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親孝行という呪い

私の親はいわゆる毒親というヤツの可能性がある。
可能性がある、と書いたのは、もっと誰がどう見ても毒親とか虐待だよな、という程ではないと思うからだ。
子供の頃から、殴られたり蹴られたり、食事を与えられなかったり、無視されたりした、ということはない。
ただ、私が親だったら、子供に対してとても言えないような言葉を子供の頃から浴びせられて生きてきた。
「のろま」
「全くしょうがない」
「ドジ」
「恥ずかしくて人に紹介できない」
「お前に何があるの?何もないじゃない」
「役立たず」
etc。。。

あとは、ちょっとぶたれたりはあるけど、まあ、昭和時代なので、あるあるかな。

そして、ここ数年、私は引き寄せなどのスピリチュアルや心理学、仏教等を学び、波動というものを重んじるようになった。
波動を高く保ちたい。
一人でいる時は、波動高くいられる。
愛と平和の世界で幸せに暮らしていられる。
しかし、急に親からの電話がかかってくる。
その時、上記のような言葉を浴びせられ、波動が下がる。
波動を下げたくないし、自分が望むものの方だけを向いていたい。
ので、親とは関わりたくない。
本当のことを言えば、親と仲良く、愛を感じられる関係になりたい。
だが、しかしなかなか難しい。
愛ある関係を築けないのであれば、いっそ関わらないでいたい。
しかし、私は生まれてから植え付けられた価値観や倫理観、道徳、良心等から全く関わらなくなることは罪悪感を感じてしまう。
「親孝行はするべきだ」という呪いにかけられている。
罪悪感を感じさせてくる親に対して、さらに嫌悪感を感じる。
という悪循環。
もう終わりにしたい。
親が消えれば自由になるのに。
でも、そんなことを考える自分に自己嫌悪。
そして、そんなことを考えさせる親に怒り。
悪循環だ。
いっそ、連絡を絶って世界放浪の旅に出て、自由になりたい。
とも思うが、それってもう失踪ということになってしまうよね。

とにかく逃げたい。
逃げるは恥だが役に立つ。
という考えでいっぱいになることもある。

☆解決編
ゲシュタルトの祈りやアドラーの心理学のように、
相手の問題は相手の問題、として私が考えてあげたり解決してあげたりする必要はないと、親を親孝行しなければいけないという呪いを手放す。

自分を愛そう。
自分を、自分の大切な人として甘やかし、もてなして褒めてあげよう。
傷ついたインナーチャイルドを抱きしめて安心させてあげよう。

それから、もっと大きな高い視点から観よう。
私は全人類、生きとし生ける全てのものを愛している。
だから、相手のこともひっそりと陰ながらで良いから、愛してあげよう。
健康と幸せを祈ってあげよう。
それで充分。
集合無意識で親と私も繋がっているのだから、伝わるはず。

エイブラハムの考え方だと、相手のベストパートを見るという方法が良いという。
相手の良い所を見ると決めて接して、高い波動でいれば、相手も変わる。
パラレルワールドに移行する。
という。
しかし、試みるも、私の親の低い波動が強すぎるのか、落ち着いて対処できない。
人の悪口や嫌味を聞きたくないので、話をそらそうとすることで精いっぱいになってしまう。
相手の話に反射的に反応してしまう。

今度電話がかかってきた時は、相手の話に耳を傾けるのではなく、
「愛してる」と心の中でひたすら唱えよう。
相手の問題に巻き込まれず、静かな心でいよう。
反射的に反応してしまわないよう、相手の話ではなく、「愛してる」という自分の心の声に耳を傾けよう。
波動を高めることに集中しよう。
そして、自分の気持ちを口に出してみよう。
分かってもらえるかどうかではなく、私自身の気持ちを押し殺してしまうのは私に対しての暴力だから。
愛を持って話すんだ。

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