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(6)世代を重ねなければ、分からない事

 朝靄が残る研究都市の街中を、イタリアンデザインの電動スクーターに先導され、一台のロードランナーが追走してゆく。国の研究所がそこかしこに点在し、ブロックごとに区画も整理されている、そんなエリアをそれなりのスピードを維持しながら、AIがデザインしたウエアと頭部保護ヘルメットを纏ったフラウが走り回っていた。場所が場所なのと、早朝という時間帯なので一般車両も走っていない。気を付けなければならないのは、各研究所へ、新聞や牛乳を宅配しているロボットくらいだろうか。それでも彼らのほうが避けてくれるだろうが。時間帯とエリア的な要素が絡んで、朝と夜は無人に近いこの区画に、目を付ける人は少なからず居て、ランニング中の人達も散見される。研究者であり、近隣にお住いの方々だろうか。フラウはスペインのクラブチーム在籍時の習慣で、自転車をランニングの代わりに早朝トレーニングに取り入れていた。トレーナーでもあるロボットのアンナはジョギングは出来ないので、女子の護衛役を兼ねて、スクーターに乗せていた。アンナを先導役として使う理由は信号で止まらないと言うところだ。このエリアの各信号機の配置情報をマッピングし、各信号が赤信号に切替わるタイミングを把握しながらコースを決めてゆく。それ故に止まる必要が無かった。 信号機が無く、一時停止が必要な交差点では、後方のフラウにサインを出して、バイクの速度を上げて、自身は一旦停止する。フラウの道路交通法違反に該当するが、周囲に警察が居ないのを察知しているし、左右前後に車両も歩行者も居ない事を確認すると、フラウにサインを出して、そのまま交差点に進入させる。フラウの叔母が創業した自転車メーカーから、ロードマシーンと、母がデザインしたV社のような往年の姿に似たスクーターを貰えたのが、一番大きな理由だったのかもしれない。GWを過ぎたら、入寮する従姉妹の遥と一緒にライドしてもいいし、ランニングするのもいいだろうと考えていた。                              フラウのスマートウオッチが計測する心拍数や呼吸数の状態データをアンナが受け取り、ペースやコースを決めてゆく。随分 恵まれたトレーニング環境だが、ベネズエラの各競技の代表選手達にも、アンナと同じタイプのロボットが支給されており、選手の専任トレーナーとして一人一人をサポートしている。自宅ではコックに様変わりして、選手の栄養管理をし、体調健康面の全般を見ている。このトレーナーAIは介護AIの派生プログラムとして生まれた。考案したのは、ベネズエラの厚労相経験者の越山大統領、幸乃総務相だった。スポーツ庁管轄のAIに、ロボット経由で各競技の選手達のデータが集まってくる。代表選手ともなれば、数値もそれなりのものになるので、サンプルデータとしても貴重で、有益な内容となる。競技ごと、選手ごとに練習内容も異なるのだが、その各選手の練習メニューをAIが解析し、「あなたに向いた練習メニュー」を用意するようになる。一例として、3年前にサッカーのベネズエラ代表選手に選出された、杜 火垂と歩の兄弟は、齢30を過ぎてから齎された新しい練習内容によって、選手としてランクアップした。当の本人達は、もっと若い頃に体験したかったと悔しがったほどだ。加齢による体力低下、身体能力の低下を感じ始めていた頃だけに、覚醒したような感覚になったという。AIプログラムは2人に対して、水泳、水球、ハンドボール、自転車、陸上、体操等の代表選手達の練習メニューを付加していった。サッカー選手は自然に下半身が強化される。選手によっては、利き足によって、左右の足の筋力の違いを生み、体の左右のバランスにズレが生じてしまう。杜兄弟は左右の足を遜色無く使えるとは言え、完全な両刀使いとは言えない。左右でも違いはどうしても生じる。ハンドボールや水球をAIが指定してきたのは大きな理由があった。ハンドボールのシュートでは、球を投げる際に、球を持つ腕と逆の足で跳躍して投げるのだが、野球に慣れ親しんだ日本人、ベネズエラ人には取り分け違和感がある。右投げなら右足に体重を乗せて軸足状態となって投球モーションに入ってゆく。左投げなら左足が軸となる。これがハンドボールでは、野球と軸足が逆になる。兄弟2人の場合は右投げなので、シュートの際は左足で跳躍し、地面に着地する前に上体の背筋や胸筋を使って、右腕を振り抜くという一連の動きが必要となる。これが最初は不思議とうまく行かなかった。どうしてもバランスが崩れて、全力で球を放る事が出来なかった。小学生時代に、ピッチャーを奪い合った兄弟には、尚更違和感があった。暫く数日間は、左足でジャンプしてハンドボールを床に叩きつける動作を繰り返していた。それが身につくと、兄弟は覚醒してゆく。元々、ピッチャーのエースの座を巡って兄弟喧嘩を繰り返した2人だ。肩は良い。放る球も見事なものだった。しかも、狙うのは小さいとはいえゴールだ。ご丁寧にキーパーまで居る。キーパーとの駆け引きならば、お手の物だった。兄弟のコンビネーションで、ベネズエラハンドボール代表チームをいきなり蹴散らしていった。水球はまた別物だった。とてもではないが代表選手には叶わない。背筋や腹筋を使う投法はハンドボールと似ているが、立ち泳ぎし続ける持久力は、別次元のものがある。どうしても真似出来ないのは、筋力を付けるために水球もハンドボールも選手達の食事の量が半端ではないのだが、それはAIも「ほどほどに」「同じ事はしてはいけない」と指示してきた。兄弟はハンドボールでオリンピックを目指してみようかと、2人で真面目に悩んだほどだった。そこにスイミングが重なり、体の左右のバランス・軸を支える筋力が変わって、2人の体幹が更に強化された。実際にサッカーに戻ると、今までとは大きく変わった。ぶつかってくる相手を今まで以上に恐れなくなった。力負けする局面が殆ど無くなってしまった。「相手を嘲笑うかのように躱して、いなす」が兄弟の持ち味でもあったのだが、そこにパワープレイが加わり「強行突破」が出来るようになった。これはいいと、弟達に広めていった。賛同が得られると、スペインのバレンシアFCと北朝鮮のTCスティーラーズの練習場施設に、体育館と室内プールが建設され、雨天時の練習メニューに加えられた。           2036年のオリンピックでは、ベネズエラ勢は躍進を遂げる。女子バスケと女子サッカーで金メダルを取ると、銀銅のメダルは20個を越えた。野球とサッカーも躍進し、銅メダルを獲得する。ベネズエラが出場した競技種目は少ないのだが、メダル獲得率と各競技10位内の入賞率が7割と驚異的な成績となったのも、AIロボット導入効果だと話題となった。選手がロボットと喜び合っている不思議な映像があちこちで見られた。何故、日本はロボットを使わなかったのか?と比較されたのだが、理由の一つに、日本人は節操が無いのと、選択と集中が極めて苦手だ。「出場すること、参加することに意義がある」と、惨敗が確定している競技にまで選手を派遣する。これも各競技の協会の顔を立てる為だ。もし、全ての日本代表選手にロボットを支給すると、それだけでコストが掛かる。AIを競技ごとに開発して揃えるには、次の40年の大会まで到底間に合わない。日本のIOCが決断できず、いつもと同じようにブレまくり、躊躇しまくっている間に、有能なAIを持つベネズエラは、同胞に足枷を掛けるかのように日本の特許庁に特許を申請して、日本の開発の可能性の道を閉ざしてしまう。ベネズエラからすれば、敵は少ないほうがいいのは自明の理だ。JOCが躊躇するのも理由がある。各競技の各選手毎にコーチやトレーナー等の大勢のスタッフをそれぞれ抱えている。各競技の協会にすれば、現役選手を囲むコーチ、スタッフは、元選手やOBの仕事場でもあるので、AI導入に踏む込めない。AIとロボットに置き換わってしまうと、競技人口が益々減りかねない、という背景や判断が重なってAI導入に踏み込めなかった。日本の産業構造の特徴でもあった護送船団方式の悪しき名残が、日本のスポーツ界には未だに蔓延って居る。また、軍隊まがいの熱血スポ根の世界に陥りがちなのも、日本ならではの風習だ。日本の伝統的な格闘系競技は、特に上下関係が重要視され、閉鎖的な派閥、学閥があるので、IT導入やデータ解析に対する理解度が低く、浸透しない。根性や気合が最優先で、指導育成法に長けた現代的なコーチは極めて少なく、理論的で実戦向きのコーチは、選手間で奪い合いとなる。選手としての実績があるコーチだったとしても、競技IQ値の高い人材は極めて少ない。野球やサッカー選手が、引退後に全員が指導者になれるわけでもない。教える側に転じても、競技IQが低いので語彙も乏しく、内容も感覚的なものを重視しがちで抽象的、結局根性論を説いて、具体的なアドバイスの出来ない指導に終始しがちとなるのが、日本だ。日本では、結局は選手の能力次第、メダルの取れる選手だけが競技IQ自体が高い傾向にある。個々の選手の特徴を見抜いて、具体的な指導が出来る者は極めて少数だ。今の状態を維持しておけば、ベネズエラがメダル数で日本を上回るのは時間の問題だろう。ベネズエラは来年40年のカイロオリンピックでは、メダルの倍増を狙っていた。              そんな背景があって、スペインでの練習環境から、フラウにもハンドボール、水球、水泳、陸上競技、体操の経験が浅く広くある。大学のサッカー部には、通っている土浦市内の高校からは離れているので、毎日の参加が出来ない。紅白戦があるとはいえ、女性は試合に出れないので物足りないと感じていた。かと言って、女子サッカー部が公立の学校にあるはずもないので、自身の部活動のありようを俯瞰していた。どうせやるなら、経験のある競技でそこそこ成果を上げようとフラウは考えた。しかし公立高校なので、設備も、施設も、指導も推して知るべし、妥協が必要となった。プールは屋外にあるので、夏しか使えない。浅いプールなので水球は出来ないので、部もない。ハンドボールも体育館は使えずに、グラウンドの端っこが練習場となる。公式試合も大抵は外で行われると言うのが引っかかりながらも、女子ハンドボール部に仮入部してみると、なんと即戦力となってしまう。そもそも日本の中学で、ハンドボール経験者は希少だ。普通は高校生から覚える競技だという知識がフラウには無かった。入部した高1生達は未だに軸足の違いに四苦八苦していた。フラウはいきなりゲームに参加して、フェイントも掛けまくって先輩達を蚊帳の外に置き去りにすると、先輩キーパーをあざ笑うかのようにループシュートを決め、コーナーを狙って得点を重ねてゆく。僅か数日で「期待のルーキー」から「我が部のエース」に変貌を遂げていた。 来週から新人戦が始まるといきなり言われ、何故かフォーメーションを考えるハメになっていた。まさか、こんな事になるとは思わなかった。練習風景を見てから決めるんだったと、フラウは悔やみながらも、何気に嬉しそうにノートを広げて、サッカーでの相手ディフェンス陣の切り崩し方をベースにして、半円の外周の相手選手の攻略パターンを書き込んでいった。アンナにノートをスキャンさせると、AIに取り込んで2Dの映像を作成した。  「高校の部活でここまでやっちゃっていいのかな?」と思い悩みながらも「ま、いっか」と思い直し、部員ALLで転送した。フラウのメールを受け取った生徒達は映像を見て驚いた。「何、これ!」と一様に口にしたという。それでも映像を見て、レギュラー達はイメージ出来たらしい。一応、エリアでも有名な進学校だったのが、プラスに作用してゆく。「バードビュー」を選べば、上から見た俯瞰的な動きも確認出来る。左右前後360度のビュー表示もできるし、キーパーから見た、攻撃シーンの映像まである。このチーム戦術の練習を、ロボットのアンナの指導の下で重ねていった。顧問の先生は腰を抜かして練習に出てこなくなった。顧問と言ってもハンドボール経験者ではなく、女生徒の揺れる胸を見ているだけのストーカー紛いの存在でしかなかった。「座って見てるだけなら、要らないよね」と判断して、フラウが駐車場の軽自動車でスリーブモード状態のアンナを連れてきて、コーチングを担わせた。「そうだった。この子はベネズエラ大統領の孫娘だった」と部員たちは悟った。他校には無い、この戦術システムの導入と、ベネズエラ・ハンドボール代表監督相当の有能なコーチングと、絶対的なポイントゲッターの加入により、チームは知らず知らずのうちに鍛えられ、国際試合から見れば、かなり格下に当たる新人戦を、難なく勝ち進んでゆくことになる・・・                             ーーーー                                   北朝鮮・新浦市郊外にある国内線ターミナルと兼務の航空自衛隊の基地でも、フィリピン・ピナツボ火山の噴火で避難してきた一部の方々を収容していた。基本的に全員がお元気なので、ただ受け入れて終わり、というわけにもいかない。専用のツールが無ければ脱着不可能な、GPS機能のついたリストバンドを装着すれば、市内を自由に行動して良いとされた。収容者ほぼ全員の方が行動の自由を求めて、特殊樹脂のリストバンドを手首に付け、市民生活に馴染んでゆく。北朝鮮・沖縄は日本本島とは異なり、他国民、多民族に寛容な土地柄であると感じとり、難民申請すべきかどうか、人々は真剣に検討をし始める。アンヘレスとオロンガポ両市は91年の噴火と同じ様に、壊滅的な被害を被った。職も家も失った再現がまた繰り返される。火山灰に埋もれた農地をまた一からやり直さねばならない。次の収穫が出来るまで、どうやって家族を養えばいいのか、40年前の再現に直面し、人々は過酷な自然環境を憂いた。前回の噴火では、国は助成金、支援金など殆ど考えてくれなかった。結局、住民が個々に再興させたようなものだ。それならば、この北朝鮮で難民申請して、何れは北朝鮮国籍を取得してもいいかもしれない、と被災民達で話し合うようになってゆく。北韓総督府から生活義援金として各家庭に支給された金を厳重に懐に仕舞って、平壌や新浦市内の商業地を訪れて、マニラ以上の華やかさと洗練された街の雰囲気に酔いしれる。スリやかっぱらいの類は、何ら心配する必要がなかった。船が到着した平壌港を再訪し、香港に似た摩天楼と欧州のような街並みを、到着した時はバスで素通りしたのだが、今回は家族で散策しながらゆっくりと時間を掛けて歩いた。嘗ては2つ以上の国が平壌を統治していたのを思い出す。巨大なスタジアムや球場では質の高い野球とサッカーの国際試合が行われ、収容先の各部屋に設置されたTVでも毎日のように放映されている。街を訪れて分かったのは、予想した以上にスポーツ観戦も、映画館も、娯楽全般の料金が安く抑えられていた。世界7位の経済国であっても、食料品の物価は抑えられている。マニラよりも品数が多く、安かった。嘗て、日本は商社が輸入し、卸業者が幾つも間に入って、店頭に並んだ価格はそれなりとなり、最終流通会社であるスーパーの雇用者の給料はフィリピン同様に安いものだったらしいのだが、商社や卸会社が今では省かれて、直接仕入れが当然となり、流通業の給与も相応の内容となっていた。食料や資源を輸入に頼らざるを得なかった日本が、商社にその役割を担わせてきた歴史がある。半国産の食料や衣服の比重が増え、間接業者が不要となった。嘗て日本人の人気の就業先だった総合商社は、経産省と農水省の能力向上と、IT力向上とAIの浸透、そして経団連企業の凋落によって、輸出入の代替機関としての機能や役割は不要となり、役目を終えていた。そもそも、単独で世界に打って出る能力のない経団連企業が一掃された今となっては、商社に依存する企業を探すほうが難しかった。各商社が合併を繰り返しながら、何とか存続しようと業態を模索して一時は足掻いたが、時代の流れに逆らうことは出来なかった。日本独特の企業構造、商慣習は一新された。その結果が、人々が享受する現行の消費者価格となっていた。                            何も考える間も無く、助けにやって来た船に乗り込んで、北朝鮮まで辿り着いた。「これはチャンスではないか・・」北朝鮮にやってきたフィリピン人達はそう受け止め始めていた。北朝鮮に多様な民族を集めた理由の一つには、日本列島に住まう国民に対するショールーム的な意味合いもあった。日本政府と北韓総督府の治世能力をひけらかし、可笑しな思想や考え方を払拭するのを狙っていた。可笑しな民人たち曰く、「文化思想が異なる人々とは生活できない」「他国の人々を受け入れると日本が劣化してしまう」「移民を受け入れた欧州を見ろ、国が分断し、結局は国が荒れるだけだ」等々、ある面を見落として、各人言いたい放題だった。外国人の受け入れに拒否反応を示し、日本の固有文化を尊重するがあまり、古に習おうとする。彼らが見落としているのは、コロナ以降、経済が低迷したままの国ばかりを上げているに過ぎない。潤沢な富を抱えたアラブの産油国を見てみると、移民による治安の悪化やアラブの慣習の変化は生じていない。逆にアラブの人々の派遣労働者、出稼ぎ労働者への抑圧という一面や問題はあるにせよ、経済的に強者であれば、外国人が増えても影響は小さなものとなっている。     日本政府・北韓総督府は北朝鮮・旧満州内に世界でも十分に渡り合える企業群を揃えた。経営者達も国籍を問わず有能な方々ばかりだ。あっという間に経団連所属企業を追い抜いて、世界的な企業の仲間入りを果たす。本社を日本にも情けで置くことで、日本のGDPもついでとばかりに成長軌道に乗せる。その代表となる企業がプルシアンブルー社といえよう。北朝鮮企業に続いて、ベネズエラで勃興した企業がプルシアンブルーによって買収され、北朝鮮で事業を始めると、北朝鮮のGDPが加速度的に成長していった。更に、北朝鮮の地下資源を採掘することで、日本の資源問題と食料輸入の課題は解消された。同時に輸入を生業としてきた企業は存在価値をなくしてゆく。中国やアメリカから輸入する必要も無くなった。軍事的な庇護を求める必要すらなくなると、日本と北朝鮮の成長し続ける経済が、世界経済を牽引してゆくようになる。北朝鮮ではインドやイスラム、漢族の人々を次々と受け入れているが、朝鮮民族は困窮しているようには見えないし、批判もしていなければ、治安も悪化していない。経済が安定していれば、逆に人種の多様性が新たな事業を生み出してゆく。                    日本人もそれが分かって、各国と繋がりだした。道州制に踏み切ったのはこの為だ。沖縄九州は台湾、東南アジアとの経済提携を強化しているし、日本海州は日本海を共同エリアとして北朝鮮と同一経済圏を構築し始めた。北海道・北東北州はロシアとだ。太平洋側の経団連企業エリアだけが取り残され始めている。他州への人口移動も生じており、地価の下落傾向が進んでいる。太平洋側の海が次第に綺麗になり、漁獲高も増えたという環境的にはプラスの状況になっている。今となって太平洋側は冬でも雪がつもり憎いという特徴があるので、流通ネットワーク網としての活用や、倉庫、備品置き場的なエリアになりつつある。自然由来の有り余る安い電力をふんだんに使って、大量物資の冷凍冷蔵保存が容易となり、夏の異常なまでの蒸し暑さも、省エネを気にせずにしのげるようになっている。この日本列島内の変化を、政府の顧問的な人物がロードマップを描き、その通りに進んできた。此処から先の日本をどうするのか?誰が、どの組織が考えるのかが、未だに決まっていなかった。「私は引退した。辞退する」と断った人物は、日本とは一線を画して、中南米で暗躍し始めている。それも、日本を凌駕する勢いで。 その一方で大きく変化した日本が、果たして完全なのかというと、そうではない。まだまだ不完全な国家であるのは間違いなかった。昭和平成的な思考は抵抗勢力として根強く残り、令和政府や、令和に急成長した企業群に迎合しない、出来ない組織や人々も多く残っている。先に示した日本の各種スポーツ界、競技団体も変わろうとしないものの一つだ。また、学術の世界でも当座変化が起きな買った分野は、取り残されたままでいた。それが、地震地質学や火山学と言った分野に於いても露見してしまう。フィリピン・ピナツボ火山噴火がきっかけとなった。                   ーーー                                 海上自衛隊、ベネズエラ海軍の艦船が平壌港や沖縄那覇港に次々と到着する。先行した被災民から、北朝鮮・沖縄の受け入れ環境がSNSで知らされて、ルソン島を離れる希望者が増え続けている。フィリピンの収容施設よりも断然、待遇がいいと判断されたらしい。まず噴火山周辺都市の人々を下ろすと、北朝鮮と沖縄の自衛隊基地にそれぞれ収容していった。基地の収容施設で被災民登録をすると、仮宿舎への移動が数日後に始まる。沖縄では嘗ての米軍軍人向けの宿泊施設を改装し、北朝鮮では旧政府の大量の役人達の官舎跡を改装したものに、順次移動していった。噴火直後の初期は7万名、最終的には20万人を超える人員を、被災民として日本政府と北韓総督府が対応してゆく。自衛隊基地と自衛隊病院をコア施設として、物資供給網が即座に用意される。毎年春の恒例行事となっている北朝鮮での農地深耕オペレーションは、今回よりも大きな災害や紛争が生じることを想定して、自衛隊が機動的に対処出来る為の訓練でもあった。モリの懸念だった自衛隊の兵站能力を向上させる為の訓練で、当時、外交官だった杜 歩が考案し、初年度の訓練が行われ、その後を異母兄の柳井太朗が訓練内容を昇華させ、弟の柳井治郎に引き継がれている。20万人程度ならば、瞬時に受け入れ可能な体制が用意できる。自衛隊の兵站能力は群を抜いていると周辺国は改めて認識していた。春の農作業というイベントにかこつけて、来るべき厄災や紛争に毎年実施して万が一の事態に備えていたのだと理解する。可変性も兼ね備えているオペレーション体制にも対応可能と証明してみせた。今回は日本とベネズエラだけでなく、台湾も韓国もベトナムも、災害対応チームとしての軍や医療チームを派遣して、現地での救援・保護活動の支援に廻っている。これらの各国の協力体制を自衛隊が全て采配し、フィリピン政府を支えた。この自衛隊の後方支援能力の高さと、ベネズエラのロボット部隊の活動は世界の人々を驚かせた。ベネズエラは、重機を操作可能なロボットで構成されたチームを40セット、800体を派遣して、まだ熱い泥土を除去して、行方不明者の捜索に当たっていた。再噴火の可能性もある中で、人が立ち入れない区画をロボット+ドローン、ヘリの組み合わせで、夜間でも飛び続け、捜索救助活動を担っていた。日本では現政権になり、未だ大規模な災害が生じていないので、このスービック湾周辺での活動が、ロボット部隊の初投入となった。 ーーー                               前回のピナツボ火山の大噴火は火砕流だったが、今回は前回と異なる海底マグマ層だったので若干温度が低くなり、土石流状態で済んだのではないかと、科学者達が推測していた。高温よりは少しでも温度が低いほうがロボットにも助かるので、大きな損傷もなく、汚泥や降灰物の撤去作業に臨めた。人的被害の拡大が懸念される危険箇所は、日本とベネズエラのロボット部隊が受持ち、比較的安全な地域をフィリピン軍や各国の救援部隊に担ってもらった。自衛隊の災害救助活動は最も進んでいると言われていたが、スコップでの汚泥掘りや土塁運び、重量のあるものの移動撤去に部分部分でロボットが役割を担って、作業のスピードと範囲が大幅に向上した。ここで話題となったのが、何故ベネズエラだけが事前に危険を察知できたのか、という疑問が、各国から起こっていた。噴火前からスービック湾、サン・フェリペ、サン・アントニオ沖合とフィリピンプレートの計測データをベネズエラは公表し、このデータが前回の大噴火時前のデータに酷似したので、急遽太平洋艦隊とアジア方面艦隊を向わせて、フィリピン政府に報告したと説明した。「ピナツボ火山の観測機器は今までの噴火時の情報を元に、設置されている。残念ながら、点と線でしかなく、海底やプレート部の情報が無いのが実情だ。日本を始めとする国が情報を得られないのも無理はない。距離が離れた観測地点で計測したところで、大したデータが得られるはずもない。それ故に、日本の地震学者や火山学者に、偉そうに勝手な事を言うな、と私は申し上げた。「まだ、暫くの間揺れる可能性がある」「いつ噴火したとしてもおかしくない」こんなセリフを何十年もの間、日本の学者と気象庁は繰り返し、言い続けている。彼らは東日本大震災の際の前兆すらキャッチできなかった。南海トラフも、関東大震災も、富士山噴火も、幸いにして未だに生じていないが、もし災害が発生すれば、間違いなく「予測できなかった」とあなた方はしたり顔で言ってのけるだろう。今回、偶然にも我々がデータをキャッチ出来たのは、海洋に面したマグマ溜まりの存在を把握して,ここにも観測機器を設置していたからだ。それを何度、何回も説明しても、「そんなのは嘘だ、不可能だ」とあなた方は端から信じなかった。前例のないデータは信用しないという、あなた方の身勝手なルールに固執しているのでしょう。我々のAIは、いち早くアラームを上げました。我々は観測機器の数値を信用し、噴火の可能性9割以上と判断を下したAIを信じました。場合によっては噴火しなかったかもしれないし、噴火したとしても規模の小さなものだったかもしれません。しかし、政治は、政府には、そこに暮らす人々を守る責務がある。たいした結果にならずとも、もし大規模災害になったなら、という前提で動き出さねば、間に合わないのです。「落ち着け」「まぁまぁ、深呼吸を繰り返して下さい」そんな呑気な発言をしてばかりいて、鼻で笑った学者達を私は決して忘れない。あなた方のように、本来なら危機管理を背負った研究を続けている学者どもが、地球の裏側にいる国家に何が出来るとまず疑いの目を向ける。その間に噴火したら、あなた方は専門家として、どう言い繕うのですか。我々は日本に連絡する前に、即座に音速旅客機にロボットを載せて送り出した。AIが危機を知らせてから30分後には送り出しました。日本はどうでした?結局動いたのは、噴火してからですよ。その間の4時間、様子見を決め込んだんです。噴火後から準備を整えて、日本から出発するまで1時間半もかかった。ベネズエラからの音速旅客機は噴火前に到着していました。何なのよ、この差は・・。阪本首相!これが大震災や大噴火に十分に備えて、準備してきた日本なのですか?わが祖国の仲間達は、一体何をやっているのでしょうか?彼が居なくなっただけで、ここまで劣化してしまうのですか。私はね、腹が立って仕方がないんですよ。当時、初代幹事長である彼が策定した危機管理のルールをもう一度、目を通して下さい。  何故、マニュアル通りに事が動かなかったんですか。早急に分析して、見直して下さい。何の役にも立たない学者や、気象庁の役共の首を切りなさい。刻一刻と時間を争っている時に、平然とした悠長な態度をとる連中は即刻一掃すべきです。あなたも柳井さんも、そして閣僚達全員で今回の対応の遅れに対して責任を明確になさい!観測機器有り無しの問題ではなく、今の危機管理の姿勢が大問題だと申し上げて、一方的に終わります。以上です!」 あの温厚な越山大統領が、ブチ切れて櫻田首相にこの場を託して、会見の場から退いた。阪本首相がこの後、越山のこの怒りの映像を公表し、謝罪の意を表明し、危機管理体制を今一度考え直すと世界に対して晒した事で、日本連合の評価は逆に高まった。ベネズエラと日本の政府間であっても、ここまで指摘し合い、事後策を協議していると分かったからだ。        場を引き継いだ格好となったサグラダ首相兼国防相は、このデータを採取した測定器を「フィリピン政府の了解を頂いて、設置した」と発言した。しかし、フィリピンもベネズエラも観測機器の設置を公表しなかった。何故、機器の設置を公表しなかったのか理由を聞かれ、「内陸部での大きな地震や噴火が生じた地点を除き、海岸に近い火山や、海底プレートの移動が原因と思われる地点を世界中で網羅している。公表できなかったのは、一部の国からは了解を得ぬまま、観測器を設置しているからだ。日本の太平洋プレートとユーラシアプレート、北アメリカプレート、ココスプレート、そして、太平洋プレート、カリブプレートの地震が頻発するロス・アンジェルス沖合にも勝手に配置した。問題があれば、近日中に観測機器を撤去する。無断で他国の海域に立ち入った点は、深くお詫びいたします。誠に申し訳ありませんでした」と櫻田は頭を下げた。この映像を見た米国からは逆に感謝され、領海内の計測データを常時参照できるようになった。            ーーーー                                 今回の噴火を機に、北朝鮮の地にフィリピンの人々が移住をし始めてゆく。既に半島に存在する朝鮮族、漢族、インド人、ウィグル人、モンゴル人や各イスラム圏の人々、自衛隊員としてのタイ、ビルマ人等、全ての人種の遺伝子情報が混じり合って、朝鮮半島に於いて、どのようなDNA螺旋図となるのか、ベネズエラのAIが解析していた。すると、極めて日本人に近い遺伝子を持った人々が、北朝鮮・旧満州に将来的に存在する可能性を示唆していた。この予測値を予め視野に入れていた人物が居たのか、はたまた偶然の産物なのかは分からない。おそらく、公になる事もないだろう。遺伝子情報の変化の行く末がどうなるのか、それは何世紀も経ってみなければ分からないだろう。とは言え、同じアジア人同士なので、生まれてくる子供たちの面影に、人々は目を細めて喜び合う以外に、大して違和感は感じないかもしれない。                       (つづく)

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