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改心の理 1「内外一致・自愛について」

修正2024/9/26

自愛を正す為には、自愛とはどういうものなのか、また自愛が如何に醜く愚かであるかを徹底的に知る事が大切になります。
そして、自らが醜い自愛の精神から決別する決心をする事が必要となります。

まず、自愛の精神の人は自らが自愛の精神を有している事を「知らずに気付かない」為に、知らぬ間に自愛の精神に囚われ浸っているものです。

その為に、これから多くの方々に自愛の精神について理解して頂く為に詳細にお伝えさせて頂きます。


■ 自愛の精神の人は

自愛の精神の人の特徴として、他人の事はどうでもよくて、自らが大事で、自らが可愛いく、自らの思いや我欲などで心を満たし、自分の思いをとても大切に大事にしていますが、このような事を「自己愛、自己中心的、自分本位」または「動物身魂」と言うのです。

自らを思う小さい心により、我の思いで満たされ、それにより心は塞がれるので他者の事を心から真剣に思いやり気遣いをする事が出来なくなるのです。

このように自らの事のみで、他者の事を思いやるという心の隙間も余裕も無い状態の人の事を「心が狭い」、「心狭き者」と言うのです。

また、このような人を「(心の)中心に我が居座る」と言い、人間としての根本の本質である善なる御霊の働きがなされていない人の事になります。

この自愛の精神の人は、自分が自愛であるとは気が付かないものです。

それは、自愛の人は常に自分を擁護し防御している心なので、自分の事とは思わない、思えないので気が付かないのです。

また、自らを何よりも大切にし防衛している為に、他者から直接指摘されると「腹を立て、絶対に許せずに反発していつまでも根に持つ」ものです。

他者を真剣に心から愛し思いやるという心の余裕が無い事が、いかに「小さく、心狭く、惨めで、愚かで、恥ずかしい行為」であると気が付く事が必要なのです。

一刻も早く、小さく狭く塞がれた自らの心の中心から「小さき我」(自愛)の精神を追い出して【中心に神様を据えて、心に愛善と真信(誠)を満たす事 】が神示で言われている﹅(ホチ)を入れるという事なのです。

■ 内外(心と言動)の現れ

  • 心に思わないものは言葉としては出ないものです。 

  • 心にも無き事、言葉に出すは偽りの言葉、これを「取繕い」と言い「自愛を内に秘める人」であり、正すのは大変に難しい事であります。

  • 心に悪ひそめ、善を語るは悪魔の言葉、これは「偽善」であり「自愛を内に秘める人」であり、これも正すのは大変に難しい事であります。 

  • 自らの心を最も大事にし、他者を関知しない人は「自愛を内に秘める人」であり、正すのは困難な事であります。 

  • 他者の目や行為が常に気になり自らと比較し優劣をはかる人、これは心に自愛を宿す人であり、正すのは困難な事であります。

  • 安易に自負心を抱き、驕り、慢心する人 このような人は心に自愛を宿す者であり、正すのは困難な事であります。

  • 自らの心を最も大事にし、他者は関知せずも人目を気にして、他者を思いやる素振りする人は、自愛を外に現わす者であり、正すのは大変に困難であります。

  • 心に悪をひそめ、悪を語るは、これ正直者であり、心の悪を正せば御霊は磨かれる。 

  • 心正しく思い、真を言葉として素直に出す事、これ偽りの無き現れであり御霊は磨かれる。 

  • 心に愛善を満たし、愛善を語り誠を表す事、これが真の惟神の精神の人であります。


★ 自愛を正す方法

  1. 自愛の精神の人は、心と言動を 内外一致させるように意識する事。

  2. さらに、自らが進んで 真剣に 心から他者の事を 【気にかけ、深く思いやり、労り、気遣う】ように意識して行う事。

これにより自らの自愛の精神を愛善の精神に変革する事に努めるようにします。

※これは自らの自愛を治す為なのですが、隣人に対する真の愛を培う事が自愛と決別する事になるのです。

自愛を治す為に他者を思うのではなく、他者を心から思う事で自愛の精神が無くなるのです。

これは同じ事のように思えますが全く異なる事であり、前者では自愛は無くならないのです。

自らの、本心「内面」と、言動「外面」を正直に内外一致させる事が御霊を正す為の準備であり、内外一致した上で心を正し、愛善の心を宿す事が真の身魂磨きとなるのです。

●神示(147)(226)(830)(837)では、例え方便であっても
「これまでは方便と申して逃げられたが、も早逃げること出来ないぞ、方便の人々早う心洗ひて呉れよ、方便の世は済みたのざぞ」とあるように真の心のみの世となるのです。

このように日常の他の人との会話においても裏表なき正直な思いを素直に言葉や行動として出す事からなのです。

それにより他者から指摘されたり自らが気が付いたのなら、言動ではなく「元の心」から正せば良いのです。
そうすれば自然と言葉も行動も良くなり善人となって行くのです。

この練習として最も良い方法が和歌になります。
歌により、自らの心に向き合い、自らの心を知り、自らの心を改め修正し、自らの心を高め磨くものとなるのです。

なによりも
いともいやしく
おそろしき
じあいとがよく
おろかなこころ

何よりも
最も卑しく
恐ろしき
自愛と我欲
愚かな御心

★何よりも、最も卑しく恐ろしきは「自らの自愛と我欲」となります。
心を我の思いで満たし、心に他者の事が入る余地の無き者にて、
自らを曇らせ、自らを穢し、自らを滅す、心貧しき哀れで愚かな者なり
他者を憎むでなく「自らの自愛を強く憎み恥じて」自愛を追い出す事なのです。
 
 
厳瑞


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