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(小説)笈の花かご #32

12章 人気者ヨシキタPT

4月中頃の日曜日のことである。 
ヨシキタPT(PT:理学療法士)の妻の母が亡くなった。彼は、週明けの月曜と火曜、仕事を休まなければならなくなった。 
(ザワザワ病院の方は、シフトの勤務だから、月曜の朝、電話を入れれば調整してくれるだろう。問題は、受持ちの水田登子さんだ。熱心に火曜日に通院している。予約もオレの勤務日かどうかチェック見ている。どうしようか) 
考えたあげく、ヨシキタPTはモクレン館に電話をかけることにした。 
 
電話に出た平戸事務員の対応は実に素っ気なかった。 
「水田登子さんをお願いします」と言うヨシキタPTに、 
「スイデントウコさん?」
すぐ小声で、 
「アア、イチョウさんね」と言った。 
(え?イチョウ?)
とヨシキタPTが戸惑っていると、 
「内線電話はありませんので、お部屋におつなぎ出来ません」 
と平戸事務員。 
(わざわざ調べて電話したのに、引き下がるもんか) 
「伝言をお願い出来ますか」と頼み込んだ。 
ヨシキタPTはやっと用件を伝えた。 
平戸事務職員は、電報の様なアッサリしたメモの内容を復唱した。 
【○月○日(火曜日)は、急用でお休みします。代わりはトウダPTになります。ヨシキタ】 
 
そのメモを持って、平戸事務員が、イチョウの部屋を訪ねて来た。 
彼女は開口一番、まずイチョウに質問した。 
「先ほど、ヨシキタという人から電話がありました。心当たりがありますか?」
イチョウがスンナリ、
「ザワザワ病院の理学療法士です」
と答えると、彼女はメモを差し出した。 
平戸事務職員は、 
「丁寧な方ですね……」
と言った。が、内心は
(何で、そこまでする?)
と心配していた。 
病院のカルテには、イチョウのケイタイ電話の番号がちゃんと記載されている。休日のヨシキタPTは、モクレン館の番号を調べ自宅からイチョウに電話したが、平戸事務職員は細かな経緯までは分からず、疑ってしまった。 

(そこまでするか)
とイチョウもいささか驚いた。 

ザワザワ病院では、いつも担当しているPTが急に休み、違うPT に変更になったとしても、文句をいう患者はいない。 
どこまでも親切なヨシキタPTであった。 
 
 

病院でもまたまたイチョウに

 
翌々週の火曜日は、いつものシフトに戻り、イチョウのリハビリ担当はヨシキタPT。 イチョウが
「わざわざご連絡をいただいて……」
と礼を言うと、ヨシキタPTは、それを遮るように
「モクレン館では、イチョウさんと呼ばれている?」 
(仕方がない)
イチョウは、結婚前からの通称名の由来を説明した。 
(くわしくは、笈の花かご #1  はじめに をご覧あれ) 
「いいね、イチョウさん!」 
ヨシキタPTは大発見をしたように喜んだ。 
急な休みをイチョウに伝えたい一心で、不愉快な対応をされたなどとは微塵も思っていない。 
以来、ヨシキタPTは、「イチョウさん」と呼びかけるようになった。 
ヨシキタPTから話を聞いて出張受付のカワヒラ職員までもが「イチョウさん」と声をかけるようになった。 

それから、イチョウとヨシキタPT、カワヒラ事務職員との交流は長く続くことになった。 
 
ヨシキタPTは、施術を始めると、いつものように自分から話し始めた。 
「オレ、モクレン館の近くをよく通るよ。先週は4回、西側を通過した。 
車で1回、自転車で1回、ジョギングスタイルで2回、走り抜けた」 
(イチョウさんは5階だったかな、どうしておいでかなあ……) 
と彼は、上の方を眺めながら通過した。 
モクレン館は、商店街の裏通りにあるが、交通量の多い十字路の角に建っている。西側の幹線道路は一日中、車の往来が激しい。 
歩道を歩く人も多い。 
イチョウは、彼の話を聞くと、 
「勤務時間が外れたら患者のことは忘れてください」と、静かに言った。 
 


図書館のイチョウさん


次のリハビリの時、ヨシキタPTは、とんでもない話を始めた。 
イチョウのソックリさんを見掛けたという。 
日曜日の昼下がり、ヨシキタPTは、車を転がして本多町の石川県立図書館の前にさしかかった。 
と、そこに、イチョウがいた。 
(イチョウさん? そんなはずがない) 
その時、ヨシキタPTは、道路脇に車を止めてシッカリとその女性を注視した。その人は、図書館の正面玄関の階段を登ろうとしていた。 
(杖をたよりにタクシーで通院しているイチョウさんが、長い階段を上がろうとしている! ) 
ヨシキタPTは驚いた。 
その女性は、薄紫の春の上着を着て、黒のリュックを背負っていた。 
姿格好はイチョウそっくりである。ただ、杖は持っていなかった。 

(間違いない。イチョウさんだよね)
とヨシキタPTは自分に言い聞かせた。が、すぐに、
(待てよ、イチョウさんはモクレン館。何の用があって、こんな遠くの図書館に?)
確信が揺らいだ。 
結局、ヨシキタPTは、その女性に声をかけずじまいであった。 
 

石川県立図書館は、イチョウには馴染みの場所である。 
かつては長年、月1回開催される読書会に参加。 
しかし、イチョウは、手すりを掴んでも正面玄関の階段に昇降することが困難になり、スロープのある裏口から出入りする。 
しかも読書会も、モクレン館に入居してからは不参加となった。 
イチョウがザワザワ病院に転医したのは、その後で、ヨシキタPTが図書館に出入りするイチョウを見るはずがない。 
ヨシキタPTが見掛けた女性は別人である。 
イチョウは、ヨシキタPTから、ソックリさんの話を聞いた時、内心
(アホか!)と思った。 
そこで、素っ気ない返事をした。 
「よそ見しないで運転してください」 
 

人気者である3つの訳

ヨシキタPTは、患者から「先生」という呼称を付けて呼びかけられる。「先生」は、病院では本来なら医師の尊称。 
しかも、文字通りだとしても年長者を指す。 
どちらにしても、少しおかしい。ザワザワ病院の患者の方がヨシキタPTよおりも遙かに年上である。 
そう、「先生」は、親しみやカラカイの気持ちを込めて呼ぶことがあるのだ。 
ザワザワ病院では、卒業してすぐの新人PTも 先生 と呼ばれる。 
最初、新人PTはそう呼ばれると面食らうが、すぐ馴れる。 
先生と呼ばれる程のアホでなし)
と、どうにか自分の中で折り合いを付けるのだ。 
 
さて、そのヨシキタPTの場合、患者が 先生 と呼びかける意味合いには、親しみがこもっている。決してカラカイの雰囲気はない。 
ヨシキタPTは、特に高齢の女性患者に人気がある。 
 先生様 と言う人もいる。無条件に尊敬されている。 
そして、1人ひとりが、私のヨシキタ先生  と思っている。 
 
彼は、施術しながら、患者とよく会話する。 
多くの患者は自分のことを色々と語る。誰もが聞いて貰いたいことが山ほどある。20分の施術中に、アレヤコレヤと会話を重ねて行く。彼は、 
「ウン、ウン、なるほど、なるほど……」
と患者の話を聞いている。 
その話をよく覚えていて、次のリハビリの時、 
「先週の話ね、あれからどうなった?」と、続きを促す。 
いい加減に相槌を打っている訳ではないのである。 
「私の話をチャンと聞いてくれる」と患者は喜ぶ。 
 
イチョウは、ヨシキタPTが患者に人気がある訳を3つ考えた。 
1つは、当然のことながら施術のうまさである。もう1つは、聞き上手であるということ。 
イチョウは、3つ目をよくよく考えた。 
彼は40歳になったばかり。多くの患者にとって息子というより孫に近い年齢である。マスクの下は推察するしかないが、見えている部分は眉目秀麗である。 イチョウは、女性患者がヨシキタPTを慕う訳は、その優しい眼差しにあると見た。 
 
イチョウが見つけた人気者である3つの訳を聞いたヨシキタPTは、平然と言ってのけた。 
「ハイ、ハイ、3つともが理学療法士の能力です」 
 

ヨシキタPTの後ろ姿 


イチョウが、ヨシキタPTに会えるのは、リハビリの施術中だけである。それも、週1回、たったの20分である。 
ヨシキタPTは、イチョウの暮らしには関心を示さない。 
かわりに2人の会話には、事故や事件がよく登場する。 
彼は、幼稚園児の通園バス置き忘れ事件について話したことがある。 
「痛ましい」
とヨシキタPTは心底、悲しげな顔をした。 
その様な会話の中に、彼のうちのエピソードがポツリ、ポツリと聞こえてくる。 
イチョウには、繋ぎ合わせると彼の複雑な家庭事情が垣間見えた。 
(つらいことがあったのね) 
ヨシキタPTは、祖父母と同居している。いや、祖父母の住む家にヨシキタPTの家族が移り住んだ。 
ヨシキタPTの両親は、すぐ近くに住んでいる。 
が、2人の住まいは別々である。離婚はしていない。 
(どういうこと? 何で、孫が爺と婆のお世話しているの?) 
 
 

 
イチョウはある日、リハビリフロアを歩いて行くヨシキタPTの後ろ姿を見かけた。初めて見る後ろ姿である。 
2、3歩の中に不自然な揺れが見て取れた。 
ほんの僅か脚を引きずっている。 
聞くか聞くまいかと逡巡しゅんじゅんしたあげく、好奇心を抑えきれず、イチョウは、 
「あのぉ」と、切り出した。 
「センセの歩き方、ちょっとだけ変だと思います」 
「ウン……」 
「百名山に登るのに、支障はないのですか」 
「ああ、山登りには全く支障はない」と、彼は返事した。 そして、 
「イチョウさんに気付かれない様に注意していたけど、見つかってしまったか」 
彼は、溜め息交じりに言って天井を見上げた。 
すぐにイチョウは、 
「申し訳ないことを聞いてしまいました。すみません」
と謝った。 
「いや、いつかは話すことになると思ってました」 
彼は、ホッとした表情に変わった。 
思いがけない展開になった。 
 
ヨシキタPTは、高校1年の夏休み中にバイク事故を起こした。 
「ヤケになって、バイクをぶっ飛ばしていた時期があってネ。 深夜、山の中を猛スピードでぶっ飛ばしていて、カーブを曲がり損ね、バイクもろとも深い谷底に転がり落ちてしまったんだ。墜ちて行きながら、 これで人生が終わりかと思ったね」 
 
その後の様子を彼は、次の様に語った。 
たまたま、後続車が気付いてくれたので命拾いした。 
骨盤骨折の大けがで、3ヶ月の入院治療を要することになった。 
長時間に及ぶ手術を受けた。 
その後、リハビリ期間を経て、やっと、高校に復学した。 
その時のリハビリで、1人のセラピストに出会った。 
その人は白髪まじりの男性で、まるで父親のように彼に接した。 
慰め励まし、時に叱りつけた。 
「その人のお陰で、立ち直れたんだ」 
(ひょっとして、その出会いが、理学療法士への道に繋がったのかしら……) 
鬱屈した高校生であった理由を、彼は語ることはなかった。 
イチョウも訊かない。 
青春の迷い と簡単に片付けられるような話ではないとイチョウは推察したのだ。 
 
つらい話は、その時1回切りで終わった。 
次のリハビリからは、彼は、祖父母のことを語った。 
特に爺様のことを、いとしげに語ることが多くなった。 
「優しい人でね」
と爺様のことを話す時のヨシキタPTの眼差しは、一層、温和になる。 
「爺様は、朝4時起きで畑に出るので、オレも付き合って畑に出ている」 
「冬場は真っ暗ではありませんか?」
とイチョウ。 
「ウン、畑に小屋を作って、発電機を用意した。あかりを点けている」 
(ようやるよ。あなた、チャンと寝ているの……) 
 
イチョウは彼の語ることのない部分に闇が広がっていると察知した。 
知りたがりのイチョウであるが、その闇の部分へ関わることは避けた。 
(人は誰しも、口にしたくない禍々まがまがしい思いを抱えて生きている) 
イチョウは、リハビリが終了するとヨシキタPTのことを忘れることにした。 
(週1回の楽しいリハビリが続けば、それでいい) 
 


 次の章、イチョウとヨシキタPTの思わぬ展開になった話が出て来ます。 
 

→(小説)笈の花かご #33
13章 君が袖降る(1) へ続く


(小説)笈の花かご #32 12章 人気者ヨシキタPT
をお読みいただきましてありがとうございました
2023年10月21日#1 連載開始
著:田嶋 静  Tajima Shizuka
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