「男らしく」「女らしく」より「自分らしく」
どうもこんにちは。崇(たかし)です。
最近はLGBTなどの議論もあり、「ジェンダーレス」が少しずつ浸透していると感じます。
会社でも管理職研修や採用などの局面で、LGBTについての理解・配慮を進める必要性について意識する場面が増えました。
ただ、ぼくは個人的には昔から「男らしさ」「女らしさ」という概念を押し付ける考え方には抵抗感をずっと持ち続けていました。
ぼくは昭和生まれですので、子どもの頃は今よりももっと「男の子らしく」「女の子らしく」しなさいという空気が強い時代だったと思います。
ですがぼくは子供の頃から、男の子が熱中するような遊びは好きにならないタイプでした。
足も遅かったですし運動神経も悪かったので、皆でサッカーや野球をやるのもあまり好きではありませんでした。
どちらかというとインドア派で、一人でずっと本を読んでいるような子供でした。
言動もどちらかといえば後ろ向きで、「元気な男の子」という感じではなかったと思います。
ですが、ぼくは両親から「男の子なんだから**しなさい」というような言葉を言われた記憶がありません。
なので、「自分は周りと少し違うな」とは感じていましたが、それを深くとらえることなく、ある意味では気楽に育つことができました。
中学からは体育会系の部活にも入りましたが、それもサッカーやバスケのようないわゆる「陽キャ」な感じの部活ではありませんでした。
それに加えてゲームに没頭するようになり、テレビゲーム(当時はスーパーファミコンなど)に加えてTRPGなどにも手を出すようになり、趣味が同じ有人と毎週のように集まっては自作のシナリオでロールプレイにハマるなど、完全に今でいう「オタク」的な活動にもハマっていました。
どこまで行っても男らしさは出てこないのですが、「別にそれはそれでいいじゃん」と思っていました。
そして時は経ち、男らしさのなかった中学生は、立派なオッサンになりました。
インドア派は変わらないですし、読書やゲームが好きというところも結局のところ中学生から進歩してません。
大学生くらいからはポツポツ恋愛などもしてきて、結婚もしました。
ただ、依然として「男らしい」タイプではないなーと今でも思っています。
ですが、ぼくは今でもぼくを「男の子らしくしろ」と矯正しようとしなかった両親に感謝しています。
ムリに男の子らしくしようとした自分よりも、たぶん今の自分の方が好きになれるのではないかなと思っているので。
ステレオタイプ的な「男らしさ」「女らしさ」ってただのイメージでしかなくて、自分をそこに無理にあてはめなくてもいいと思います。
それよりも、自分の心が求めるやりたいことを追求した方がいい。
男の子らしさを追求することでひょっとしたらもっとモテモテの青春時代を送れていたかもしれませんが、一応落ち着くところに落ち着いた今となっては不満はありません。
「男らしく」「女らしく」よりも「自分らしく」。
自分が違和感を感じたりやりたくないと思うことに、エネルギーを使うのはもったいないなと思います。
今日は以上です。
ありがとうございました。
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