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●自愛の精神の霊魂(タマ)の状態「改心の理 8」

四魂には経緯(厳・瑞)があり、「荒魂、和魂」の経(たて)の働きと、「奇魂、幸魂」の緯(よこ)の働きがあります。

また、四魂の経・緯にはそれぞれ内外(自他)の働きがあります。


■経(厳)の御霊 ・荒魂 = 内 / 和魂 = 外 

  • 「荒魂」は、自らを奮い立たせ、自らを律して正しき事を勇猛果敢に貫く精神であり、自らに対する「内向き」の働き。

  • 「和魂」は、世間や人に交わり親しみ「交流」する精神である「外向的」な働き。


■緯(瑞)の御霊 ・奇魂 = 内 / 幸魂 = 外 

  • 「奇魂」は、智慧や証覚などの感覚が鋭く気が付き悟る精神であり、自らが覚り得る「内向き」の働き。

  • 「幸魂」は、人や世の中を育み発展させる神愛の精神であり、自分以外に施す「対外的」な働き。


このように四魂の経緯には、それぞれ内外の働きがあります。

※ 今まで、本田霊学や出口王仁三郎氏により四魂の働きについての解説が伝えられてきましたが「真の四魂の詳しい解説」については後日お伝えします。



●幸魂

幸魂の本質は「愛善」の精神であり、世も人も全ての万物を愛し創造し育み益々に栄え発展して行くという「大愛」の精神の働きであります。

また、幸魂は「他を気遣い、思いやり、労わり、自らの心が健全に幸い喜びに満たされ、その喜びを外部に割け与えて共に末長く幸わう」という「外向的」な真の本能である正欲を有しております。

神様や万人に敬意の念を抱き謙虚で礼節をわきまえ「畏れ入る」という心情(情)により正しい真愛の精神が保たれるのです。

しかし、これら幸魂の本来の働きに逆らい、自愛や世間愛の精神に囚われると、自らの事が大切で自らを愛し「自らの思いに自らが囚われる」ので、自分本位的な思想となり御魂は自らに対する内向的な働きへと逆転してしまいます。

※世間愛とは、世間に対する慈善活動や愛善活動の事ではなく、自らの所属している範囲や組織のみに対する愛情。

例えば、家族や、親しい友人、所属団体などのみ優遇し思いやるが、他は虐げて思いやる事をしない偏狭的な愛情

この時に、幸魂の正しい働きが逆転する為に、自らの思いのみに執着して他者の事を心から気遣い労わり思いやる事が出来なくなります。

その為、人に対する敬意の思いも薄れ、威張ったり、安易に人を見下し、驕り慢心するような事をします。

また、自分の思い通りにならないと嫉妬心や逆恨みをして根に持ったりする事になります。

このように幸魂の働きが逆転すると、対極である奇魂の働きも連鎖的に逆転する事になります。


●奇魂

奇魂には、正名(名を正す)という「物事の正邪を判断し美しい心とする」真の本能である正欲を有しております。

これは、自らが自らの思想(心)の正邪を判断し正しく律して保つ事が出来るという「内向的な」本能の働きでありますが、

自愛による私的感情の影響により奇魂の働きは逆転し、思想が偏り正邪(善悪)の判断が出来なくなる為に、私的な欲(私欲)へと変貌する事になります。

また、奇魂本来の「智慧証覚」(物事を事前に気が付き理解する)による「覚る」という心情(情)により正しい真智の精神が保たれていますが、自愛により「智慧証覚」が失われ、内向的に自らが覚る事が出来なくなります。

このように自愛による自分本位な思想によって「覚る事」(気が付き理解する事)が出来なくなる為に、

他者の考えや相手の気持ちを感じ取れず理解も出来ない、また理解をしようとも思わなくなり、

会話や行動においても、適切な流れや状況を読めず(覚れず)に、的外れ(狂った)な言動をしたりします。

また、咄嗟の時などの機転や応用が出来ないが、人に対して嘘や誤魔化したりなどの悪知恵はとても良く働くものです。

※これは御魂の働きがされずに「頭脳の働きを主とする為」であります。

このように奇魂の働きが逆転し、御魂本来の智慧証覚が働かない為に、外分である頭脳による記憶や知識を多く求めて頼り重きを置くようになります。

また、深くまで本質を把握し理解しようとは思わずに、表面的な知識や理屈のみを求める為に、頭脳での記憶のみにとどまり何事も安易に捉えがちになります。

これにより、自らの知識を外向的に他者に知らしめようと「知っている知識を人に自慢する事」を無意識で行ったりします。

これが「名声、名誉」を求める私欲となるのです。

また、これにより他の「荒魂・和魂」にも悪影響を及ぼし正常に働かなくなります。


●和魂

和魂は、世や人など自分以外の思想などにふれあい親しみ交わって、豊富な経験をして多くを学び見聞を広げて、自らの心をより大きく感性豊かに富むという真の本能である正欲を有しております。

※書物やネットなどにて「見聞を広げる行為」の事も含む

また、和魂は世間や人に対して、心穏やかに交わり親しみ交流する「外向的」な働きであり、

人に迷惑をかけて傷つけたり気に障るような事のないように、「事前に」他者を思いやり、自らの言動に注意して接するという和合の精神の働きであります。

しかし、自愛の精神により和魂の働きは逆転し「内向的」な働きとなり、

他(外部)との交流を閉ざし、たとえ人の輪の中に居ても心開かずに孤立しており、自らの感情を押し殺し話を合わせる等、

本音の交流ではなく建前での偽りの取繕いの交流や、他と接する事をなるべく避ける事を好むようになります。

また、我の思い(我)が強くなり他者の気持ちを顧みずに、後先も考えず思い付きで和を乱すような自らを抑制できずに思ったままの悪言・悪行(我がまま)などの言動を行ったりしますが、この悪しき言動を自らが正当化するような事をします。

さらに、心の豊かさを求めずに、心が貧しく孤独で頼れるものが無い為に物質的な財産(富、物質的な価値のある物)を欲し求める事になります。



●荒魂

荒魂は、誠の為に自らに厳しく、どんなに辛く苦しく大変でも、弱き心を断ち切り自らに負けず妥協しない、

また、たとえ困難であっても自らを奮い立たせて恐れずに進み勉めて、目的を成し遂げ果たすという勇猛果敢に意志を決意、決断する「内向的な」精神の働きであり、

誠心誠意の心を本位(判断の基準)とする真の正欲を有しております。

しかし、自愛の精神により荒魂の働きは逆転し「外向的」な働きとなり

自らの思い付きの感情に囚われて言動に責任や恥じらいを感じない為に、

腕力や地位権力を求め、他者と比較し人よりも優位になる事を好む為に人と競い争う事を好み、

直ぐに口論や暴言暴力を振るう等の行為をして、自らの力(腕力、権力)を誇示するなどの優越感を求める事をします。

自らに従順な者に対しては危害を加える事は余り無いが、反発や逆らう者、意見を言う者には敵対視するものです。

このように、自愛の精神(自我)により、自らを冷静に厳しく省みる事が出来なくなり、

霊魂本来の働きに「自らが逆らう為に霊魂の働きが逆転」してしまい自らの霊魂を穢す事になります。

この状態の事を「曲霊(まがつひ)」と言うのです。

これまでは、本田霊学において直霊が悪しくなると曲霊になるとされてきましたが、「直霊」は、神より分け与えられた主神のご分霊であり、自愛の精神によりどんなに霊魂が穢れようとも直霊自体は曲霊にはならずに、極わずかにしか働かない、あるいは働きが出ない休止状態となるのです。

つまり、曲霊とは本来の正しい霊魂の活動に逆らい穢している、「自身そのもの」であるのです。

※これが幽界に御霊が所属していても「救済の為」蜘蛛の糸程に繋がっているという事なのです。

厳瑞


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