元文科省のキャリア官僚と考える、小難しくない教育改革のお話⑦
【もし僕が教育長だったら、やりたい5つのチャレンジ】
2021年もあとわずか。
振り返れば今年は、年明けから半年間、APU(立命館アジア太平洋大学)という日本最高峰の「グローバル大学」で研究する機会をいただき、そして夏には、ここミシガン大学教育大学院に留学することができました。アメリカへの留学は、本来であれば昨年行く予定であったスタンフォード大学がコロナのため中止となり、1年越しの実現でした。
また、10月末からはnoteを始め、これまで、キャリアゴール(子どもの自殺をゼロにする)のこと、教師のこと、留学のこと、アカウンタビリティのこと、広島叡智学園のこと、教育改革のこと、ICTのことを書き、累計で約7,000回も読んでいただくことができました。本当にありがとうございました。
アメリカでの勉強は、あと1年間。この間に、気持ちがどう変わるかを記録するためにも、もし今自分が教育長だったら、やってみたい5つのチャレンジを書いてみました。
① 教育の運営に、生徒が参加する仕組みを
(スチューデント・コミッティー)
「アクティブ・ラーニング」の必要性が謳われて久しいですが、僕はその前に、「学校文化の変革」が必要だと考えます。学校が生徒にとって「自分らしくいられる場所」になっていない限り、どんなに活動が変わっても、何の意味も無いと思うのです(これこそがアメリカで注目されているSocial Emotional Learningです)。生徒が「教育を受ける側」ではなく、「ともに学びを創る側」に回ってもらえるような仕組みを作る必要があります。
この第一歩として、まずは、教育委員会の中に、生徒の代表によって構成される「スチューデント・コミッティー」を作ります。そこでは、校則のこと(服装や髪型を含め)、携帯電話のこと、学校運営のこと、コロナ禍での学校行事のこと、そして各学校単位でのこのような仕組みづくりのことなど、教育委員会としての方針を議論してもらいます。
(アメリカでも、同様の取組を行っている州があります)
② 高校生が小・中学生のPBL(プロジェクトベーストラーニング)を企画
これも教育の運営に生徒が参加する仕組みの一環です。高校の総合学習(探究)において、高校生に、小・中学生のPBLを企画し、運営する活動に取り組んでもらいます。内容については各校の自由としますが、全公立高校において必ず実施することし、一過性ではなく、年間を通して取り組むものとします。
中学生のことを一番よく分かっているのは、中学校の先生ではなく、高校生です。「中学生の時に、こんなことしたかった」「こんなことをしておけばよかった」という活動を高校生にデザインしてもらいます。
また、この施策にはもう一つの効果があります。教育行政における様々な課題の中で、僕が何よりも強く危機感を持っているのは、「教員採用試験の倍率低下」です。小学校の教員採用試験の平均倍率は、既に2倍台。1倍台の自治体すら多くあります。ご存じの通り、2倍台になると、「明らかに不適格」という人を除けば、ほぼ全員を合格にせざるを得ません。少人数学級とか小学校の教科担任制とかももちろん大切なのですが、足元の人材の質自体が向上しない限り、「焼け石に水」なのではないかと思うのです。
特に深刻だと思う理由は、教員の役割が変わるからです。教員の役割が「知識の効率的な伝達」だった時代は、ある種の職人芸みたいなところがあり、人材のニーズは他の職種とあまり競合しませんでした。しかし、今後は、コーチング力とかファシリテーション力とか、他の職種でも必要とされる人材が、学校現場に求められます。より人材の争奪戦が激しくなる中で、「2倍」という倍率のままでは、どのような施策も功を奏しないと思うのです。
このためには、教員という仕事の魅力を単に伝えるだけでは、もはやどうしようもなく、当然のこととして、待遇の改善と業務の削減が必要になります。待遇改善については、教育未来創造会議において議論される予定の「所得連動返済型奨学金」において、所得の再分配機能だけではなく、政策的人材誘導機能にまで踏み込んで議論してもらいたいです(あまり知られていませんが、オーストラリアのHECSには、教員になることへのインセンティブ機能があるのです:ご要望があれば、また書きます)。
ただ、国の取組を待っているだけでは何も始まりません。多くの自治体では、「教師塾」を開始したりしていますが、大学生になってからアプローチしても、志願者の増加にはほとんど繋がりません。他方、高校に「教職コース」のようなものを設けても、やはり志願者は拡大しません。更に、高校や中学校において、教師になった卒業生を招いて講演してもらうなど、教師の魅力を伝えるのも、あまり効果は見込めないでしょう。
それよりもむしろ、早い段階で生徒に「ともに学びを創る側」に回ってもらうことが、教職に興味を持つ第一歩になると思うのです。もちろん、これだけで、多くの学生が教員を志願してくれるようになるとは思いません。しかし、少なくとも、口頭でどんなに聞かされるよりも、教育の魅力と奥深さを感じることができるのではないでしょうか。
③ 決定権は学校現場に
これは現行の法令上は不可能なので、実現できるかどうかは分かりませんが、まずは第一歩として、教科書の採択権限を各学校現場に渡したいです。つまり、市町村の教育委員会が一律に域内の学校で使用する教科書を選ぶのではなく、各学校において、使用する教科書を選んでもらいます。これは、単に多様性を持たせたいということではなく、「自分は、子どもたちに何を教えるべきか?何を教えたいのか?」ということについて、学校・教師が考えるきっかけづくりとしたいのです。
第2回で、「なぜアメリカの先生は、日本の先生よりも元気で生き生きしているのか?」ということを書きました。僕は、このひとつの理由が、「教師の自律性」にあると思うのです。中央政府が大きな権限を持つ教育と、個々の学校及び教員が大きな裁量を持つ教育では、当然どちらにも一長一短があります。しかし、現時点での自分の考えとしては、日本は、少し中央政府(文部科学省)が権限を持ちすぎであるように感じています。
人は、信頼されて任された時に、真剣に考え、本気で行動します。もちろん学習指導要領というフレームがありますので、教科書の採択権限を移したからといって、完全に学校現場が自由になるわけではありません。しかし、「自分は、子どもたちに何を教えるべきか?何を教えたいのか?」という、実は、あまり教師が考えたことのない問いに対して、真剣に向き合うひとつのきっかけに、そして、学校現場により決定権を移していくひとつのきっかけになるのではないかと思うのです。
④ データと学習科学に基づく教育に
これについては、こちらの記事で詳しく書きました。以下の5つの転換を図ります。
・教師や行政の直観と経験に基づく教育から、データと理論に基づく教育に。
・データとエビデンスは、後ろ向きなアカウンタビリティ(説明責任)のためではなく、未来志向の教育の絶えざる改善(continuous improvement)のために。
・テストの点数だけではなく、Social Emotional Skillsを含め、より子どもたちの姿全体を捉えられるように(Holistic Approach)
・一時点でのスナップショットではなく、生徒の成長(Growth)に焦点を当てて。
・取組の改善は、学校・教師単独ではなく、アカデミックや企業・NPOなど多様な主体とともに。
⑤ もっと政治に近い教育委員会に
これは議論があるところかもしれませんが、僕はもっと教育行政は、首長(知事や市町村長)と(県・市町村)議会から近い存在であるべきだと考えています。具体的には、教育委員会が最終的な決定権を持つような事項であっても、総合教育会議で積極的に議論すべきですし(このような考えから、広島の学びの変革は、知事にも検討会議の構成員になってもらいました)、議会の文教委員長にも、総合教育会議にオブザーバーとして参加してもらうべきと考えます。
これは、「首長や議会の言いなりになる」ということではありません。むしろ、その逆です。今は、多くの教育委員会において、首長や議会からの要求に対し、批判を恐れ、きちんと反論することも説明することもせず、「一応言われたことはやった」かのようなパフォーマンスをして、中途半端に対応しているように見えます。そして、こうした対応が、学校現場の業務量を増加させています。
例えば、議会で「各学校における○○の状況について」という質問が出たとします。それに対して教育委員会は「現時点では把握しておりません」と答えます。議員は「無責任ではないか」と詰め寄り、それに教育委員会は「至急、調査します」と答えてしまいます。その結果、学校の負担が増えます。
このようにして増えていく調査や通知や事業やイベントは非常に多いのです。教育委員会として対応する必要が無いと判断していたのであれば、その理由をきちんと説明し、議論しなくてはいけません。そして、そのためには、学校が、教育が、今どのような状況にあるのか、どんなに苦しい状況なのかという実態を、日頃から政治には知っておいてもらう必要があります。
教育基本法は、確かに教育の政治的中立性を要求しています。しかし、それは、教育をブラックボックスの中に閉じ込め、教育委員会と学校の占有物にしてしまうのとは違います。政治に正面から向き合い、実情を正直に伝えた上で、本音で議論することが必要です。
更に言えば、そうしないと、地方における教育予算の大幅な増額は見込めないと思います。政治家として、自分自身が説明できないことに、誰が予算をつけるでしょうか?
(ちなみに、上記のことは、教育委員会だけではなく、文部科学省についても言えます。果たしてこの数十年、どれほど調査と計画と報告が増えたことでしょう)
この他にも、細かく言えば、
・座学教員研修の原則廃止(オンデマンド型への以降)
・教員の人材流動化(特別免許状の積極的活用)
・教職員のサバティカル&海外留学支援制度
・リーディングスキルテストの導入
・(ともすると「学校の横並び文化」の原因となっている)校長会の変革
・授業版「食べログ」プラットフォーム(仮称)の構築
・教育委員会主催のイベント・表彰の原則廃止
などなど色々あります。気になるものがあれば、ぜひお問い合わせください。
とにもかくにも、来年は、教育委員会や学校現場が、「目の前のコロナのこと」ではなく、「少し先の未来のこと」にもっともっと目を向けられる、穏やかな年となりますように。
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