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【 小説 】 「 春嵐 」 #5 ( 全文無料 )( 投げ銭スタイル )

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第4章 船山院長と咲子夫妻に男児誕生



船山和雄院長と咲子夫婦に、めでたく男児が誕生した。
お七夜の祝いは賑々しく、宴も華やかに執り行われた。
船山産婦人科クリニックの後継者になるかもしれない長男の誕生である。
自宅の八畳二間の境の襖を取り払い、祝宴の長テーブルを並べ
仕出屋  川魚屋 から特別料理が運び込まれた。
咲子さんの両親と船山和雄院長の両親、院長の弟2人が列席した。
いずれも医師で、船山院長の次弟は、国立チョウサキ大学医学部の消化器外科の助手、末弟は同じ大学の眼科の助手として研鑽けんさん中である。
クリニックの職員には祝のお重と金一封が配られた。
多川節子は、男児を取り上げた助産婦として祝いの膳が用意された。

平安の昔、藤原道長の娘・彰子に皇子おとこみこが誕生した時
道長の喜びは、このような様ではなかったか。
道長は   
この世をば わが世とぞ 思う 
望月の 欠けたることのなしと思えば

と詠ったとか。
船山院長は詠うことはなかったが、それぞれの両親と弟たちから
「 おめでとう 」
と祝福を浴びせられると、感極まり、今にも泣かんばかりの様になって、
「 おかげさまで、ありがとう、ありがとう 」
と感謝の言葉を繰り返した。
少量の祝い酒に酔い、ふらつきながら列席者に勺をして回った。

宴果てて後、咲子さんの両親が、改めて院長夫妻に話しを始めた。
横に30歳ぐらいの女性がいる。
宴のさなかは、咲子さんやハツさんと共に居間で祝い膳に向かっていた。
「 これは、遠縁の遠藤ノブ子です。ハツと交代をさせます 」
船山院長は、前からバーヤの交代を相談されていたが
咲子さんは初耳だったらしく、驚いて声を上げた。
「 ハツは、長く咲子の世話をしてくれました。
   今度は、新しい人に変わって、船山家のお子をお世話することになります 」
父親は咲子さんに諭すようにいった。
母親も隣で頷いている。

「 咲子お嬢様、長らくお世話になりました 」
ハツは、気丈に挨拶をした。
その夜遅く、咲子さんの両親と共に故郷へ戻っていった。
覚悟するところがあったのか、或いは平素の慎ましい暮らしぶりか
身の回りの品は少なく、咲子さんに付いてきた時と同じトランク1個と
手提げ袋1個をもって去っていった。

昔々、お屋敷といわれる大所帯の家では
家長夫妻に子供が誕生するとバーヤが付いて、その家の子の世話をした。
家うちを切り盛りしていく家長の妻は多忙で
バーヤの援助なしには子育ては困難であった。
バーヤといっても、乳母のような役目からスタートするから当初は若い。


咲子さんの両親は30歳の時、内科医院を開院した。
夫婦は、開院の準備段階から、出産を計画していた。
妊娠がわかるとすぐ、知人からの紹介でハツさんを雇い、出産に備えた。 ハツさんは、住み込みで船山家のうちのことをしながら
赤子の誕生を待った。
自宅分娩であった。
ハツさんは、生れてすぐの赤子・咲子チャンを託された。
ハツさんはしっかり受け止めた。

ハツさんの働きぶりは献身的であった。
幼い咲子チャンが、はじめて言葉を発したのは、ハツさんへの呼びかけであった。
「 おかあ(さん)…… 」と。
ハツさんは、
「 いいのでしょうか 」
と戸惑いながらも喜んだ。
すぐに、咲子チャンは、母親には 「 ママ! 」 と呼びかけた。


納戸の横のハツさんがいた居室はきれいに掃き清めてあった。
咲子さんはしばらく放心状態であったが
新生児は周りのことなどお構いなしである。
おむつが濡れた、うんちが出る、お乳がほしいと泣きわめいて
親をきりきり舞いさせる。
ともかく赤子の面倒をみないといけない。
ノブ子さんは、一度、お嫁に行き、子をなしたことがあり、
すぐに赤子の扱いに慣れ、船山家の暮らしに順応した。


長男は大智だいちと命名された。
溢れる母乳を飲んではぐっすり眠り、順調に育っていった。
咲子さんの回復ぶりも早く、当時8週間と考えられていた産後の養生期間を
5週間で切り上げて平素の暮らしに戻った。

宮参りには、咲子さんの母親が再び来県し世話をしながら
城山台の立岩神社にお参りした。
丁度その時、船山産婦人科クリニックは連日連夜の出産ラッシュで、船山院長と節子は、短い仮眠しかとれない日々を続けていた。
宮参りはすべて祖母とノブ子さんが仕切り
咲子さんと初孫の大智を美しく飾りたてた。
咲子さんの母親は、繁盛する船山産婦人科クリニックを身近に見て
娘と孫の幸せを実感し喜びにふるえた。

そんな慌ただしい中、船山院長が、
「 松田の奥さんが妊娠しているらしいよ 」
小さな声で節子に告げた。
( 聞きたくもない! )
顔をそむけていると、
悪阻つわりがひどい 」
(こんな忙しい中で、どこから仕入れた話?)
鬱陶しく思って、返事はしないでいると
「 韮山教授は、大学病院に移して自分の所で経過を見ることにしたんだ 」
( 九龍会病院では心許ないのかしら? 
     吾郎は、信頼されていないとでもいうの? )
色々な思いが輻輳ふくそうする。
「 42歳の身体だ。悪阻は段々強くなって、白湯さえ受け付けず
   点滴でどう.  にか持たせている  」
船山院長の話はかなり具体的だ。
「  教授は、マン助を中心にしたグループにあれこれ指図している。
    心配だ 」
( マン助にねえ…… )
マン助は、いく所のない万年助教の仲間内の呼び方である。
節子は、忘れかけていたマン助のことを思い出した。
平素は穏やかな人柄の医師であるが、彼は、修羅場に弱い。
難産になるとアタフタして頼りにならないところがあった。
出産は、突然、生死を分ける展開となることがある。
瞬時に適切な判断が求められる。
( マン助で、いいのだろうか…… )
節子は心配になってきた。
船山院長と松田は、これまでの現場でハッキリと
マン助の医師としての能力を知っているはずである。
節子は、肝心の所で外された松田吾郎を痛ましいと思った。

松田の妻・華子さんは、教室関係者の懸命の手当で臨月まで頑張ったが
誰の目にもお産は危険そのものに思われた。
韮山教授は帝王切開で我子と腹の子の双方を助けようとしたが
手遅れであった。
華子さんは、分娩室に運び込まれたところで力尽き
母子ともに亡くなってしまった。

船山院長は、あれやこれやと辛い知らせを節子にもたらした。
そして深い悲しみと共に、
「松田はどうしているだろう」
と呟いた。
節子も、松田を気の毒に思った。
そして、小学校4年生の担任であった林 華子先生の不幸な生涯を
痛ましく思った。


それから程なくして、産婦人学科教室の韮山市郎教授は
定年で大学を去った。
新任の教授は隣県の国立チョウサキ大学から着任した。
こうなると医局は大きく変わる。
万年助教授や古参の専任講師などの医師たちは
それぞれの赴任先を紹介されて教室を去った。

すぐに、東西医科大学の産婦人科教室は、新任の教授を中心に動き出した。すると、船山院長は、またもや節子に松田吾郎の情報を持ってきた。
「 松田は、九龍会病院の万里 海院長に辞任を申し出ているそうだ。 
  院長は後任が決まるまでと言って引き留めているらしいが
   いずれ退職することになるだろう 」
節子の胸がキリキリと痛んだ。
( 松田吾郎はひとりぼっち、どこへ行こうとしているのか )
「 …… 」
船山院長は視線を合わせない。
俯いて黙り込んでいる。


次回 「 春嵐 #6 」 第5章 多川節子の休暇   へ続く……



  著:田嶋 静  Tajima Shizuka
【オリジナル小説】「春嵐 #5」 第4章 船山院長と咲子夫妻に男児誕生 【終わり】

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