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毒母が呆けた話

昨日、毒母の暮らす兄の家に行って来た。
お盆には行けないので、父のお墓の掃除とお参りをして、母の家に行こうとしたら、断られたのは前回のnoteに書いたのだが。

その次の日の朝、母から電話が。
出るといきなり
「何してるの」
「いや、洗濯してるけど…」
「洗濯!?洗濯なんか毎日してるの!?」
「…休みの日だから」
それからも兄は出かけたとか、兄は大変だ、とかなんだかんだ一方的に延々と話してくる。

私は朝ごはんも食べていなかったので、
「お話したいだけなんだったら、私まだご飯食べてないから、ご飯食べてからまたかけるね」
と言った。
途中で母の電話を自分から切れるようになったのは最近のこと。

なんでまだご飯食べてないんだと責めてくる母に、とりあえずまたかけるからと電話を切った。
その後朝食を取って洗濯をしながら、このままだと夏季休暇が母に潰される。
それならば、明日母の家に行って済ませてしまった方が良いと思った。

で、翌日、母のところに出掛けた。
昼前に着いたので、母の家の近くのファミレスに行った。
ファミレスのドアの前で、
「開けろ」
と命令。
何様?と思いながら、ドアを開け、中に入り、着席、注文。
「何か飲みたい」
とのたまう母。
「うん、注文するからね。ご飯は何にする?」
と母には紙のメニューを渡しつつ、私はタブレットを見ながら
自分の注文を考える。
内心、一昨日の私が吠えたことは何も響いていなかったのかな?
とガッカリ。

注文を済ませ、ドリンクバーに行き、母の分も取って来て、話し始める。
途中、注文したお昼ご飯を食べながら話をする。
と言っても母の一方的な話。
母は相変わらず人と私の悪口と嫌味ばかり。
あと、以前から何度も言っている
「呆けたら施設に入れてね。お兄ちゃんは入れないって言うだろうけど」

「早くお父さんのところに逝きたい」

そして、今日何度目かの
「私も年なんだから、もっとちょくちょく来て色々面倒見てくれなきゃ
 ダメだよ。1時間ちょっとで来られるところに住んでるんだから」

もう疲れた。何度聞き流してても終わらないし。

「無理だよ。1時間っていうのは電車に乗っている時間ね。
 あと私の家から 駅までと、ここの駅からお母さんの家までの時間で
 30分。それで往復で2倍になるから3時間。それに出かける支度とか
 お土産買う時間もあるから、プラス1時間。合計で4時間かかるんだよ。
 それで、ちょくちょくってどれくらいの頻度を考えてるの?お母さんは」
「土日休みなんだし、仕事してるって言ったって夕方には帰るんでしょ。
 暇でしょうよ。子供いる訳でもないんだから」

暇じゃないよ!

「夕方っていうか6時まで仕事。
 で、仕事から帰ったら、ご飯支度するでしょ。土日は洗濯掃除もあるし。
 自分の家のことしないで、お母さんの洗濯掃除するの?
 私の体を休める時間は?
 お母さん、私のこと冷たいって言うけど、お母さんも冷たいよ。
 私の体のこととか全く考えてくれてないじゃない」
「じゃあ、私の面倒は全く見る気がないってこと?」
「どうして、私に面倒見させたいの?お兄ちゃんじゃダメなの?
 お義姉さんは?」
「お兄ちゃんはもう他のことで大変だから。
 〇子さんなんて、嫌だ。
 お前なら気を遣わなくて済むから」

キレた。でも今回は冷静にキレた。もういい。もういらない。

「無理だよ、私は。可哀そうだけど、この際ちゃんと言っておくよ。
 私には無理」
「そう!じゃあ、もういないものとして考えるから!
 いても意味ないからね」
「最近の親って子供には面倒かけたくないとかって皆言ってるのにね。
 お母さんにとっては、面倒みてくれないと意味ないんだね」
「もういい。分かった。それならそれで私も考えないとね」
暗に遺産はやらないとほのめかしてくるが、そんなことはどうでも良い。
母は口をへの字にして無言になった。
昔から、怒るとダンマリ。何か月も口をきいてくれない時もあった。

兄にLINEを送った。
『お母さんに将来面倒みれないっていったら怒っちゃった。
 私、帰った方が良いかも』
『とりあえず迎えに行きます』
車で迎えに来てくれるという兄を待ちなが会計を済ませ、
着いた車に乗った。
母は私を無視して、入口側の座席に座ったので、私は苦笑しながら
母を跨いで隣の席に着席。
兄とはにこやかに話す母。
家に着いて、母が家に入ってから兄が
「お母さん、最近すぐに忘れちゃうから1時間くらいで忘れると思うよ」
「え!?流石にこれは忘れないんじゃ」

母は先日、初期のアルツハイマー型認知症と診断されている。
人の話を聞かないので人の話が入ってこず、何度も同じことを聞いてくるのは昔からだったので、気付くのが遅れたと思う。
そして、先程のファミレスも電話での会話も、以前と全く変わっておらず、昔からあんな感じなので、正直私には母が認知症というのは誤診なのでは?くらいの気持ちがあった。

その後、私はできるだけ大人しくして、会話も最小限にして目立たないようにしていたところ、4時間後くらいにはお昼の話はなかったように、
「私が呆けたら施設に入れてね」
と私に言ってきたので、
『本当に忘れちゃうんだ!』
と驚き、母が認知症であると実感し、そして、これで初期なの?と思った。

一昨日と今日、母に思っていることをハッキリ言えて良かったと思う。
これ以上、呆けてから言っても反応がないと思われるし、記憶が全くない人というのは、それはもう別人なのではないだろうか?というテーマの小説を読んだばかりだった。
これまで、母に遠慮して言えなかったことをこのタイミングで言えたのは良かったと思うし、こんなに忘れられるものなら、もっと言いたいことを言っても良いのでは?と思ったりもしている。(酷いかな?ごめんなさい)

そして、これで自由になれた気がした。
もう母は怖くない。
嫌なものは嫌と言える。
最近ようやく、母に思っていることを少しだけど言えるようになってきた
ところで、認知症という診断がくだった。
だから認知症だから「嫌と言える」ようになった訳ではないけれども、言い易さは上がった。
それは、認知症の母に力がないと思うからか?
言っても深い傷を付ける恐れがないからか?
深い傷を付けると罪悪感がキツイから?

あと、酷い話だが、母の電話にはもう出なくて良いのでは?
と思ってしまった。
忘れるのであれば、私が電話に出なかったこと、自分が電話をしたことも忘れてしまう可能性が高いから。
だから、次に話した時に怒られなくて済むかな?と。
自分のタイミングで電話をすれば良いとすると、開放感を感じ自由になれたと思った。

このお話を読んで、もし気を悪くされたり傷付く方がいたら
申し訳ないです。
良いご両親に恵まれているのだろうと思います。
こんな考えの人もいるんだなー、私には関係ない話だなーとスルーしていただければと思います。


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