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【小説】夏の挑戦⑧

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そして彼が私の前からいなくなって、私の中にある冒険心の灯火が消えていくのを感じた。彼は私の中にある、心の炎を燃やす存在だったのだ。”あいつ”がいなくなってから、日常は急に当たり前のように顔を出し始めた。私は祖母の家でのんびりとそうめんと西瓜を食べて、午後は裏山にクワガタ虫を取りに行って、夕方は花火をする。結局、”あいつ”がいなくなるとこんなものだ。そう考えるとひどく味気なく感じた。本来であれば楽しいはずの虫取りも、なんだか味気ないようであった。


夜になると夕立の雨が降り、夏の猛暑はほんの少しだけかき消された。私は祖母に頼まれて、近くの売店に行き食材を買いに行った。街灯も頼りない田舎の道を歩いて行く。途中すれ違う近所のお婆さんや、郵便局の人に挨拶をして、売店に着く。お使いはそこまで難しいものではなかった。レジのお姉さんが、おまけにどうぞと、あめ玉を一つくれた。私はコーラの風味のそのあめ玉を口に含み、はじけて行く炭酸を味わいながら、暗闇の帰路についた。


そこで唐突に一人の青年とすれ違った。忘れはしない顔である。”あいつ”と因縁のある、中学生の一人だった。暗闇の中で、私は反射的にそいつを睨みつけた。


「なんだよ」


中学生は不良である自覚を持っているらしく、しっかりとこちらの睥睨に反応してくれる。街灯が寂しく照らされて、県道を自動車たちが通過する。その時の私に恐怖はなかった。私は私で伝えることだけを伝えることにした。



「”あいつ”はちゃんと旅立ったよ。あんたたに臆することなく、ね」
「・・・!」


それを聞いて中学生は少し驚いたようだった。おそらく”あいつ”はもう旅立つこともなく再帰不能だと思っていたのだろう。ざまあみろと、私は心の中で笑ってやった。明日の朝帰ってくるから、あんたらも迎えにきたらどうだいと、半ば挑発気味に言った。その瞬間、私は自分が惨めに思えてきた。別に私が成し遂げたことじゃないのに、私は一体何を自慢気に話しているのだろう。


私はそのまま中学生とすれ違って走り去った。彼は何もしてこなかった。ただ少し悔しそうに、そして私と同じように、自分の中の惨めさが嫌になったようだった。


その晩、私は夢を見たのだった。


夢の中で、”あいつ”はボロボロになった姿のまま船の上にいて、嵐で怒り狂った海原の上で仰向けに寝ていた。どうやら息はあるらしいが、服はあちこちがちぎれていて、戦場からやっと帰ってきた死にかけの帰還兵のようであった。大雨と大風が巻き起こり、海はどこまでも高波を引き起こし、いつ船が沈んでもおかしくはない。


そんな彼をクラスメイトたちや中学生が、まるで大雨や大風が影響しないような離れた場所で見ている。映画のスクリーン越しにいるような彼らは、”あいつ”の船が沈没しないかと今か今かと待ち構えているようであった。私はムカムカしてきた。”あいつ”の覚悟の前に容易く立ちはだかっているこいつらは、なんなんだ。そして私もまた、彼らと同じように、スクリーン越しに”あいつ”のことを見るしかできない。そんな悔しさも込み上げてきた。


仰向けに寝ている”あいつ”の手にはなにか一つの武器が握りしめられていた。それはボロボロの状態である”あいつ”の姿とは裏腹に、まるで黄金のように光り輝いていた。それは槍のようであった。細長く、先端が鋭い刃となっている、立派な武器であった。”あいつ”が探していた宝物とは、これのことだったのか。しかしこんな嵐の真ん中で、”あいつ”は、もう死に際の騎士のように、このまま消えていくのか。そういった不安が膨れ上がる中、私は目が覚めたのだった。


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