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毒母に吠えた話~ライオンズゲートだけに~

「毒母からの解放宣言」などと言っておりましたが、やはりまだ完全に解放とはいっていませんでした。

でも、電話の回数も減らせたし、向こうの機嫌がそんなに悪くなかったこともあり、特にトラブルもなく数か月過ごせていました。
その間、自分のやりたいことを出来ていて、自分の人生を生き始めている感じで心地好かったのですが。。。

お盆がやってきてしまいました。
ウチの場合は8月13日から16日なのですが。
お盆とお正月は実家に帰るのが当然で、帰らないなど有りえないと母が特に思い込んでいる行事です。
私としては、せっかく母から自由になってきているのに、やっぱり帰らないという選択肢は本当にないのだろうか?
ここで、お盆に実家に行かないという宣言をするというのは
無理なのだろうか?
と、思い悩んでいましたが、母も兄も、当然帰って来ると思っており。。。

本当は私の仕事は10日から18日まで完全にお休みなのですが、実家には「お盆休みは特にないし、今年のお盆は全て平日だし。。。」
などとLINEしつつ、なんとなく様子を伺っていたのですが。

今朝(10日)、目が覚めて急に「お墓参りに行き、その後実家に行けば、そんなに長居せずにお盆に実家に行ったことにできるのでは?」
と思いつきました。

で、まずお墓参りに向かい、その道中、母に
「これからお墓に行って掃除しようと思うんだけど…」
「ああ、良いじゃない」
「その後、そっちに行こうと思うんだけど…」
「良いけど、お盆はお盆で来ないとダメだよ。みんなでお墓参りに行って、家に泊まっていかないと」
と言われてしまい、それでは今日実家に行く理由が私にはありません。
「だけど、仕事はお盆休み、特にないし、平日にそっちに行くのは無理…」
「そんなの仕事休みなさい」
「いや、でも…」
ガチャンと切られました。

一気に気持ちが沈んで、疲労感の海に溺れます。
いや、実際は仕事は休みなんですけどね、
私の仕事を一体どう思っているのか…。

その後、お墓近くのスーパーで仏花を買っていると、母から電話が。
「もしもし…」
「あんた、本当にお盆来ないとダメだからね。全くお盆と正月しか来ないくせに、お盆も来ないなんて、冷たすぎるよ。お前ダメだからね。
電車で1時間で来れる距離に住んでるのに年とった母親に、私だったらちょくちょく会いに行くけどね…云々かんぬん~~」

文句の勢いが止まりません。
受話器を耳から話して、悪口は聞かないようにしましたが、止まりません。

何がキッカケか定かではありませんが、突然私の堪忍袋の緒が切れました。
ブチっと。
「お母さん、どうしてそうやって自分の希望ばっかり押し付けるの!
私だって一生懸命生きてるんだよ。体だって最近色々悪いし、本当に毎日大変なんだよ!それなのに面倒見ろってそればっかり言って!」
私の剣幕に母もちょっと引き気味でした(笑)。

「仕事だって夕方には終わるし、土日休みでしょ。時間あるじゃないの」
「私だってお母さんの面倒見たいよ。でも仕事が終わったらご飯作らなきゃいけないし、掃除洗濯だってあるし。私は休みも休むなって言うの?私の体はどうなってもいいって言うの?」

ちょっと大袈裟になってしまっていますが(笑)もう止まりません。
今まで、ずっと母を傷つけたくない、嫌われたくないという気持ちで言えなかったことを大声で叫びました。スーパーの真ん中で(笑)。
もう周りの目なんか気にしちゃいられません。
人前でこんなに怒鳴ったことは生まれて初めてです。
「いや、面倒見ろとは言ってないよ。ただ顔見せにちょくちょく来て欲しいって言ってるの」
いや、いっつも面倒見ろって言ってるくせに、髪を染めてほしいとか、料理、掃除洗濯してほしいとかばっかり言ってるくせに。
でもなんだか、ちょっと可哀そうになってきました。
本当は私に会いたいだけなのかも?という気もしてきました。
「うん…」
「とにかく、お盆は来なきゃダメだよ」
そうこうしてるうちに、お墓の中まで歩いて来ました。
殺人的な暑さなので、これ以上電話はしていられません。
「とりあえずもうお墓に着いたから、掃除します。また電話します」
と言ったら、またガチャ切りされました。。。

その後1時間かけて汗だくになりながら掃除をして、終わったので母に電話をしましたが、電話に出ませんでした。
なので、実家には行かず、買い物をして家に帰って来ました。

言った直後しばらくは、「言えた!思ってること言えた!言い返せた!」という達成感、高揚感でハイになっていたのですが、買い物途中に買い物を楽しんでいる自分に罪悪感を何度も感じ、少し気分が落ち、ということが何度かありました。
そして、結局この後のお盆期間、実家に行くのか?まあ、行くんだろうけど、いつ?
というのと、お母さん、反省してくれると嬉しいけど、意外と落ち込んじゃったりしてたら可哀そうだな、とか思ってしまったり。
せっかくの久しぶりの休暇を、また母への罪悪感で潰されるのかという残念な気持ち。

とにかくお風呂に入ってサッパリしようと思い、湯船に浸かっていると、
『ああ、いっつもは母に電話する前に瞑想して自分を愛と平和で満たしてから電話かけてたから優しい言葉をかけたり、平静でいられたんだけどな。今日は瞑想する時間もなく、出かけちゃったからな、愛のない言葉で傷つけちゃったかな』
と思ってしまったりしていたのですが、ふと気づきました。
『あれ?今日怒ったのって私のためじゃない?
私が私のために怒ったんじゃない?
とすると、私は私への愛から、母に対して怒ったのでは?
つまり、あれは愛からの言葉だったと言えるのでは?」

私は私を愛すると決めていたので、愛する人が困っていたり苦しんでいたら助けたいという気持ちで、私を護ってくれたと言えるんじゃないかと思ったのです。
ややこしいですかね?
私は私に守られた。
そう考えると幸福な気持ちになりました。
お母さんも自分で自分を愛すれば良いのに。
人に求めてばっかりだから苦しむんだ。
シャンパンタワーの法則で、自分の幸せが溢れたらようやく他の人を幸せにしてあげられるというものがありますが、本当にその通りですよね。
自己犠牲では自分が苦しいだけで、相手はもっともっとと要求してきて止まりません。
誰にとっても良いことはないんですよね。

お盆問題は片付いてはいないけれど、ひとまず忘れて楽しもうと思います。


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