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●自愛の精神の人の祈りは「改心の理 7」

自愛の精神の人は、自身では心から神様を信じて正しい信仰をしているつもりでも神様や祖霊に祈りは通じないものです。

それは、自愛の精神の人が所属している霊界は「幽界か良くても中有界」であり、自愛(我)により自らの御霊を曇らせ神様からの内流を塞ぐ為なのです。

また、自愛の精神の人の祈りが神様や祖霊に通じないのは、神様が受け入れない訳では無く、自らが神様に背き横を向いている状態である為なのです。

これは、神棚を祀って、心から神を拝んでいるつもりでいても、神棚の中の御神体(御霊代)は自らを祀って拝んでいるような状態であり、この事に気が付かず無意識で行っているのです。

この事を「心の中心に神様では無く、自らが座っている」とお伝えしたのです。

このような事から、自らが自愛の精神に囚われて居るのに、幽界や中有界に居る祖霊を救済する事は出来ないのです。

また、自愛の精神の人は神様や他の人を立てて敬う事が出来ずに「自らを立てる、立とうとする」のです。

これが「我」なのです。

このように自愛の精神の人は「自らを立てて、神や人を立てる事が出来ない」精神なので、

神々様の恩恵も、人の真心の行為も当たり前の如く捉え「心から有難いとは思えない」ので、真の感謝の思いが出ない、または浅く薄い上辺のみの感謝しか出ないのです。

また、身内や近親者以外の他の人の事はあまり「関知しない、興味がない、気にならない、思えない」という「薄情な精神」なので、想い入れのある祖霊のみの祈りで、その他の全ての祖霊にも通じる事が無いのです。


●成仏していない祖霊に対する祈りとは
自らが真の神様を心から信じて崇敬し、その真心が神様に相通じる事により神様の愛善の力が御働きになり、全ての祖霊の御霊を救済する事が出来るのです。

全てが、自らを超えた神様の御働きによるものであり、子孫はそのお手伝いをさせて頂く為に、神様に心を合わせて只々真心を込めて純粋な気持ちで祈りをさせて頂く事だけなのです。

この事を真に理解すれば、自愛による「我」の入る隙も、「我」が中心となる事も無く、只々真の感謝の思いがあるのみなのです。

また、自愛の精神であってもその度合いにより、神様や祖霊の祈りが通じ難いが多少は通じる人も居ります。

それは、「自己愛のタイプ「改心の理 5」」でお伝えしました「A」の人で、かつ信仰心があり心が素直で真面目な人は通じ難いが多少は通じる事が出来ます。

あと、自愛の精神ではないが、神様を信じない「無信仰の人、神様以外(邪神、悪魔、動物、低級霊など)を崇拝している人」は当然、真の神様には通じる事は無いのです。

自愛の精神の人や真の信仰でない人は、「困った時や自分の都合の良い時に神様に頼り願う」などの自分本位な御利益信仰を行うものですが、神様はどのような人や全ての生物に対しても、求めずとも何時でも絶えることなく常に御加護をお与えくださっておられるのです。

この事を深く理解されていない為に、神様を軽んじ、安易に願掛けをしたり、粗末に不敬な事を平気で出来るのです。

※ 様々な御利益のある神社やパワースポットなどを巡り、幸運、力、願いなどの御利益を求める人が多く居られますが、

例え、御神霊の御働きの強い神社で参拝されても、自らが相応しき正しい思想と御心(御霊)でなければ、目の前に大神様がおられても全く通じないものであります。

むしろ邪な思想の願掛けにより、目の前の大神様ではなく、恐ろしい事に他の妖魅霊や動物などの低級霊と通じてしまう事となり、過度の欲の願いにより神社を穢す事になりますので気を付けなければなりません。

自らの正しい真の信仰と思想を培い、御霊を磨く事で、何処に居ようとも真の神様の御力が注がれ発揮される事になるのです。

つまり、神様に通じるためには、神様を外に求めるのではなく、自らの信仰心を深めて内なる心を正し磨く事が最も大切な事なのです。

 

厳瑞


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