高地秀奉賛会

高地秀(たかちほ)厳瑞様より学んだ教えをひろく皆さまに知っていただきたい。 神々様の御…

高地秀奉賛会

高地秀(たかちほ)厳瑞様より学んだ教えをひろく皆さまに知っていただきたい。 神々様の御言葉、霊学、心、身魂磨き、改心の方法、鎮魂について

最近の記事

●神様とは

神様とは、分かり易く説明しますと、人間にとっての空気のような存在であるのです。 人は空気の事を当たり前のように意識もせず、恩恵も感じず当たり前の如く誰もが空気を呼吸していますが、それは空気が「見えず、聞こえず、無味無臭で、感触も無い」為に人間の五感では何も感じないだけですが、空気が無くなれば人は即死んでしまいます。 この空気も神の一部でありますが、人間の五感では神様の事を何も感じない為に、最も恩恵を頂いている神様の事を「最も蔑ろ」にしているのです。 全ての生物は、この世も霊

    • ●神縁について2

      自分の意志で実践で行動すれば、良くも悪くも必ずその流れや縁が出てきます。 また、縁とは自らの心の思想で繋がるものであり、心の善悪に応じその思想に同調するものに繋がります。 つまり霊的に想念(心)が感応する事で現世に現れて来るのです。 また、神縁とは神の導きによる縁の事を神縁と言います。 これは、その人にとって必要となる縁を与えてくださいます。 主にその人の学びや改心など救いの為に神はお手伝いをしてくださる縁になります。 厳瑞

      • ●神縁について1

        人は、目標や目的や希望も無く、また不幸や困難に遭遇した時に信念が無ければ心惑わされ自己逃避し道を誤ってしまう事にもなります。 物質的な過度の欲望がある場合は、同じような欲望を有する者との縁が出てきます。 しかし真の神を思い、心から世人の幸せを欲せば神の導きにより神縁が出てくるのです。 大切な事は人としての理(道)に従い、目標を定め維持、継続する事が行であります。やがてこれが信念となるのです。 厳瑞

        • ●神様について

          世界中には神道、仏教、キリスト、イスラムなど様々な宗教が御座いますが、元は全て同じ神様です。これを万教同根と言います。 ●2019年4月に神様よりお知らせがありました。 「万教同根を世に広め、神の愛を説く事が役目なり 人の文明ある所に、神は予言者を下し教えを説く 国々の生活や文化、風習、年代の違いにより思想が異なり、それに相応した教えあり、それが宗教である。各国、地域に合うべく教えがあるも、元は全て同じなり。」 皆様の思う神様とは、神社や宗教団体などで崇められている

          ●自愛の精神の霊魂(タマ)の状態「改心の理 8」

          四魂には経緯(厳・瑞)があり、「荒魂、和魂」の経(たて)の働きと、「奇魂、幸魂」の緯(よこ)の働きがあります。 また、四魂の経・緯にはそれぞれ内外(自他)の働きがあります。 ■経(厳)の御霊 ・荒魂 = 内 / 和魂 = 外  「荒魂」は、自らを奮い立たせ、自らを律して正しき事を勇猛果敢に貫く精神であり、自らに対する「内向き」の働き。 「和魂」は、世間や人に交わり親しみ「交流」する精神である「外向的」な働き。   ■緯(瑞)の御霊 ・奇魂 = 内 / 幸魂 = 外

          ●自愛の精神の霊魂(タマ)の状態「改心の理 8」

          ●自愛の精神の人の祈りは「改心の理 7」

          自愛の精神の人は、自身では心から神様を信じて正しい信仰をしているつもりでも神様や祖霊に祈りは通じないものです。 それは、自愛の精神の人が所属している霊界は「幽界か良くても中有界」であり、自愛(我)により自らの御霊を曇らせ神様からの内流を塞ぐ為なのです。 また、自愛の精神の人の祈りが神様や祖霊に通じないのは、神様が受け入れない訳では無く、自らが神様に背き横を向いている状態である為なのです。 これは、神棚を祀って、心から神を拝んでいるつもりでいても、神棚の中の御神体(御霊代

          ●自愛の精神の人の祈りは「改心の理 7」

          ●自己愛と我について「改心の理 6」

          自愛の精神の人とは、「自らの思いに自らが囚われ、愛情が自らに向かっている自己愛護」の状態の事であります。 また、我とは、「自らの思いが強い事」であり、自愛と自我が強い事とは異なるものなのです。 また、人間の心の事を小精神「小我」と言い、神様の御心の事を大精神「大我」と言います。 「我が強い」という事は一見悪い事のように思われておりますが、「真の我である大我(勇猛心)の強さ」が無ければ、様々な大変な困難を乗り越えて神様の御用を遂行する事は出来ないものです。 ※このような

          ●自己愛と我について「改心の理 6」

          ●自己愛のタイプ「改心の理 5」

          自愛の精神の人は、真心から人を思いやる事があまり出来ない閉鎖的な心でありますが、大きく分けて3つのタイプが御座います。 ■「A」 人の事が気が付かないので、人の事が思えない人 ■「B」 人の事が気が付く事が出来るにも関わらず、あえて人の事を見向       きしない人 ■「C」 人の事が気が付くが、人の事を思わない人 ●Aの人は、自らの思いや感覚のみに囚われて、人の事を考えようと思えないので人の気持ちを感じ取れない人です。 これは、幼い子供が他の人の気持ちを考えない

          ●自己愛のタイプ「改心の理 5」

          ●自己愛について「改心の理 4」

          自愛の精神を持つ人は、自らに対する愛護「自己愛護」の思いが強い人であります。 この自愛の精神の強い大半の人は、知識を求め、知識を得る事に興味を抱き、自らの記憶と知識に頼る人が多くおられます。 また、知識を苦手とする人は自らの「腕力」に頼る人が多く、その他に「財力」「地位」「名誉」「権力」等を自らの頼りとするものでありますが、この頼りとしているものは全て現世の物質的な外面である「外分」である事に気が付かなければなりません。 見分を広げ、知識を得る事はとても大切で良い事ではあ

          ●自己愛について「改心の理 4」

          ●自愛と自己愛について「改心の理 3」

          一般的に自愛とは「自分を大切にすること」や「自分の体に気をつけること」の意味で、人を思いやる言葉として「ご自愛ください」と使われておりますが、これは、一見、聞こえも品も良く、相手を思いやっているように思えるのですが、全く異なる本質を理解していない誤った言葉なのです。 自愛の本当の意味は、生物の有する「食べる事、疲労すれば休息の為に就寝し、子孫繁栄の為の性欲」など生命や身体を維持し、自らを発展、成長させる為の、生物的な本能であり無意識の自己保存の愛であります。 また、真の自

          ●自愛と自己愛について「改心の理 3」

          ●自己愛について「改心の理 2」

          自己愛を正す為には、自己愛が如何に醜く愚かであるかを徹底的に思い知る事が大切になります。 そして、自らが醜い自愛の精神から決別する決心をする事なのです。 また、自己愛の精神の者は、自らが自覚が無い為に知らぬうちに自愛の精神に囚われ浸っているものであります。 その為に、多くの方々に自愛の精神について理解して気が付いて頂く為に詳細にお伝え致します。 ※自愛と自己愛が異なるという人も居ますが、一般的に自愛とは、他者から 思いやる言葉として使われ「自分を大切にする事」の意味に思われ

          ●自己愛について「改心の理 2」

          ●内外一致・自己愛について「改心の理 1」

          心に思わぬものは言葉として出ないものであります。 心にも無き事、言葉に出すは偽りの言葉、これ「取繕い」と言い「自愛を内に秘める者」である、正すは大変に難しき事である。 心に悪ひそめ、善を語るは悪魔の言葉、これ「偽善」であり「自愛を内に秘める者」である、正すは大変に難しき事である。 自らの心を最も大事にし、他者を関知せぬは「自愛を内に秘める者」であり、正すは困難な事である。 他者の目や行為が常に気になり、自らと比較し優劣をはかるもの、これ心に自愛宿す者であり、正すは困難

          ●内外一致・自己愛について「改心の理 1」

          高地秀(たかちほ)での学

          この高地秀は、正しい真神(しんしん)と霊界を知り真の信仰を培い、霊学を学び、正しく健全な心身とする為に身魂を磨き実践する為の場であります。 神様には正神(正しい神)と邪神(悪い神)が存在しています。 神様とはどのような存在なのか。また霊界はどのようになっているのか?  人間の死後はどのような世界に行くのか? 霊現象とはどのようなものなのか? またどうしたら良いのか? 身魂磨きとはどうしたら良いのか?  様々な不安や心配事、心に囚われている怨みや怒りトラウマなどを取

          高地秀(たかちほ)での学

          高地秀(たかちほ)とは

          高地秀(たかちほ)とは、「最も高く秀でた地」という意味で「富士山」の事です。 厳瑞

          高地秀(たかちほ)とは