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(10)国家予算と防衛費を、臨機応変に変えてみる。

3市を代表してスービック市 市長の演説が終わると、市民参加によるパレードが始まった。パレードの先頭は、民族衣装を纏った3市の市役所の職員達だ。スペイン統治前、スペイン統治時代、アメリカ統治から、日本統治時代へ。バターン半島死の行軍、レイテ沖海戦の映像が、通りに並べられた大型ディスプレイに投影される。オロンガポ市長が扮したマッカーサーが、コレヒドール島へ再上陸し、アメリカ統治時代へ再び転ずる。 衣装は全て、Rs社が再現して、市役所職員に支給した。兵士役が抱えているライフル銃や、日本軍に抵抗した部族民が手に持つ槍や弓、山刀も弾丸は拔いて、刃も丸められた兵器が、中南米軍から支給された。

再び米軍基地となったスービック、クラークが近代的な装備が施され、ベトナム戦争への中継基地となってゆく。沖縄、グアム同様に米軍のアジア方面部隊の役割を担ってゆく・・そんな歴史を経て、研究学園都市として生まれ変わった今、ロボットのジュリアと手を繋いだ子供達、サンドバギーに乗って沿道の人々に手を振る子供達の列が続く。子供達は 日本に屈しなかったイゴロット族のカラフルな民族衣装を纏い、場に一体感を打ち出している。                   時刻は18時半を過ぎ、次第に闇が濃くなり始めていた。気温の高い日中を避けて夜間のパレードにしたのだが、メイン通りは特殊な樹脂で覆われ、日中の太陽光発電で充電された蓄電池で、冷凍倉庫で使われる冷凍機が冷気を送り込む。外気30度に対して、バルーン内は25度に保たれ、湿度も除かれている。左右の歩道にはパレードを見学に来た市民の群れがあり、広い歩道の後方のスペースには出店が立ち並び、ナイト・マーケットが行われている。今後、第二第四土曜日の晩にナイト・マーケットが雨よけと冷気の中で開催される。 タイやベトナム、台湾のナイト・マーケットと大きく異なるのは、自然電力をふんだんに使った涼しい環境下で、夜店を楽しめるという点だ。

パレードを伴う式典と知った市民は、当初は懸念した。炎天下でのパレードは人間には不向き、相応しくないと誰もが思った。しかし、夕方の開催で冷房が通りを覆うのならば問題無いと肯定的に受け止めていた。この式典自体をプロデュースしたのが、広告代理業務も請け負うAngle社のアン社長で、通りを冷気で満たして快適な環境下でパレードを行い、設備の再利用でナイト・マーケットを考案したのが、プルシアンブルー社 樹里副会長の姉妹コンビだと知り、モリは頭を下げ続けた。        杏と樹里がルソン島にやって来た理由が、ちゃんとあったのだ。プルシアンブルー社も屋台を所々で出しており、コンビニの惣菜や菓子を、祭りだと無償で配っていた。物凄い物量を用意したので、全市民に配っても無くならない量だと言う。樹里はチェンマイ、ホーチミン、台北の屋台街を凌駕する規模を近い将来目指すと言うのだが、東南アジアで空調の効いた環境下であれば、夕涼みにやって来る市民も居るだろうし、雨季でスコールがやって来ても、樹脂が屋根代わりになるので通りが雨に濡れることは無い。このバルーン、沈船を引き上げる際に船内で膨らませる樹脂を大型化して利用している。「台風が来たときだけかな、ナイト・マーケットが中止になるのは?」と、樹里がモリの隣で胸を張る。   防犯、スリ対策で通りの所々に監視カメラが設置され、ロボットが至る所で警備に当たっている。     「ねぇ、世界一安全な屋台街だよ。カラカスとリオデジャネイロ、サンパウロでも、このシステム導入しない?」とちゃっかりと売り込んでくる。

歓声が一際大きくなって驚いたのが、祇園の山鉾が歩行者天国となったメイン通りをゆっくりと進んでくる。浴衣姿の女性達が乗っているので、まさかとは思ったが・・日本の前首相、元首相、外相に、都市デザインを担当したヴェロニカがフィリピンの国旗を両手に持って、沿道の人々に笑顔を振りまいている。

「 あれ 考えたの、誰?」山鉾巡行に視線を当てたまま樹里に問いかける。時代祭から祇園祭へと、京の祭りをイメージしたのだろうか?宮廷文化を模倣すれば、葵祭も加わる。京の三大祭のまるパクリ・・

「京女のさっちゃんに決まってるでしょう。山鉾と船鉾をね、完璧に再現したんだって。さっちゃんが京都で図面を手に入れて、骨格はチタンを使って耐久性を向上させて軽量化しているから、本物よりも長持ちするハズ。それとね、京都みたいに市民が引っ張る必要が無いの。大型トラクターの水素ロータリーエンジンを積んでて、リモコン操縦で動く。当社のテクノロジーが搭載されてる最新式。雨天時仕様モデルとか言って、京都市に逆提案出来るかも」 と得意気に笑う。         なるほど、水素ロータリーなら静粛性も高い。祇園祭モデルだけではなく、ねぶたモデルもいいかもと一瞬思って、自らの発想を否定する。山車はフィリピン的なものの方が、良い。なんだろう?巨大なレチャンの模型、ブタの丸焼きとか、迫力満点のトラの模型とかになるのだろうか、まぁ、市民にアイディアを募ったほうがいいだろう、巨大なブタやトラの模型ではあまりにも芸が無い・・              

船鉾には、日本の祭りの半被を纏ったウチのコたちが乗っている。玲子と彩乃、あゆみが浴衣を着て、人型ロボットと共に、子供たちの監視をしている。樹里の姉の杏がカメラを回している。Angle社のニュース映像に使うのだろうか・・。               「社長自らが撮影するって、何なのさ?」      船鉾に向かって樹里が手を振って、声を掛けているので、耳元に口を寄せて訊ねる。          「うーん、今まで内緒にしてたんだ、ごめんね。お姉ちゃんね、Angle社を辞めるんだよ。これが最後の仕事になる。後任の社長はママのスッチーの後輩に託す予定」          

驚いた、その手の話であれば相談があるはずだが・・まさか・・。        

「黙っててごめんね、驚いたよね。そう、お察しの通りだよ。イタリア政界入りしたママの跡を継いで、お姉ちゃんが宮城の衆院補選に立候補する。社長の肩書でも十分だけどさ、先生とママの七光りで当選は確実になるから、誰かさんが賛同してくれないかもしれないねって。それで、こっそりと計画してたの・・」

確かに立候補すれば、社会党初の2世議員・・いや、もとい太朗と治郎は2世議員の扱いになるのか・・治郎の方が親より先に政治家になったとはいえ・・とすれば、今更ダメだとも言えない・・ 

「許してくれる?」 樹里はコレを伝える為に山車に乗らなかったんだな、と悟った。モリを籠絡する為に、この数日猛烈なサービスに徹したのかもしれない。

「許すも何も、どうせ決定事項なんだろ?」諦めた顔をしてみせると、ゆっくりと頭を下げる。 

「ありがと。よし、人身御供になった効果が出たぞぉー」浴衣の胸を僅かに肌けて、白い下着を見せる。モリとの身長差を考慮した、絶妙の角度だった。

「そういうテクニックはさ、何処で覚えるんだよ」 

「女はね、この程度のモノは自然と身に付けてるの」 そう、下から見上げてきた。     

「爺さん相手に何やってるんだ?」と言いそうになって、結局言葉を飲み込んだ。

ーー

スービック市で開催された式典やパレードの模様が、フィリピンの19時のニュースでライブ中継される。ナイト・マーケットはフィリピンとしては最大級となり、全天候型対応可で空調が効いている屋台街は世界初、と報じられた。スービックに加えて、オロンガポ、アンヘレスの3市に日本の資本が投じられて、宇宙進出の拠点、研究学術都市へ様変わりした映像で纏められていた。

週が明けると、フィリピンのルソン島西部に投じられた資金が、日本円で数十兆円に登るのではないかとも言われ始める。4月からの2040年度予算を論じている国会で、日本の防衛省が20年ぶりに緊縮財政案を財務省に提示した旨が伝えられ、この情報が世界を駆け巡る。 

中南米軍に海外防衛支援を委ねたので、GDP1%枠内を日本政府が公言していた。約30兆円と目されていた防衛予算が、今年度は4兆円で提示してきたので騒ぎとなった。緊縮予算を計上した理由が、宇宙開発分の費用を捻出する為に本年度は防衛品の購入を止め、自衛官の給与、各基地、駐屯地の飲食食糧費、訓練用弾薬等で1兆円、3兆円は日本各地の自衛隊病院運用費、医療用設備更新、医薬品用途に大きく区分けしたと言う。    日本を取り巻く紛争要因が見当たらず、極めて平和な環境なので、兵器・装備品は現状のものを利用するとして、本年度は予算を宇宙開発に振り分けるように財務省に求めたと防衛省幹部の発言も加えられていた。   そこで、差額の20数兆円がフィリピンに投じられたのではないか?と解釈された。それだけ大規模な都市開発事業となったと専門家が分析した数値も裏付け情報として添付されていた。日本の防衛予算の話題が先行してフィリピンへの投資話が霞んでしまったのも、軍事力試算で世界3位、4位とも言われる自衛隊が、防衛費を事実上放棄した年は、北前社会党が与党となった年、以来となる。当時は防衛費よりも落ち込んだ経済のテコ入れに投じた為だったが、今回は宇宙開発の補填として、与党は再び防衛費を下げて見せた。

中南米軍と北朝鮮軍があるとは言え、兵器武器類の購入を一切行わないのは日本を仮想敵国としている国には想定外だったようだ。年度予算を組んでいるのは日本と北朝鮮くらいしかなく、他国は既に年初から2040年の予算が始まっている。軍事予算を落とした国など何処にも無い、4月スタートという日本独特の年度予算のズレを巧みに使った一手と言える。昨年は自衛隊存続の是非について議論し続けていたかと思えば、各国が予算編成に当っていた時期に自衛隊存続を決断して、各国は国防予算を引き上げた。自衛隊と中南米軍に追い付く選択を取り、その分社会保障費や経済対策の費用がおざなりになった。蓋を開けたら、防衛費の大幅削減に打って出た。1年やそこらで軍事力のキャッチアップは出来ないと言う読みも多分にあるのは否めないが、ドラスティックに防衛費を変えて見せる日本に、周辺国はジタンダを踏む。忘れてならないのは、米中の軍事費は2月時点でほぼ使い尽くしている実態が露呈している。軍事用オイルプラントに巣食ったバクテリア被害の損失は、米中の軍事力を麻痺させ、更に米英仏、中国の軍事衛星は破壊されたままだ。4国が緊急特別予算を組んで、元の状態に戻そうと足掻いているのを尻目に、「潜在的な脅威は認められない、至って平和だ」と言い放つ。      かなり、腹立たしく思っているに違いない。   

ーー

グアム島、サイパン島に中南米軍の警備ロボットが配置されると、渡航自粛要請が出ていても「安心」と判断され、日本人を始めとする旅行者が身近なリゾートを目指して、移動を始めていた。学生達にしてみれば丁度春休みの時期でもある。     

時給が世界一高い日本の学生の懐は暖かかった。50年前のモリの学生時代のバブル期を彷彿させる「バックパッカー」という呼称が近年では復活し、世界中を旅する日本の若者が増加する傾向にある。米中の2カ国だけは相も変わらず「渡航禁止」扱いになっていたが、統治領のグアム・サイパンは日本からも近く、手頃なリゾート地として受け入れられ、年配層や家族連れには、ハワイは根強い人気を集めていた。強い円を手に、旅に出る人々が増え、国内の旅行業界は活況を呈していた。

その南太平洋のアメリカ統治の島々で変化が生じていた。目立つのが、アメリカ本土で就業し、留学していた中国人の存在だった。アジア人種蔑視がアメリカの国内騒動に合わせるように顕在化し、アメリカ本土を一旦離れて、観光地で騒乱が止むまで一時的な退避を決めた中国人がかなり居る。土地面積の狭い諸島国家では、中国人だらけのようにも見えた。中国人が集まった背景には観光客の需要が高まっているのでパートタイム労働者も含めて、就業案件が数多くあるというのが大きかった。何しろ「英語が話せれば問題無し」と見なされるレベルの雇用条件だった。 南太平洋諸国は日本資本の進出が急増しており、日本人にとっては利便性の向上した事も有って、日本人やASEANの旅行者が毎年のように更新し、観光客需要を見込んだ仕事や業務が幾らでもあった。地元の観光産業では人手が足りなかったので、英語の話せる留学生や社会人は、人種を問わず歓迎された。安宿に宿泊したり、中国人同士で共同でアパートメントに居住すれば、アルバイト収入で生活が出来た。   中国国内の経済事情から、国に帰っても仕事に就ける可能性は低いので、太平洋諸国に留まる選択を取るのが主流となっていた。    

日本の総務省、国土交通省は春休みに海外に向かう学生に向けて、注意喚起のアナウンスを送っていた。旅行先で日本人がトラブルに巻き込まれるケースが散見されたからだ。経済好調で最低賃金が2000円を超え、円が史上最強通貨となり、学生ですら相応の金を持っている日本人が狙われるのは当然とみなされていた。     政府は海外経験の少ない人々にはパックツアーを奨め、少数や一人旅での行動を慎むようにアナウンスした。しかし、各地の日本大使館へのパスポート再発行数や、旅行保険の障害支払い件数も年々増加傾向にある。

国が成長を遂げる過程で、経済成長に関与する層と、国の看板に全く見合わない階層が生まれるのは、避けられなかった。世界一安全な国で学び、温室栽培のような環境で育った世代だ。騙される事に慣れていないので、悪意を秘めた輩には、格好の標的と見做されてしまう。 モリの若い頃、バブル期と同じ事件が繰り返される。バリ島ではビーチボーイに騙され、インドでは身ぐるみ剥がされて路頭に放り出され、マレーシア、シンガポールでは何故かカバンから麻薬が出てきて逮捕され、高額請求される、シンガポールは賄賂が通用しないので、投獄される。未来ある若者には大打撃となる・・。    時代が変わっても、同じような事件やトラブルのケースが散見されるので、呆れるしかなかった。                                トラブルが比較的少ないとされてきたのが、ハワイ、グアム、サイパンとされ、初心者向けの定番だったのだがアメリカ本土の騒乱を受けて、銃や薬物が今まで以上に持ち運び込まれ、犯罪件数は増えていた。     カモとなる日本人が多い事も、誰もが知っていた。日本人旅行者の攻略方法などがマニュアル化がされているとまでは想定していなかったが。     

「1度はハワイに行ってみよう!」 大学が春休みでありながら、所属する研究所が請け負った中南米諸国連合の仕事をこなした3人組がタヒチでバカンスするのに当たって、寄り道してオワフ島に到着し、フラウの母親がデザインしたホテルに投宿していた。

学生の身分で見れば不適だが、それぞれが研究者として成果を上げて、社会人としては高給取りという御身分なので、ヴェロニカも宿泊許可を出したらしい。    ヴェロニカが手配したからなのか、3人同室の部屋には大きなフルーツバスケットと、滞在中の施設の各種無料チケットが積まれていた。果物を食べて腹の膨れた3人組は、溶けるように爆睡した後で、街にノコノコと繰り出した。頭上には警備用の静音ドローンが飛んでいるが、空に溶け込む塗装が施されているので誰も気付かなかった。

遅い昼食を取ろうと入った店で、スペイン生活で飲酒の習慣を見に付けたフラウがビールを飲む姿に、歳が一つ上の双子姉妹が「なんかカッコイイな」「絵になるな」と思いながらも、今回はパスしようと踏み止まる。2人はコーラと果物ジュースを頼んでいた。年齢的なものは外観から判別しづらい、大人びた雰囲気を纒った3人組だった。中身は17と16の小娘に過ぎないのだが・・

茜がロコモコを食べ、遥がハンバーガー、フラウがカレーライスを食べていた。メニュー的には高校生らしさを滲ませていた。        

「入学したら、サッカー部に入るんでしょ?」 姪っ子の金髪が風にそよぐ様を見惚れながら訊ねる。                     「うん、監督達が待ち構えてるみたいだからね・・あ、2人も入らない?」            「え?」 フラウが何気なく言った一言が、茜には否定形の表情となり、遥にはやや肯定的なイメージが浮かんでいた。           

「2人とも、体を動かした方がいいよ。パパが代表クラスの選手なんだしさ」    

「むむむ・・」茜が険しい顔になっていると、   「体験入部してみよっかな」と妹が言うので茜が驚いた。

「あ、あんたねぇ・・」と突っかかろうとして、遥の体力なら有り得るかもと思いながら続く言葉が言い澱んでしまう。フラウは咀嚼しながら、遥に向かってフンフンと頷いて喜んでいる。           

3人は気付かなかったが、大衆向けの店舗で日本語を話す3人組に目を付けた連中が、何組も居た。「カモが現れた」と、各組でそれぞれがほくそ笑みながら、役割分担を決めようとしていた。

 (つづく) 

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そうなったら、誰もが笑うだろう。「珍国や」と・・

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