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元文科省のキャリア官僚と考える、小難しくない教育改革のお話⑥

【テクノロジー(ICT)は救世主か、破壊兵器か】

 アメリカの教育は、日本より優れている部分と劣っている部分がありますが、少なくともICTの活用については、日本よりも遥か先を行っています。普通の公立学校に通っている子どもたちも、普通にChromebookとiPadが配られ、普通に毎日家に持ち帰り、課題の送付と提出もオンラインで普通に行われています。また、Powerschoolというアプリで、
・授業の出欠
・課題やテストの内容と評価
・その時点での成績(日本のように「最後に通知表で総合成績が示され、それまではブラックボックス」というのではなく、そこまでのパフォーマンスを基に、その時点での総合成績が随時表示されます)
 が示され、保護者もこれらをリアルタイムで普通に見ることができます。コロナの感染状況が悪化すれば普通にオンライン授業に移行し、落ち着けば普通に対面授業に戻りました。
 また、学年の最初には、「When using school computers, I will be a good digital citizen」というタイトルの文書が配布され、各家庭で話し合いの上、生徒と保護者がサインして学校に提出しています。

 さて、僕が大学院で在籍しているプログラムは、ICTの活用が焦点のひとつなので、理論から実践まで、様々なことを学びました。

 今回の記事は、タイトルとして「テクノロジー(ICT)は救世主か、破壊兵器か」と書きましたが、結論として、

 「使い方次第で、救世主にも破壊兵器にもなる」

 と書かれることを多くの人が予想していたのではないかと思います

 しかし、少し違います。僕の結論は、

 「テクノロジー(ICT)は、救世主にも破壊兵器にもならない」

 です。言い換えれば、

 「もういい加減、ICTを特別なものと考えるの辞めませんか?」

 つまり、「ICTだけ切り取って議論しても意味が無い」ということです。

 結局のところ、当たり前ですが、ICTは万能でも無能でもありません。もし「ICTで、授業が抜本的に変わった!」と思っている先生がいるとしたら、それは、ICT云々ではなく、元々の授業の組み立て方自体に、抜本的に問題があっただけです(そして今もあり続けている)。

 ですから、変に構えることなく、過度に期待することもなく、とりあえず使えそうなものは使ってみましょう。「イマイチかな」と思ったら、そこでやめればいいだけです。冒頭のアメリカの状況で「普通に」という単語を何回も使いましたが、ここが大切です。「ICTを使わなきゃ…」と変なプレッシャーを感じる必要はなく、「どうだ!ICTだ!」と変にクローズアップする必要もなく、我々の日常生活にICTが普通に溶け込んでいるように、必要な時に普通に使えばいいだけです。

 ただし、僕たちが行うのは「教育」です。ですので、忘れないでいただきたいことが2つあります。

まず1つめ。以下の図をご覧ください。

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 社会構成主義の視点に立てば、学びは相互作用(Interaction)の中から生まれます。そこには、教師と生徒、生徒同士、そして生徒+教師と学習内容(Content)の相互作用があり、更に学習環境(Environments)が全体に影響を与えます(ここには明記されていませんが、学校外の専門家や地域の方々などとの相互作用も大切な要素です)。大切なのは、

「ICTの活用が、この相互作用を更に活性化させ、深める方向に働くかどうか」

 ということです。先ほどの「ICTで、授業が抜本的に変わった!」と思っている先生は、元々の授業において、この構図が成立していない可能性が高いです。

 そして2つめ。以下の図をご覧ください。

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 これは、僕が資格を取ろうとしているLearning Experience Designer(LXDer)が指針として使っている図で、真ん中のLifelong Expertiseが、目指すべきLearning Experienceです。

 つまりは、
① 生徒の既有知識(Knowledge)を踏まえたものであり、
② 生徒の興味関心(Interest)に沿ったものであり、
③ 将来、生徒の役に立つ(=生徒の人生の文脈に沿う(Identity))ものであり、
④ そして、それを学べる手段(Tools)がある
 という4つの要素を満たす必要があります。

 ICTは、このうちのToolsのひとつです。Lifelong Expertiseの右下・左下を見ていただきたいのですが、どんなに素晴らしいICTがあっても、それが将来、生徒の役に立つものでなければ、そこには目的(Purpose)がありません。また、それが生徒の興味関心に沿ったものでなければ、そこには楽しさ(Enjoyment)はありません。

 つまるところ、ICTは、教師の力量の差を拡大する力を持ちます。その「力量」は、「ICTの熟達度」ではなく「日頃の授業の熟達度」です。広島の「学びの変革」を共に進めてきた小学校の校長先生が、以下のようなことを言っていました。

本校では、Qubena(AIドリル)を使っているが、それを使いながらも、具体物を見せるなど、学習を有意味化するための取組は、相当時間をかけてやっている。Qubenaによって、躓いている子がより見えるようになり、その子に応じた指導が必要になったため、教師の指導時間は、Qubena導入前より長くなった

 つまり、ICTは、「ICTが無くても生徒たちに存在していたものを、教師がより見えるようにするためのツール」であり、更に言えば、「見えない、あるいは見ようとしない教師」にとっては、何も変わらない、もしくは更に悪化させるものになるのです。

 色々書きましたが、「総論ばっかり言って!結局具体的にはどうなの!」と思われた方のために、最後に少しだけ具体論を書きます。

 まず、僕は、ICTの活用は、小・中・高で分けて考える必要があると考えています。中と高、とりわけ高校については、行われている教育の現状や生徒の発達段階を踏まえれば、可能な限り積極的にICTを導入し、Trial & Errorを繰り返していけばいいと思います。

 一方で、小学校については、もう少し慎重であるべきです。仮に、EdTechのサービスを以下のようなカテゴリーに分けたとしましょう。

【EdTechサービス カテゴリー(私案)】
① コンテンツ提供・配信型サービス(教科特化型)(スタディサプリ、すらら、Qubenaなど)
② 語学学習系サービス(レアジョブ、DMM英会話など)
③ プログラミング学習系サービス(Life is Techなど)
④ 学習管理システム(AiGrowなど)
⑤ 授業支援型(ロイロノート、Kocriなど)
⑥ プラットフォーム型(Gsuite、Classiなど)
⑦ 校務改善(BPR)型(SchoolEngineなど)
⑧ チュータリング型サービス(atama(AI Coaching)など)
⑨ 特別支援教育・Gifted系
(参考)https://edtech-research.com/blog/vol1-about-edtech/

 この場合、小学校での導入に関する僕の見解は以下の通りです。

① コンテンツ提供・配信型サービス(教科特化型)
 → 大幅導入は×(部分的な活用なら△)
② 語学学習系サービス
 → 基本的には〇
③ プログラミング学習系サービス
 → 基本的には〇
④ 学習管理システム
 → 大幅導入は×(「コンピテンシーをAIが分析」などは×。ポートフォリオ的(学習ログ)に活用するのは〇)
⑤ 授業支援型
 → 基本的には○(ただし、使い方次第)
⑥ プラットフォーム型
 → 基本的には〇(ただし、Face To Faceでのコミュニケーションを蔑ろにしない範囲で)
⑦ 校務改善(BPR)型
 → 基本的には〇
⑧ チュータリング型サービス
 → △(使い方次第)
⑨ 特別支援教育・Gifted系
 → 基本的には○

 このようなガイドラインを教育委員会が示せば、学校現場は、ICTをより活用しやすくなると思います。

 皆さんのお考えはどうですか?

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