【常識を疑うデザイン思考】旅するように生きる4つの方法
旅する家族である我々。一昨日まで約一ヶ月ほどで日本を縦断する旅を続けてきましたが、今その旅も終え、ここから家族は二手に分かれ、一方は一旦カリフォルニアへ、一方はベトナムを皮切りに世界各国を訪ねる旅へ、そしておよそ三ヶ月後、また某国の地で集合する予定。こんな家族はなかなか無いw。デザイン思考とは常識に囚われず、敢えて非常識であろうとする創造的挑戦でもあり、その意味で我々家族は極めて「非常識な家族」であるかもしれません(笑)。旅するように生きるとは、 “旅” という非日常であるはずの経験を日常に完全に取り込んでしまった状態。旅の持つ要素である「時空間の移動」「新しい経験」「出発と帰着」「出会いと別れ」「発見と驚き」「五感で受ける刺激と感動」が常態化した状態。我々のそんな“旅”は日常を絶え間ない創造的機会で満たしつつ、結果的に家族間の相互の信頼をより強固にしている。今日は旅するように生きる意味と価値、そしてその実践方法について4つの軸で考えます。
■安泰でなく渇望を求める
神社の絵馬などに良く書かれる願い事に「家内安全、家族安泰」なんて熟語がある。国家の“安定”を党最大の理念に置く政党もある。斯様に安定や安泰は通常良いことと捉えられがちではある(私個人は常に安定や安泰と無縁w)。では安定や安泰は本当に良いことだろうか?といつものように常識を疑ってみる。例えば成長にとってはどうか。木の年輪の幅の広い部分は傾斜や寒さなど環境の厳しさや負荷の大きさによって拡がるという説がある。常に安定して良好な環境にあるから成長する訳では無く、寧ろ渇きや寒さのような厳しさこそが大きな成長の契機になる。
危機感や飢餓感、渇望を常に感じていることは強く生きるため、大きく成長するために不可欠な要素なのではないかと思う。安定ばかり求める余りか、昨今子供の将来なりたい職業のトップが公務員というのも夢の無い虚しさを感じる話。旅には常に危機感や飢餓感、渇望が付き纏う。敢えて安泰を避け、渇望を希求する、未知へのチャレンジ志向な態度は旅するように生きるための出発点でしょう。
■常に揺らぎに身を置く
発想や閃きを誘発するクリエイティブなマインドを保つには常に動的な変化が必要です。中国では古来「三上(さんじょう)」として「馬上(ばじょう・馬に乗って移動している時)・枕上(ちんじょう・寝ている時)・厠上(しじょう・トイレで用を足している時)」が良くアイデアの閃く場所として伝えられている。似たような話で「スウェーデン式 アイデア・ブック」では「創造性の4B」としてバー(Bars)、バスルーム(Bathrooms)、バス(Busses)、ベッド(Beds) が閃きやすい場所として紹介されている。
「緊張」と「弛緩」の間をダイナミックに往復する中で、その間に生じる変化点こそが発想や閃きの起点になる。“三上”も“4B”もそうした起点に最も成り得るシチュエーションの典型ということでしょう。言わば閃きを誘発する「揺らぎ」を生成する場所。その意味からも、常に揺らぎの渦中にあり、それ自身が「緊張」と「弛緩」の連続である旅とはクリエイティブなマインドを保つのに最も理想的環境であるとも言えます。
■馴れ合いと距離を置き、共に進化成長する
ちょっと視点は変わりますが、既婚者の抱えるストレスで常にトップに上がるのが配偶者との別れや死別。頼ってきた相手に突如居なくなられた時、そのストレスは最大化するのでしょう。一方で離別や離婚の原因に上がるのは価値観のズレや退屈。家庭で起こる様々な不和もまたこの価値観のズレや退屈が原因となり得るでしょう。互いの存在を「当たり前」のことと認識する。よくお互いを空気の様な存在と認めたりするのもこれに当たる。
言わば刺激も感動も感謝も無い馴れ合いの状態。役割分担が余りにも固定し過ぎて互いを頼り切ることもまた危険。或いはどちらか一方が成長し続ける中でもう一方が成長を止めた時、その価値観のズレは最大化する。常に互いの存在、思い遣りや役立ちに感謝し合うこと、互いの成長を喜び、互いに競い合うように成長を促すことも重要。強いものが生き残るのではなく変化し進化し続けるものだけが生き残ると言われるように、夫婦や家族の間でさえも、常に個々の進化と成長を止めないことが結果的に相互の信頼感を強固にするのではないでしょうか。
■相互に自立し、適切な距離感を持つ
そんな意味では、家族であっても違いを認め合うことも極めて大切。今の時代、ジェンダーの違いさえ否定する動きがありますが、私は逆だと思う。寧ろ互いの違いを認識し、認め合ってこそ初めて適切な人間関係を構築することが出来る。夫婦や家族であっても個々の考えや心理状態は常に大きく異なる。思想信条、政治的イデオロギー、宗教、性差など、違いを認めず「皆同じであるべき」などという乱暴な発想が跋扈した結果、社会に大きな分断が生じている現代社会と同様に、家族だから、夫婦だから常に考えや思いは似たようなものだろうなどと高を括っていると思わぬ痛手を被ることになる。
旅するように生きる我々家族はいつも同じ場所で一緒に生活してはいない。常に誰かが移動中であったり、離れて生活したりしている。精神的に自立し、敢えて離れていることを互いに認め合っている。だからこそ手紙や電話で会話することの重さ、再会した時の大きな感動と感謝をより深く豊かに感じ合うことが出来る。互いの温もりを真に感じ合うためにこそ、物理的にも精神的にも個々に自立し、常にそれぞれが自らを律しながら適切な距離感を保つ。現代における一家団欒とは、ぬくぬくと馴れ合う相互依存を指すのではなく、互いに自立し、共に成長進化し、助け合うチームのような存在ではないかと。是非今後も実践していきます!
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