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カメラのいいとこ、おしいとこ

カメラをはじめてよかったことがある。
前にも少し書いたが

世界を見る目が変わったこと。
綺麗なもの、場所、人に惹きつけられて
被写体としてどうか?という視点で
生活するようになった。
Instagramで最高のロケーションをみつけると
行ってみたいと思うようになり
必ず旅行の前はそういう場所を調べるようになった。

そしてカメラ仲間が少しずつ増えていくこと。
わからないことを調べたり聞いたりする。
あまり連絡を取らなかった疎遠の友達が連絡をくれるようになったこと。純粋に嬉しい。

カメラを始めたという満足感はパない。
ハンパじゃないです。
いままで何年もやりたかったものがカメラが高いという理由で先延ばしにしてきた。
買えなかったのだから仕方がないけど
もっと早くはじめていればよかったとも思う。

趣味と呼べるものがあるのはいいことだ。
きっとサーフィンもバックカントリースキーもエレキも三味線も武道もアウトドアもはじめてみたいことは、はじめてみたらコスト以上の感動があることだろう。

とはいうもののやはりお金がかかる趣味。
カメラの惜しいところは
レンズや機材が無限に欲しくなることだ。
いちいち良い機材は高い。物価高だし半導体不足も相まって高い。
いまはAPS-Cセンサーサイズのα6400だけどゆくゆくはフルサイズのミラーレス一眼カメラがほしい。

よい被写体を見つけてもまだまだ技術不足で思い描いた写真は一枚も撮れていない。本当に悔しい。

カメラをはじめて気がついたことがある。
それはその瞬間の感動を写すことは肉眼には勝てないということ。
プロになればなるほどその美しさを切り取るのが上手くなると思う。人に感動を与える程にはうまいということ。

見せたいものを見せる技術に長けている。

美しいもの、インスタ映えするようなものばかり撮らないで、雨の日は雨模様を撮ったり一瞬の光明を撮影できたら一人前だと思う。
自慢するためじゃなく、雨でもいいじゃないかと思えたら最高の写真が撮れる気がする。

実に惜しいと思うこともある。
やはりその瞬間の肉眼の感動には勝てない。
その時の気持ちをカメラを取り出すことで薄れさせてしまう時がある。
私の好きな映画にLIFEという映画がある。希少なユキヒョウを見て誰もがフィルムに収めたいと思うだろう、しかしそのカメラマンはシャッターを切らずに主人公に言い放つ。「本当に美しいものはファインダーを覗かず、肉眼と心に焼き付けるようにしている」

それに似た感覚に陥ることがある。

逆に写真をみて感動したり刺激を受けたりすることもある。自分にもできるだろうかと。
人の心に感動を焼き付けられるような写真を撮れるカメラマンになりたい。

趣味だけど、本気で臨めば趣味じゃない。
仕事にしたくないから趣味なんだけど
これから何十年も続けていきたいこと。

きっと学びもあるだろうな。

人生最後にカメラに収める一枚はどんな写真なんだろう。



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