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上弦の月の迷いごと

昨日、母親と決別した気持ちでスッキリして眠りについたのに、
朝早くに目が覚めて、「本当に介護しなくて良いのだろうか?」
と、とんでもないことを考え始めた。

潔癖症だし、辛いことが大嫌いで逃げてきた私が介護なんてできる訳ない。
そう断じるのはまだ早いのではないか?
私は冷たい人間。
本当にそうなのだろうか?
本当は思いやりのある、何も考えなければつい人助けしてしまうような人間だったのではないだろうか?

生まれつき、四柱推命の正官の星を2つ持っていて、
正義感が過ぎるくらいの性格だ。

子供の頃から世界名作文学を愛読していて道徳観も強い。

昭和の時代のドラマっ子で、頑張ることが美しく偉いと刷り込まれている。

母親が呆けたから、縁を切る、というのは
あまりに酷い話に聞こえないだろうか?

酷いことを多く言われた母だったから、捨てても良いのだろうか?

もしも心から無償の愛で愛してくれた母であったなら、
介護していた気はする。
そもそも潔癖症にはなっていなかった気もする。

ということはやはり、母の自業自得であり、
私は逃げても良いということだろうか?

結局「逃げる」という言葉を使っている時点で介護しないのは悪いことと
心の中では思ってしまっているのだろう。

だが、「逃げるは恥だが役に立つ」という言葉は、これまで何度も私の救いになってくれた言葉だ。

逃げるのが悪いことだと思っている限りは、罪悪感に悩まされ、波動も低くなり、幸せにはなれないだろう。

よって、「介護をして自分の人生を潰すべき」
とはならない。

ここでも「介護は自分の人生を潰す」と思っていることが分かった。

つまり、介護をするのが正しい訳ではない。

自分の人生を潰すなんてやって良い訳がない。

自分に対する暴力だ。

そして、母を全く切ってしまうのもお勧めできないやり方だ。

自分の手は直接使わず、母の面倒を見る。

つまりは、情報を集め、兄に情報提供し、助言する。

これは、実に私らしい援助の方法だと思われる。

そして、私は私の人生を思い切り楽しむのだ。

母によって妨害されてはならない。

私には生まれて来た意味があるはずだ。

それは「人生を謳歌する」ことで見えてくるはず。

よく言われるワクワクする方へ進んで行くのが正しい生き方。

そう、正しい。

正官の私としても納得できる考え方だ。

「バランス」が大事だ。

0か100かの考え方に陥りがちな私ではあるが、バランスを取って、
流れに乗って行こう。

見えない世界からの後押しに期待して。

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