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(7)昔取った杵柄、再度振り回してみると・・


 1月の最終週に、10-12月の中国経済の成長率が確定した。結果は2.5%と、予想していた2%から大きく上回った。この数値に安堵した。
公表した偽り値を4.0%として「想定通りの結果となった」と伝えた。消費者指数も高く、株価も高く留まっているので、情報を隠蔽するのに好都合だった。実際、景況感も良かったので違和感も無かったのだろう。各国の経済学者も誰も指摘しなかった。「中国、好調」という論調が目立った。自動車と流通業が日本企業に押されたものの、輸出が増加したのが大きかった。内相は鼻高々だった。後半盛り返す事が出来たのも内務省が全力で支援した為だ。日本ごときに負けるような我々ではないと、成果に満足していた。

一方、内務省で日本の分析を担当している梁は、国内経済の担当者が隠した箇所に気がついていた。製造業の指数はもっと下がっているはずだ。ラオス・ベトナムの日本企業が大量に製造した製品が、中国国内を通過してヨーロッパへ運び込まれている。中国内の流通業者が、知名度の高いアメリカ製品と日本の商品を仕入れて、出荷する傾向にあった。日本は巧みに一帯一路政策に相乗りしていた。中国の物流網を日本企業が活用し「中国の輸出品」と見せ掛けていた。雲南省からラオスのビエンチャンへ抜ける鉄道がこの春に完成すれば、モリが建設した工業団地と日本企業には更に有利になるのでないかと梁は見ていた。

本来なら本末転倒な話で、中国製品が輸出されなくなった事を意味している。ラオスからの輸入品は主に食品となるが、労働力が安いので、中国企業は敵わない。しかもアメリカと日本のブランド食品だ。工業品はベトナム製造なので価格も安く、日本の信頼感も加味され受け入れられていた。
日本経済の成長率は3.8%と、当初予想よりも0.5%も高くなった。年末商戦が活況を受けたからと日本政府は報告したが、プルシアンブルーと、関連する部品産業が軒並み最高益を上げた事が大きく起因している。年が改まった1月も勢いは止まらず、中国国内で始まったネットスーパー事業により、中国国内の流通業は更に押されている。春節前のビジネスの殆どがプルシアンブルーに持って行かれているような状況だ。
梁は、嘗ての日本や韓国で起きたような産業の空洞化が進みつつあると見ていた。内務省が製造業へ更なる競争を促さななければ、今年は深刻な事態となる可能性がある。
目先の数値に浮かれている内相に何を言っても無駄なので、外相に報告すると「黙っているんだ」と目配せしてきた。その笑顔を見て、外相も分かっていながら静観しているのだと悟った。

これまで、中国の力の源泉は驚異的な経済成長率だった。膨大な国内人口が齎す内需と、世界の工場と呼ばれるまでになった輸出競争力でGDPを押し上げ、軍事費のみならず、あらゆる投資を可能とした。しかし、コロナ後は減速傾向にある。世界経済が復調していないのもあるが、最大の予測外要因は日本だった。米中欧の各市場で嘗ての存在感を示しつつある。日本の台頭が中国の輸出と製造へ「待った」を掛けている。そればかりではない、中国の人々の胃袋にも商品を供給し続けている。この小判鮫のような戦略を考えたのもモリだろう。年間を通して3.8%成長だが、前半はマイナス成長なので、後半は5%を優に超えているはずだ。日本経済は完全に軌道に乗った。

この日本一人勝ちの状況に、北朝鮮という新たな不確定要素が現れた。日本が得た稼ぎを知っているアメリカが、市場で得た稼ぎを北朝鮮に投入するよう促す可能性がある。梁はそうなるのも間違いないと見ていた。この先、モリはどう応じるのだろうと思い悩んだ。ここまでじっくりと築き上げて来たのに、元の木阿弥になるのではないかと。

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「総書記は平壌を出て、丹東の中国領内へ移動した。平壌の治安維持の為、中国人民解放軍が北朝鮮軍に代行して、市内全域に展開中」

この速報が流れた時、モリは米中主導で事が決められているのではないかと思った。中国が主役であるかのように書かれているからだ。北朝鮮は中国主導で話が纏まったと花を持たせて、何らかの果実を得たのではないかと推測した。キムを中国に押し付けた事か?いや、利用価値が無いと最初から思っていたのではないか。「カネと一緒に韓国へプレゼントする」と言ったのに、結局アメリカが話に乗ってこなかったからだ。

在韓米軍の司令官とロシア極東方面の司令官、人民解放軍司令が平壌で集い、会談を開くという。中国国境部を社会主義のバッファーゾーンとして確保したい中国は、総書記を「保険」として手元に残しつつ、平安北道、平安南道、慈江道を統治する。
恐らく平壌を特別特区や中立都市と定めて、各代表者達が時折集まって、統治地域それぞれの開発に当たるのだろう。アメリカからすれば、中国経済を北朝鮮支援に使うのは常道、商工業自体は資本主義と何ら変わらないので使いまくってやれ、と判断したのかもしれない。韓国とアメリカは平壌の手前まで北上するだろう。ロシアは南下政策に固執するので、国境から日本海側の港湾都市を欲しがるかもしれない。もしそうなれば、日本の出る幕は無くなる・・かもしれない、と考えた。

先週、板門店からソウルに戻って、アメリカ・韓国の議員達と議論していた。韓国だけではカバーできないので、国連軍を組織し、北朝鮮内にセーフティゾーンを設けて、ゾーンを少しづつ広げながら、ゾーン内の住民に援助物資を届けるようにすべきだと主張した。生活基盤を少しづつでも戻していかないと、韓国側の都市がパンクしてしまうと、持論を語った。

その頃、アメリカ政府は更に先を見据えていた。日本のモリが主張するような、セーフティゾーンのような手間をかけるのではなく、このまま分割統治してしまおう、と国連に提案していた。国連は、中国、韓国、ロシアに内々に要請を出していた。国連に居る北朝鮮の国連大使を含めて協議がされていて、北朝鮮の国連大使は平壌と電話協議を続けていた。
韓国から帰国すると、アメリカからはもう何も言ってこなくなった。日本は蚊帳の外、お役御免と言う訳かと苦笑いしていた。それでも、最後に金を出せとでも言ってくるのだろうか。幹事長室で地図を見ながら、あれこれ考えていた。 その頃、首相官邸をロシア大使が訪れていた。

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「日本を利用しよう」米中露が一致したのはこの点だった。北朝鮮の遅れた工業地域、咸鏡南道を日本に担わせるとした。この一番の貧乏くじを日本に任せて、米中露は地下に眠る資源の開発に注力しようと話をしていた。経済成長の収益を北朝鮮再興に投入させて、日本の勢いを削ぐ。米中欧州の市場で、日本車、タブレット、スマートフォンが大手を振っているのだから、この位は問題ないだろうと見ていた。

ロシアは、極東という離れた場所で米中同等の振興策をロシアが単独で行うのは難しいと見て、日本と共同事業したいと伝えていた。米中としては更に日本に負荷がかかる話なので、是非やらせましょう、と賛同した。

ロシアと日本の共同管理委託地の人口は800万人となり、北朝鮮人口の1/3を占める。しかし3箇所では一番厳しい地域となる。どう考えても、近代的な工業都市に生まれ変わる為にには長い年月が必要となり、終わりの見えない経済支援に巻き込まれ、多額の投資を費やすことになるだろうと、米中韓は考えていた。

未だ面会したことのない米国国務長官と中国内相にとって、日本に「北朝鮮リスク」を抱えさせるのは、僥倖とも言える展開だった。好き勝手に稼いだ金を、北朝鮮にスポンジのように吸収されていくのもある意味で仕方がないだろうと見ていた。

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「800万人・・」ロシア大使から支援要請を受けた日本政府はあまりの人数に動揺しながらも、前向きに検討すると回答した。同時に、これは受けざるを得ない話だとも受け止めていた。嘗て植民地とした歴史的な背景も踏まえて、人道的な支援を行う必要がある・・と、実に共産党らしい判断をした。

内閣府と総務省、外務省は北朝鮮対象地域の情報をかき集めて、どのように復興させていくかの議論を始めた。阪本総務大臣と松坂外相はモリが必要だろうと考えていた。遅れた工業生産に、旧態依然とした産業、そして零細漁業、これをどうすればいいのかなんて、官僚達に描けるとは思えなかった。
阪本と松坂は、首相と官房長官に詰め寄り、モリを担当大臣か責任者に据えるように要請した。普通にやっていたら時間ばかり掛かりますよ、と。しかし、多忙を理由に大臣から降りてもらった手前、改めてご出馬頂くのもいかがなものかとと、やんわりと断わられてしまった。

ロシア大使はモリに声をかけ、夕食を共にしていた。ロシア政府への協力を了承すると、お約束の見返り条件を伝える。念の為クレムリンに確認するが、おそらく問題ないでしょうと握手を交わした。

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韓国軍とロシア軍は国境を越え、移動を始めた。両国の軍人達はここが新しい領土だと誇らしい気持ちで一杯だった。すれ違う北朝鮮の人々に手を振って応えながら、希望を胸に抱いていた。

「遂に南北を分断していた戦争は終わりました。終戦協定はまだこれからですが、本日、38度線を韓国の軍隊が越えて行こうとしています。朝鮮半島の新しい時代が、まさに今日から始まろうとしています・・」韓国のレポーターが感無量といった顔で、カメラに向かって話していた。

その映像を羽田空港のテレビで見ていた。
韓国から戻った数日後、櫻田副外相と羽田に居た。ハノイからやってくるPBJを待っていた。まずはウクライナへ飛び、クリスマス前から一時帰国していた技能労働者の皆さんを下ろす。PBJはジャカルタからハノイを廻って、技能労働者の方々をピックアップしてきていた。政府専用機扱いなので、アナウンスは流れないし、電光表示板にもフライトスケジュールは表示されない。職員の方が優雅に知らせに来てくれた。

ビールを飲み干して、搭乗口へ移動する。機内には80名の技能労働者の方々が居た。皆さんから拍手を受けながらシートへ座った。

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国連に居る中韓英米露日の国連大使が協議を初め、大使それぞれが本国と連絡を取り合った。日本は咸鏡北道・咸鏡南道・両江道・羅先特別市と、日本海に面した東海岸側からロシア国境までの一帯をロシアと共に担当することになった。既に決定事項だったと国連大使は始めて知った。
中韓露はそれぞれ3カ国の国境側を担当する。平壌は特別区とされ、各国が集い協議する場となった。北朝鮮軍は一旦武装解除され、中韓米露の4カ国で軍事施設の掌握をされた後、韓国軍兵士として配属となる。驚いたのはイギリスが「南浦特別市」という、平壌を流れる大同江の下流の北朝鮮最大の港を直轄するという。「港の政策はお手の物」と言うことだろうか。

日本が拠点とするのは4つの州から咸鏡南道となった。300万人のほどの人々が住む州だ。咸興市が約70万人の最大都市になる。面積比で見ると山林が大半を占め、日本に近い地形とも言える。

その情報を副首相がモリへ送った。今回の外遊でモリが作戦を立てて帰ってくるだろうと見ていた。
しかしモリはビールをかっくらって、早々に横になって寝ていた。
羽田ではビジネスシート用の食事と、少し豪勢な飲み物類を積み込んで飛び上がった。皆さんはクリスマスと正月を家で過ごす事ができたと喜んでいる。ウクライナの次はテヘランへ向かう。そこでC2輸送機でやってきた自衛隊員と合流する。

ハルキウ空港で技能労働者の皆さんを降ろした後でキエフ入りし、ウクライナ政府との会談に臨む。ネット会談を常時しているので特に目新しいものは無い。両国間は極めて良好で、全ての事業が成功していた。そして、更なる農地を提供しましょうとけしかけられる。農場従事者が居ない土地が山ほどあるのだと言う。ロシアからも同様の申し出を貰っていた。
ウクライナでのトピックスとしては、航空機と自動車の組立工場が3月に完成するのと、フリゲート艦4隻の建造だ。後者は武器は搭載する必要の無い船本体だけなので、さほど時間は掛からない。2月中には終わってしまうだろう。

ウクライナの首相達から歓待を受けていた頃、自衛隊百里基地からC2輸送機が飛び立った。日本海を出て公海上でロシアの哨戒機と合流した。ロシア機に先導されるように北朝鮮に上陸すると、咸鏡南道の長津空港という北朝鮮空軍が所有していた基地へ着陸した。
既にロシア空軍が到着し、機体の整備を済ませていた。C2輸送機から降りてきた航空自衛隊員はロシア兵達と握手を交わすと、AIタブレットの翻訳機能を使ってロシア兵達から説明を受け始めた。
彼らの目の前には、北朝鮮のミグ29、ミグ25、ミグ21、スホーイ25、計48機があった。ミグ29は7機と少なく、旧式のミグ21が16機もあった。これが主力戦闘機だったのかと両軍で笑いあった。このミグ21、ウクライナ空軍でも今でも使われていて、部品生産も続けていると聞いて驚いた。だから日本は使うことに決めたのか、と理解した。

それぞれの機体の特性や操縦時の注意事項を確認すると、48名の航空自衛隊のパイロットはそれぞれの機に乗り込んで、一斉に飛び立った。
最後にC2輸送機にそれぞれの機体へ搭載する武器弾薬、交換部品などをごっそりと収納して、ロシア兵と握手を交わすと、機内に乗り込んだ。

この空港が今後、自衛隊の前線基地となるのかと、2人の操縦士は軽く身震いしながら、今後は「航空自衛隊 長津基地」と呼ばれる事になる滑走路を飛び立った。

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北朝鮮内に展開した各国の兵士達は、日本から提供された衛星用の小型基地局を宿舎の屋上や屋根につけた。これでWifiが利用できるようになった。このネットワークを用いて、本国と各国間での情報交換が出来るようになる。

新浦港に、自衛隊の護衛艦と輸送艦が到着した。早速、自衛隊員がプレハブの仮設住宅を建てて拠点作りを始めた。遅ればせながら日本も加わった格好となった。
また、なにはともあれ必要となるのが食料と、暖房器具だった。
北朝鮮では未だに石炭や練炭で暖を取る家も多かった。冬場の需要で日本で調達するのも大変だったが、灯油ストーブやファンヒーター、それにファストファッションで調達した冬物衣料が大量に運び込まれた。まずはこの冬を乗り切ること。これが最優先と日本政府は考えていた。

北朝鮮咸鏡南道の責任者となった阪本総務大臣は、実務を副責任者の安田総務副大臣と定めて、全権の対応を担わせながら、モリに状況を報告し、助言を仰いでいた。
当面は、新浦港が拠点になると知ったモリは、西表島で組み立て終わったMOB2式を、新浦港沖まで移動させ、ヘリによる物資の移動を実現させるべく指示を出した。竹島に持っていく予定だった大型ドローン5台を、新浦へ持っていっていいと言う。
新潟のファンヒーター製造会社3社に生産要請をするようにアドバイスを受け、ベトナムの油田から灯油と軽油を積んだタンカーを運ばせると言う。中国へ持って行く予定だったバン100台を小松の工場から届けるとも。

また、季節が真冬なので、雇用を一気に増やすには紡績工場、アパレル工場だと判断した。肌着・靴下メーカーと、ホームセンターに作業服や衣料、靴を提供しているメーカーが縫製、製造するためのプレハブ小屋30棟を建て、作業を始めるように段取るようにと。
工場建設、設備費、暖房器具、材料の全ての費用を政党で負担するので、衣料メーカーには工場長や技術指導員を派遣するよう要請してくれという。
それとスーパーだが、翻訳AIタブレットを支給するので自衛隊員にレジ打ちと品出しさせろと笑った。


やっぱり彼が必要、と阪口は確信しながら、官僚達にそれぞれ至急取り掛かるように指示を出した。

翌日から、大型ドローンが新浦のヘリポートにやってきて着陸した。通話をしていた相手がどこにも居ないので自衛隊員達は驚いた。
「まずは、荷物をおろして下さい」と運転席から聞こえた。どっかで聞いた声だなと思いながら荷物を下ろすと、「ありがとうございます。ハッチを閉めていただいたら、離れて下さい。直ぐに離陸しますので」と言う。慌てて離れると、ドローンは飛んでいった。そして次のドローンが降りてきた。いつの間に自衛隊は無人機を投入していたんだとポカンと空を見ていた。

その2日後、沖合に滑走路が浮かんだ。そこにC1輸送機が着陸すると、甲板後方に荷物を積み上げているのが見えた。慌ててタグボートで近寄り、荷物をタグボートで運び始めた。
数時間後、日本からタンカーがやってきたのだが、甲板上には青いバンが並んでいた。100台もあった。埠頭に横付けされると自衛隊員はが乗り込み次々と上陸させた。バンにはAIが装備されていた。100台の荷室には医療品がそれぞれ詰め込まれていた。

自衛隊員は驚いていた。この物量作戦を指揮しているのは一体誰だ?自衛隊以上に迅速ではないかと。C1が持ってきたのは、ビスケットやクッキー、ジュースだった。日本のお菓子なのだが、ダンボール箱には見たこともない文字が書かれていた。MADE IN LAOS、ラオス製だった。
「バンから医療品を半分おろして、菓子とジュースを積み込んで、各街の病院へ移動しろ。行き先は街の名前だけ伝えればAIがガイドしてくれる」という。隊員たちは、言われたとおりにバンに乗り込むと、走っていった。

やがてタンカーはタンクがある埠頭に接岸した。軽油と灯油をしこたま持ってきたという。自衛隊員は歓喜した。自衛隊の補給部隊よりもスケールがあって、迅速だからだ。そして、今度はまた滑走路がやってきた。滑走路上には多くの建材が乗っていた。明日から、平屋のプレハブ小屋を30棟組み立てるのだと言う。

新浦港での自衛隊の動きは、各国の軍隊には衝撃的だった。いつの間にか滑走路が2つも出来て、輸送機はやってきて、タンカーまでやってくる。車も100台を用意した。
国土が接している韓国、中国、ロシアよりも迅速だった。ヘリは休むこともなく日本と往復し続けている。遅れてきた自衛隊の拠点、新浦港が圧倒的な速さで立ち上がろうとしていた。

モリは、韓国政府が将軍様の面倒見を放棄したので、米韓を見限った。北朝鮮からくすねたビッドコイン50億ドルを、この地で一気に使いまくるつもりでいた。

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この新浦港の模様が繋がったアメリカの動画サイトで公開されると、港周辺の人々が集まってくるようになった。クッキー、ジュースに医療品に肌着靴下をセットにして手渡されていった。そして3店ある平屋のスーパーだが、北朝鮮の人々は半額セールだという。唯でさえ安いのに半額なので、市民が殺到した。自衛隊員は街の人々に慕われるようになっていった。

たったの4日で稼働し始めた。最初からモリに相談していれば、初日から稼働出来かもしれないと、阪本は大臣室で泣いて悔やんだ。
首相も官房長官も脱帽だった。自衛隊よりも、政府よりも圧倒的に早く、想定を超える物資を届ける活動が始まっていた。しかも全額、北前新党の負担だと言う。自分達が意固地にならなければ、もっと早く届けられたのではないかと後悔していた。一番辛かったのは官僚達だった。的確な支援策が講じられ、しかも圧倒的な速度で用意された。
こちらはまだ何日も後になると言うのに。そしてその采配を振るった男は今、カザフスタンに居るのだという。

縫製工場がまずは10棟作られ、ミシンが明日にも運び込まれて、500人の女性を採用するという。ファンヒーターメーカーから暖房器具が次々と届き、ホームセンターからは布団や防寒着が届く。この冬の軽油と灯油、航空燃料は沖合に停泊中のタンカーが提供してくれる。
しかし、このタンカーどこの石油会社のものでもなかった。ロシアで建造されたパナマ船籍の船ということしか分からなかった。船名は「飛龍」だった。これは、嘗ての日本海軍の船籍名でミッドウェー海戦では最後まで活躍した空母と同じ名前だ。故に、日本のものなのだろうとその程度の理解に留め、自衛隊員達はその先まで調べようとはしかなかった。

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長津基地を飛び立った北朝鮮機48機は日本列島の手前で散開した。小松基地にミグ29とミグ25、ミグ21が次々と着陸した。既に暗くなっていたので良かった。ミグ戦闘機が日本に任せて着陸したのは、かつてソ連のパイロットが亡命して以来の事だ。直ぐ様、倉庫に入れられ、何機か入らないのは分かっていたのでシートを被せられた。

竹島の滑走路にはスホーイ25が着陸した。パイロット達は待っていたヘリで運ばれていった。

長津空港は内陸にあるので、新浦港とは距離がある。長津空港は軍事基地もしくは航空機として活用して、MOBを新浦港の沖合に浮かべて、長津空港と新浦港の間はヘリで移動する。よく考えてるな、と隊員達は関心していた。

その頃、モリと櫻田副外相はイランの次の訪問地カザフスタンで、工場建設と雇用者の話をしていた。航空機とロケットをカザフスタンの主力産業としたいというモリの提案が理解されると、大統領とモリは握手を交わした。

(つづく)

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