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アカウンタビリティとEBPMと「自由な場としての学校」(CORE Districts)

 いきなりですが、ずっと悩んでいることが3つあります。

① 日米のいろんな教育に関する先進事例を読むと、途中までは「はー、なるほど」となるものの、その成果の証明として、結局、学力テストの結果(「比較群と比べて、こんなにテストの点数が伸びました」)が出てきます。うーん…なんかコレって違和感があるんだよなぁ…。

② ちょっと前から流行りの「教育における説明責任(Accountability)」と「証拠に基づく政策立案(Evidence Based Policy Making: EBPM)」。確かに大事なんですけど、でもコレって、教育のダイナミックさと子どもたちの個性、言い換えれば「自由な場としての学校」を損なうことにはならないのかなぁ。つまり、多くの人が求める「教育の成果」は、テストの結果と大学の進学実績なので、子どもたちの興味・関心とか、いろんなものを犠牲にして、そこに最短距離でアプローチするような学校が評価されることにならないのかなぁ

③ とはいえ、これまでみたいな、教師の「職人芸」に基づく教育ってのもなぁ…。そもそも日本の教育(行政)は、トップ(校長や教育長)の個人的な経験と、「それってあなたの主観ですよね?」な理念、あとは誰かから聞いた逸話と、どっかで読んだグッドプラクティスによって運営されているから、どんな改革も浸透しないし、その人がいなくなった途端に元に戻るだけなんだよなぁ…

 この悩みはユニバーサルなようで、大学院の学生や教授陣に話したところ、「分かる分かる」と共感してくれました。特にアメリカでは、2001年のNo Child Left Behind Act(NCLB)において、「学力テストの点数が一定の基準に満たない学校には制裁を科す」という、ちょっと前に日本のどこかの自治体で聞いたような政策が導入され、色々と物議を醸しました。

 そんな折に出会ったのが、カリフォルニア州のいくつかの自治体で構成されるCORE Districts(California office to reform education)です。

 COREは、上記のNCLBへの反発から生まれました。

「学力テストで本当に子どもたちの力が測れるのか?学校によって状況はバラバラなのに、同じ基準で評価することに意味があるのか?トップダウンによる制裁に基づく改革で問題は解決するのか?」

 こんな考えから、彼らは独自のアカウンタビリティシステムを開発します。それが、以下の図です。

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 この特徴は、以下の4つです。

① まず、学力に関する指標だけではなく、子どもたちのSocial Emotional Skills(SES)と、学校のCulture/Climate Factorsを指標として取り入れています

② 学力に関する指標も、一時点でのスナップショットのみならず、生徒の成長(Growth)に焦点が当てられています。つまり、「昨年度と比べて、その子がどれだけ成長したか」を評価しています(日本では埼玉県がこれに取り組んでいます)。

③ データの解釈や改善策の検討を学校だけで行うのはムリがあります。なので、その分野の専門家と連携し(COREは、スタンフォード大学やハーバード大学をはじめとする様々な大学や、民間の研究組織と連携協定を結んでいます)、また、同じような生徒や地域の特性(Culture/Climate Factors)を抱えながらも高い成果を生み出している学校とチームを組みます(報告書では「単にグッドプラクティスを示すだけでは、『すごいですけどウチとは状況が違いますから』で終わってしまう。これじゃ意味がない」と書かれていました)。

データは、アカウンタビリティや制裁のためではなく、教育の絶えざる改善(continuous improvement)のために使われます。彼らの報告書には “a flashlight, not a hammer”(制裁のハンマーではなく、改善の懐中電灯として)という言葉が何度も出てきます。

 このようなCOREの取組は、カナダはオンタリオ州の教育改革に携わったマイケル・フラン(Michael Fullan)の助言に基づき生み出されました。

 更に言えば、彼らは”capacity-building”と”improvement science”ということを、改革のゴールとして強調します。つまり、「教育委員会が/コンサルが/研究者が、こう言うから」ではなく、最終的には、「学校・教師が、自分たちの力で、データを基にした、『絶えざる改善(continuous improvement)』を回せるようにならなくてはいけませんよ」ということです。

 以前、広島大学の先生とお話していた時に、こんな話になりました。

 日本の教職大学院は、教育の「設計者」を生み出さなくてはいけないのに、「現場監督」ばかりを生み出してしまっている。「どのようにPDCAを回して、教育をリデザインするか」を考えられる人を育てないといけないのに、「指導案のここをこう変えたら、ちょっとよくなりそう」を考える場所になってしまっている。

 僕は、このCOREの改革を、アメリカでの研究課題にすることに決めました。
 きっとこれが、「子どもの自殺をゼロにする」という、僕の夢の「希望の光」になるんじゃないかと思うので。

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