見出し画像

【小説】夏の挑戦⑦

前回はこちら



次の日の朝。
私は友達と遊んでくることを祖母に伝えて、真夏の早朝の港町を駆けた。
まだ太陽が完全に姿を表す間際の時間帯で、街はしんとして、蝉たちもまだ眠りこけているようであった。



私の心の中は、すでに早く”あいつ”を見送ってやりたいという願いだけであった。涼しげな街並みが私の歩を軽やかにして行く。昨日とは打って変わって、すんなりと目的地まで辿り着いた。あの異様な暑さや重たい荷物、そして恨めしい中学生トリオがいないだけで、こんなにも軽やかに道は用意されているものなのかと、私は不思議だった。そんな不思議も束の間に、もうすでに”あいつ”は船に乗って、出発の準備を進めていた。


「ようきたか」
「おはよう、ようやく出発できるね」


”あいつ”はどうやら元気を取り戻したようであった。一人用のボートとも言えるサイズのこじんまりとした船に乗り、いつぞやの図書館で出逢った時の目の輝きをこちらに見せた。私はそこで改めて、船の全貌を見た。果たして本当にエンジンがかかるのかも怪しげな古ぼけたボートであった。白を基調としたボディは、もうすでに黄ばみかかっていている。船舶についての専門的な知識がない自分でも、あまり上等なものではないのがわかった。


「この船、本当に作ったの」
「作った、というか、まあ修理したというか。元々はうちの親父とかじいちゃんが使っていたものらしい。もう使っていないみたいだし、捨てるそうだから、ちょっと弄らせてもらったんだ」


記念すべき最初の武器だよ、と彼は自慢げだった。確かに子供一人の手で使われていない船を修理するなんて、当時の自分には到底無理だと思った。というか大人にだって無理だろう。馬鹿にしていたクラスメイトも中学生の奴らも、足元に及ばないはずだ。


海のささやか凪の音色をバックに、彼は荷物を積み込んだり、エンジンの調子を見たりしている。朝日が登る中、周りには私たち意外誰もいなかった。遥か遠くの方で、漁船が見えるが、こちらには気づいていない。


「それで、いつ帰ってくるの」
「そんなに大きな島でもないから、明日の朝には帰る予定だ」
「大丈夫かな。今日の夜は結構天気が荒れるみたいだけども」
「向こうに着いたら納屋のほうで雨宿りできる。それに明日の夜から親が家に帰ってくるんで、あまり勝手なことができない。これは今のうちにできるチャレンジなんだ」


じゃあ行ってくるわ。


そういって彼はオンボロ小型船に乗り込み、後部にあるエンジンをかけた。そもそもエンジン式なのかも怪しい姿のそれだったが、しっかりとモーターは活動してくれるようだ。ブブブという鈍いエンジン音が波の音を消し去った。



持ち前の器用さなのか、海で暮らしてきた人間特有のそれなのかは不明だが、彼は慣れた操船で、朝焼けの海原へと繰り出した。離れて行く中、彼は一度だけ振り返り、私に手を振った。私も振り返して、私たちはどんどん遠ざかっていた。船の向かって行く先に、本の微かだが島の形が今更に見えた。あれが”あいつ”の言っていた離れ小島だろう。



しばらく”あいつ”を見送ってとうとう見えなくなった。海はまた静かな凪に戻り、朝焼けは少し青みがかかってきていた。そろそろ帰ろうかと背中を向けた瞬間、海の方から、なにか漠然とした吠え声のようなものが聞こえたのだった。私は気のせいかと思い海原の方を見た。しかし確かに聞こえた。それは”あいつ”の声にそっくりだった。その声に、一体どのような感情を込めたものなのか。悔しさなのか、達成感なのか、孤独なのか。当時の私には、いくら頭を捻っても出てこない答えのように思えた。

次回へ続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?