ」という感覚もあったのかもしれない。お金出すならプロに頼むよとでも言いたげな感じの人もいた。
「だったらプロに頼んでください」
これが私の答えだった。
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