昨日、友人とお茶の約束をしていた。 が、出掛けるまでに少し時間があったので、母に電話をした。 すると、最初から不機嫌で怒りをぶつけてきた。 「お前は冷たい」 とのこと。 続いて、同居している兄に対する悪口が止まらない。 まあ、私への非難も愚痴も悪口もいつものことなので、 途中で音を切って聞かないようにしたり、 「今日は天気が良くて良かったね」とか 「検査の結果良かったみたいじゃない、良かったね」とか 話を逸らしたりしてやり過ごしていたが、あまりに長々と終わらないので 反論
あなたの願いは何ですか? 海外旅行に行きたい? 良い車を手に入れたい? きれいな服、高価な服を着たい? 美しくなりたい? 健康になりたい? 色々な願いがあるでしょう。 そのあなたの願いが叶った時、どんな気分になると思いますか? 幸せな気持ち? ワクワク楽しい気持ち? 自信に満ちている? 安心感? その気持ちがあなたの本当に望んでいるものです。 私たちは、その気持ちを感じたいから、様々な表面的な願いを持っているのです。 海外旅行に行きたいという願いが叶えられたとして、 海外
もう疲れた… 考えるの、悩むの、もう疲れた。 「こうなったらどうしよう」 「ああ言われたら、どう返そう」 「もしも、こんなことになったらどうしたら良いか」 起こってもいないことを想像して、先回って「どうしよう」って 悩むの疲れた。 もうどうなろうと構わない! 宇宙に全て任せて、何も考えない! 私が生まれる前に決めてきたことをやります! 宇宙さん、連れて行って! と決めた。 生まれる前に決めてきたこと、なんだったか覚えてないけど。。 それをやれたら生まれてきた意味があるん
私、もっと出来たんじゃないかな? そう、思ってしまった。 私の人生。 もっと頑張れた。 もっと達成出来たこと、出来たはずのこと、もっとあったんじゃないかな? 今の生活、満足してる。 そこそこ幸せだって、思ってた。 いや、思ってる、今だって。 でも、後悔してる…のかも。 頑張るの、止めたよね。 子供の頃はもっと夢があった。 でも、今は特にない。 これが楽しいし、これをもっと拡げていけば良いのかもって思うけど。 でも、それで良いのか? そんなレベルで満足できるのか? そう思って
今日、私は自転車に轢かれそうになりましたが、数cmの差で無事でした。 あと数cm出ていたら、自転車に轢かれて大変な事態になっていました。 ラッキーだった、と思いました。 でも、全く轢かれそうにならずに普通に何事もなく出かけて帰宅できていたら、もっとラッキーだったのでは? とも思いました。 しかし、何事もなかった時に人は「ラッキー」だったと思うでしょうか? 何事も起きないのは、本当はとてもラッキーで幸せなことなのではないでしょうか? 無事に毎日朝目が覚めて、何事もなく夜眠るこ
毒親育ちなどで、子供の頃に充分に愛された実感のないまま大人になってしまうと、周りの人への信頼感の欠如や、自分自身を大切にできない、などの問題が起きる場合も多い。 そんな時は、大人になってからでもできるワークが助けになる。 親に対して悪い感情を持ってはいけない、 こんなことを考える自分はなんて親不孝なんだ! という自分責めや罪悪感を持ち、そんな気分にさせる親に対してさらに腹が立ち、憎悪を感じる、という悪循環が生じる場合。 優等生タイプの人にこの現象は多いようだ。 子供から大人
前略 お母さん お母さん、私、生まれ変わりたいので、思っていることを伝えます。 私は、お母さんに感謝しています。 生んでくれて、育ててくれて、本当にありがとうございました。 愛しています。 お母さんは、私のこと愛してくれていますか? 子供の頃は可愛がってくれたように思います。 でも、これは仕方のないことなのかもしれないけれど、お母さん自身のために私のことを利用しようとしているように、成長するにつれて思われます。 母親は娘を自分の所有物として見てしまうものなのか
波動を高くして幸せに過ごしている時に、突然トラブルがやって来ることがある。 これは、いわゆる引き寄せの法則のお試しと言われるものだ。 とても幸せに毎日過ごしていて、気分が良い時に限って、 親から電話がかかってくるとか。 そして、サンドバック扱いされてどん底の気分に突き落とされるとか。 その後、眠れなくなるし、気分を立て直すのに何日かかかってしまう。 これをどうにかできないか? どうしたらいいのか? と、調べてみると、分かりやすく、腑に落ちる、 だがショックな内容に行き当たっ
私の親はいわゆる毒親というヤツの可能性がある。 可能性がある、と書いたのは、もっと誰がどう見ても毒親とか虐待だよな、という程ではないと思うからだ。 子供の頃から、殴られたり蹴られたり、食事を与えられなかったり、無視されたりした、ということはない。 ただ、私が親だったら、子供に対してとても言えないような言葉を子供の頃から浴びせられて生きてきた。 「のろま」 「全くしょうがない」 「ドジ」 「恥ずかしくて人に紹介できない」 「お前に何があるの?何もないじゃない」 「役立たず」 e
巷で溢れている、スピリチュアル系ハウツー本。 色々、読み、読んでいるうちに全て同じことを言っているのではないか? と思った。 ポジティブになろう。 ネガティブはいけない。 はたまた、常に平常心でいなさい。 全ては無である。空である。 ネガティブも否定するな。 自動思考で反射的に反応しているだけだ。 私たちは機械だ。 人生脚本は既に書き上がっている。 人間は宇宙人に操られている人形に過ぎない。 これらは相反している思想のように思われるかもしれないが、全て共通した真理であり、