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(9) 一大転機、一念発起 そして節目の年


 8月になると、首相が慰霊行脚を始めた。先の大戦で大きな戦闘行為があった場所、多くの人名が失われた場所で選び、回り始めた。来年2035年で太平洋戦争、第2次大戦が終わって90年となる。節目となる年に向けて、現政権のスタンスを内外に示す動きを始めた。勿論、全ての戦地を訪れる事は出来ない。「来年は盧溝橋や南京、韓国、真珠湾にも訪問したい」と首相は口にしながら、ガダルカナル、バターン半島、シンガポール、インド・インパール、ビルマ、インドネシアといった具合で首脳会談を織り交ぜながら、アジアを歴訪していった。
6月末締めの2034年上期の各国のGDPが発表されたが、日本政府も北朝鮮総督府も、上期の数値は公開しても、会見でその話に触れようとはしなかった。相応しくないと判断し、官房長官も質問を受けても回答しなかった。北朝鮮総督府が韓国、台湾を抜いて、更にベネズエラも上回った。日本も中国、アメリカを拔いて首位となった。1位と4位、5位を日本、北朝鮮、ベネズエラが占めていた。3地域を合算すると、史上最大の経済大国出現となる。しかし、今は8月で過去の話でしかない。敗戦国として、誇ることはしなかった。6日広島、9日長崎の式典が終わると、核拡散防止条約に、遅れ馳せながら日本は署名致しますと首相が述べただけだった。

その頃、北朝鮮では「板門店に、巨大な五重塔が一夜にして現れた」「平壌で南大門ならぬ、北大門の建設中」と報道がされ、北朝鮮内ではチベット僧が散見されるようになったと話題になっていた。公共の火葬場では、チベット僧が経を読んで、死者を弔ってくれるという。
その後、積木のように積み上げて平壌、新浦、元山と五重塔が建っていった。北韓総督府は何もアナウンスしていなかったが、自然と北朝鮮内に仏教が浸透していった。家具売り場では日本製の仏壇も取り扱うようになり、線香や蝋燭、数珠といった仏具がスーパーでも販売されるようになる。その一方で、日本では信教の自由を掲げながらも、北朝鮮では韓国や日本の新興宗教の流入を巧みに抑えていた。そもそも、宗教法人自体の設立を法で定めていなかった。その一文をわざと落としていた。日本では旧与党だった違憲孔明党が国政ではゼロ議席となり、地方政党に転じていた。それに伴って減少傾向にある政教一体の草加学会が、学会員獲得の為に北朝鮮への進出を直訴していた。北朝鮮での選挙実施と、早期の議員内閣制への移行を埼玉の一部の議会で出していたが「北朝鮮には英国領が残されており、国家としての体を成していないので全国統一選が行えません」と、お決まりの文句を繰り返していた。
沖縄、鹿児島の特攻隊の基地となった知覧への訪問を終えると、敗戦の日となる。北韓総督とベネズエラ大統領と共に千鳥ヶ淵で献花をして、柳井は日本武道館の式典に臨んだ。
柳井純子が首相となって初めての式典では、中国、韓国、フィリピン、インドネシア、台湾等のアジア各国の大使が参列し、柳井は力強く言った。「私たち日本国は、戦争を永久に放棄致します。二度とこの過ちは繰り返しません」 政権のスタンスを明確にして見せた。

式典が終わるとモリは阪本総督を乗せて富山空港へ向かい、身重となった杏を回収すると平壌へ向かい、そこで宿泊して、翌朝ベネズエラへ向かった。

モリは昨年は8・15に、日本に行く余裕すらなかった。時間が空いて対外的な仕事がこなせるようになったのも、今年になってからだ。
国家としても、芸術もスポーツも文化全般は身を潜めたかのような有り様だった。まず食糧確保が大命題で、遮二無二動いていた。それ以外は全て、何も手掛ける事が出来なかった。プラス成長を齎すことが出来たので、今年は文化全般に費用を割いた。スポーツへの支援が出来るようになったのも、海外資本のスポンサー企業が集まったからでもある。試合を観戦出来る環境を整え、普通に練習が出来るようになった。選手達が今までの閉塞感から脱却して、思いの全てをぶつける機会がやってきた。ただ残念でならないのは、この長い停滞期間の中で本来ならば選手として活躍出来たかもしれない才能が機会すら得られずに、埋もれてしまった事だろう。戦時の被害者に匹敵するレベルではないかと認識していた。

月末から中南米各国でサッカーシーズンが始まる。ベネズエラサッカーリーグも十数年ぶりでスポンサー企業が増え、クラブチーム資金も潤沢なものとなった。給料を上げ過ぎたのかもしれない。その給料に目が眩んで、コロンビア、エクアドル、ペルー、チリ等の選手が各チームに加わっている。Angle社はベネズエラリーグのサッカーの試合を放映する、サッカーチャンネルをベネズエラ向けに開局していた。秋になると野球が始まるので、ベースボールチャンネルを開局する。こうして、当たり前にスポーツが出来る環境が整った。これが出来るのも、撮影スタッフの代わりをロボットが対応できるようになったのと、実況と解説をAIが行って番組を進行させる技術が出来上がったからだ。いずれはカメラロボットをグラウンドに連れて行くだけで済むようになり、人が携わる必要がなくなる。放映権料の安価な中南米諸国の各国の試合が、何時でも視聴できるようになればいいな、と期待している。

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ロシア国境に接する北朝鮮・羅先市で、製鉄所建設と水素発電所増設の作業が進んでいた。主要なパーツは既に揃っているので組み立てるだけだが、日中は韓国製鉄会社と北朝鮮のエネルギー担当者が対応し、夜間はロボットが作業を担い、突貫工事体制を組んでいた。この製鉄所ではチベット、北朝鮮、旧満州の自動車用の鋼鈑と建設用の鉄骨を製造する。チベット・旧満州新経済圏の初期需要のエネルギーと素材を支える基地となる。
柳井太朗はこの羅先市の人口が今後急増すると見て、サッカーを主とするクラブチームを設立した。弟の見様見真似で、一から作ってどうなるのか試してみたかった。歩がオーナーとなったサッカーチームは急に強くなった。日本人の監督となってAIを導入したからだと、歩から聞いていたが、新加入の4人のドイツ人選手が活躍して、上位チームに食い込もうとしている。
場所を羅先にしたのもロシアや旧満州の選手もいずれは呼べるのではないかと考えたのが発端だった。サッカーだけでなくバスケット、バレーボール等の競技も含めたクラブチームが、日本にも幾つかあったと、思いついたのもある。羅先には球場もグラウンドも体育館もあるので、野球チームも加えた総合クラブを夢想していた。
サッカーについては月に一度、浦項の製鉄所にやってくる歩をオブザーバーにして、先ずは韓国の3部リーグに参入して見ようと目標を定めた。

また、北韓総督府も支援をしてRS ConstructionEA社とIndigo Blue Realestate社が韓国済州島のKリーグ1部の済州島ユナイテッドに資本参加し、来シーズンからTKスティーラーズと同様に、平壌のスタジアムで試合を開催するよう,調整に入った。
また、両社は韓国プロ野球球団キム・ヒーローズにも資本参加を表明し、平壌と元山市のそれぞれで3連戦をシーズンで3回開催するようにした。遅ればせながら、プロスポーツの環境を 北朝鮮でも整え始めた。

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地中海に面した町並みは、自分の故郷の工業港ジェノバとは全く異なるものだった。白壁の家に屋根はバレンシアオレンジが塗られて、教会から見下ろすと景観に纏まりがある。バレンシア、良いところだなとヴェロニカはスケッチブックにラフ画を書いてゆく。自動車デザイナーだったのに、こうして街や家屋のグランドデザインを描くようになって、自分には向いてたんだなと改めて実感していた。このバレンシアに合う車なら、やっぱりチンクチェントよね、とFiatブランドの車を絵の中に書き込んでゆく。カリオストロの城で囚われているクラリスを助けに行くのだと、運転席にはルパンと助手席には次元大介を、屋根には斬鉄剣を抱えた石川五右衛門をあぐらをかいて座らせる。古いアニメが好きなフラウが喜んでくれるだろう。

フラウとハサウェイは思っていた通りに、夫の小さな弟達と同じジュニアチームに入りたがった。寄宿舎生活がどうかと思ったがお兄ちゃん達が一緒なので問題ないようだ。ホタルもカイトも居るし、マユも面倒を見てくれるという。コーチも日本人なのが意外だった。
あゆみが寄宿舎の食堂にロボットを提供して、スパニッシュ以外の料理も提供出来るようにした。トンカツやヤキトリは子供達にも大人気だった。平壌に居る夫も、寄宿舎生活とバレンシアの動画を見て喜んでいる。子供達と弟達に感化されたのか、北朝鮮にクラブチームを作ろうとしていると言うので驚いているのだが。
スペインはイタリアと同じで南北で食材が異なる幅の広さがある。スペインの東岸ではコメも栽培している。パエリアがあるから、それも当然なのだが、鮎先生とあゆみは酒米を育てて、酒蔵を作ろうと考えている。あゆみは山を買って、日本の桃とぶどうとラ・フランスを育てると意気込んでいる。ヴェロニカも衝動買いで中古の住宅を購入し、長期滞在出来る体制を整えた。自分は日本のカステラ、どら焼き、ベイクドチーズケーキの店舗を出して、ワイナリーでも始めようか?と思いながら、スケッチの最後に城壁にスペインの国旗を書き込んで、完成させると、和紙を挟んでスケッチブックを閉じた。

鮎とあゆみは空港へ、柳井治郎官房長官夫妻と息子の雄大、杜 響子を迎えに来ていた。
治郎は夏休みを兼ねてやってきた。息子の雄大を従兄弟とモリの子供達と交流させる。あわよくば、フラウとハサウェイと共に、サッカー留学させてしまおうと思ってやってきた。響子はラ・リーガとプレミアリーグの開幕戦を観戦にやってきた。孫の影響ですっかりサッカーに目覚めてしまっていた。

同じタイミングでベネズエラから政府専用機が到着する。モリ以外の日本人家族全員が揃った格好となる。開幕戦観戦と観光が目的と言いながらも、息子、小さな弟達の生活環境を見に来たのが本音だった。

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英国、ニューカッスル・アポン・タインに居を構えた杜 圭吾は、杜兄弟の個人マネージャーでITエンジニアの下田と共に、ニューカッスルから150キロ離れたスコットランド・エディンバラの郊外の森に、水資源がある土地を購入した。ここでスコッチウィスキーとRed Star Beerの製造を始める。エディンバラを選んだのは、歴史と文化のある都市で、観光地でもある。高品質な酒にはイメージ的に合うと考えた。隣のグラスゴーだと、工業の街なのであまり相応しくはない。
杜 歩がニューカッスル入りして、最初に手掛けたのが、この地にあるアルセロール製鉄所のロボット用、航空機、自動車用半導体工場への転換だった。敷地の一角で工場棟の建設を始めた。
ニューカッスルから供給していた「鉄」は、今後は対岸のベルギーの製鉄所が提供する。この地で半導体の生産ラインが完成すると、製鉄労働者は半導体製造部門へ転属し、圧延機等の設備をベルギーへ海上輸送する。高炉や設備機器を撤去後のスペースも半導体製造を始める。他にも、スペイン、イタリア、フランスの各製鉄所も半導体工場へ転換する。スペインでは半導体の他に自転車の製造を行い、イタリアでは電動バイクの製造工場を設ける。
アルセロール社の製鉄事業は、ベルギーとルクセンブルクへ集約し、生産の効率性を上げてゆく。半導体は全てプルシアンブルー社、ティッセンクルップ社へ納品してゆく。

歩と共に、ニューカッスル入りした志木小百合は、中東の責任者からPB England社へ転籍し、ニューカッスルに支店を構えた。支店といっても2階建ての商店で、1階は改装中だが、RS Sportsの店舗を出店する。志木は、エディンバラとニューカッスルの工場を暫く往復して、兄弟の事業を支える。英国に留学していた妹から事業計画書を受け取った歩は、ロンドンに開業するRedStar Bankに他の欧州の店舗とは異なる役割を持たせようとしていた。イギリスの不動産には少々歪んだ特色がある。人口の1%に過ぎない2万5千人が国土の半分の土地を所有している。封建体制が未だに続いていると言えるかもしれない。それ故なのだろうが国民の財産の不均衡傾向は否めず、1億円以上の資産を持つ家が41万世帯と世界4位であり、100億以上の資産を持つ企業と貴族が世界2位 1200世帯もある。貴族社会が厳然と残っている数少ない国家なのだ。イギリス経済が落ち込んだとは言え、偏った資産を持つ富裕層が存在する国でもある。金融機関の立場で俯瞰すると「やり方」も他の国とは自ずと変わってくる。

オフの日は3人でプライベートジェットに乗ると、圭吾をパリで降ろし、歩と志木はルクセンブルクとドイツのティッセンに向かうのが恒例となっていた。圭吾と歩はレンタル契約なのでパリとドーハの住居の継続利用が認められている。圭吾はパリのRedStar BankとRS Sportsの支店や、自分で開業した家具、家電販売店に顔を出す。
歩はルクセンブルクとティッセンの本社に顔を出すよりも、2社の基幹工場の現況や研究所を訪問し、各製鉄所のデータを見ながら、次なる施策をあれこれ相談しあっていた。
帰りは圭吾は一人でニューカッスルまで帰ってくる。女っ気が全く見られないので2人は心配していたのだが、パリにわざわざ毎週のように出向くのはそれなりの理由があるらしいと、志木が聞き出していた。何も無いより いいだろうけどさ、と兄は弟を見守る事にした。

ウクライナ・キエフでユーラシア欧州の責任者を務めるゴードン社長にとって、モリ兄弟の英国とスペインへの移動は大きな機動力、補完勢力となった。まず、アルセロール製鉄の各国の製鉄所をプルシアンブルー社の半導体工場に変える。製鉄所は立地の良い場所、鉄の出荷や鉄鉱石等の鉱石の運搬用の埠頭がある。そこで部品・半導体を製造し、海運と鉄路で運び出す。新たに工場用地を確保するよりも遥かに合理的だ。生産するものが「素材」という共通点も、設備で流用出来るメリットがある。回収した設備は全てシベリア貨物鉄道に乗せて北朝鮮へ運んでゆく。無駄なものが一つも生じないので、製鉄工場は宝の山なのかもしれないと錯覚してしまう程だ。
こんな想定外案件も生まれた。4人の兄弟と志木と柴崎は、それぞれの街で各自が軽自動車に乗っている。しかも南米からスペインが持ち込んだ中古車だった。スペインからイギリスまでは、中古車の取り寄せとして海運業者が運んだらしい。イギリスの3人は逆ハンドルとなる左ハンドル車に乗っている。時の人なので、練習やプレマッチで練習場やスタジアムに行くと、軽自動車が取材陣に囲まれる。圭吾と海斗は軽トラだ。歩はワゴン車で、火垂がJimnyだ。そもそも、軽自動車の販売を欧州ではしていないのだが、スペインやイギリスで軽トラックを見るのは初めてなのだろう。2人を撮るより、カメラマンは明らかに軽トラを撮っていた。それがバズった。「あの小さなトラックが欲しい」と、PB Motorsのディーラーにやって来るようになった。
ニューカッスルの隣町のサンダーランド工場に、軽自動車の組み立てラインを加えようと急遽計画中だ。4人は意識してRS Sportsのウエアで全身を纏っている。欧州でRS Sportsの売上が3割増となっている。まるで動く広告塔のような連中だった。
パリで圭吾が始めた家具と家電ショップは地域の人気店になっていて、他都市でも売れそうだとAIが予測している。家電と家具のコンセプトデザインが一緒というのは、確かに他には無いものだ。圭吾の目の付け所は当たり、ネット販売の売れ行きと合わせて売上は好調だ。そんな情報を知ると、日本の店舗でも家電品も並べ始めたという。
デパート、スーパー、コンビニを西欧でも展開させて、兄弟を広告に使う事をゴードンは考えていた。それと並行して、ロボット労働力の導入を各国政府に打診していた。人の採用が難しくなりつつある流通業の深夜労働や、公共運送機関の運転手等でロボットの活用を上申し、議会での承認を進めている。今まで日本製造に拘っていたが、今後は供給が間に合わない可能性が高い。キエフの郊外に新たな工業団地を造成中で、この区画で初の海外ロボット製造工場を稼働させる。欧州市場へロボットを投入して、欧州の働き方改革の後押しをするのが次の目的としていた。

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歩が製鉄会社とクラブチームを手に入れられたのも「敵失」によるものだ。
困窮した状態に置かれると、周囲から不特定多数がハイエナのように襲いかかる。誰が味方で敵なのか、人間不信に苛まれながら、多勢に無勢で進退窮まる状況に追い込まれてゆく。やがて、力が尽き果て、守り抜くことが出来なくなる。いつ何時、誰かに母屋を、事業を奪われもおかしくない事態に直面する・・・商売、事業、政治など・・多かれ少なかれどこでも付いて回る話だ。今回、歩も奪う側、ハイエナの群れに加わったに過ぎない。
これらの行為が商慣習として認められている社会で,この世界は構成されている。今更、止めろとは言えない。祖母がアイディアを提供し、ゴードンがサポートする動きをしたことで、歩が果実を得た事実が残ってしまった以上、もう引き返す事は出来ない。

クラブチームを手に入れたのも本人だけの功績ではなく、偶々、周囲の環境が上手く作用したからだ。開幕直前でのオーナーの交代が異例措置として認可されたのも、オーナー達の心象の中に「明日は我が身」という戒めがあるからこそ、受け入れたに違いない。「日本人の若造如きに」とか、「選手の分際で舐めた真似を」とか、思っているかもしれない。「まずはお手並み拝見」と土俵に上がるのを一時的に認めた格好だ。確かに志木や柴崎という仲間が居るが、オーナーの大半は個人で所有するのではなくて、投資会社や共同持株会社といった、プロの経営者やクラブの運営管理者を抱えた組織だ。そういった集団で運営するクラブを相手に、少数のメンバーで自分のクラブを運営し、競っていこうとしている。これは早々に改善すべきだろう。
純粋に競技を楽しんでいれば良いのに、たまたま軍資金を手に入れたぽっと出の若者が、何を間違えたのかスポーツ産業の世界に躍り出てしまった・・いつ何時、襲い掛かってくるかもしれない相手が跋扈する世界に足を踏み入れた。本人が世の現実を知って出てきたのか、知らずして飛び込んだのか、それは分からない。周囲からは既に、様々な視線で見られている。その一挙一動に人々が、マスコミが注目し、発言を求め、本人の考えを探り、何か失言を口にしないか、失敗しないかと手ぐすねをしながら待ち構えている。

息子達を政治家一家の「サラブレッド」と記者が表現しないのも「駄馬」の可能性が多分にあるからこそ、控えているだけの事。「鉄鋼王」だとも、決して誰も言わない。「スティーラーズ」が精一杯なのだろう。まだ「期間」をこなしていないので、記者達も表現には気を付ける。その見極めができないのに過剰な誇張表現をしようものなら、後に記者としての真贋能力が疑われ兼ねないからだ。今は誰もが慎重な表現しか出来ないのが普通だ。
しかし、日本のマスコミ、日本人だけは極めて尻軽だ。安易に賛辞を送り、祭り立てる。見極めもせずに「見栄え」「口の達者さ」「家柄」だけで「サラブレッド」と表現してしまうのは日本人だけだ。これまで、日本のメディアが持て囃して、本当に「駿馬」だった連中がどの位残っているのか?マスコミは是非検証して欲しいものだ。大半・・いや、恐らく全部が「駄馬」でしかないだろう。マスコミがチヤホヤと取り上げると何故かカリスマ視されてしまう。その時代の寵児扱いされた御仁に目がくらんでしまい、所帯を構えてしまうと厄介だ。玉の輿だと錯覚した自分自身が、一番の節穴だったと学習して頂くしかない。時代の寵児が失敗に転ずると、今度は輪にかけたような残酷な報道が後に続く。一時は持ち上げておいて、次は相手の失敗を嘲笑う。それが日本マスコミの伝統芸で、人の浮沈を取り上げて視聴率を上げ、雑誌の発行部数を上げるのが仕事なのだと胸を張る連中が居るから困ったものだ。海外に居れば、異質な日本のマスコミやワイドショーの雰囲気を見ずに済むのでいいのだが・・。

子供達に対して、親達はあるべき姿やスタンスについて、誰もアドバイスをしなかった。「ただ、見守る」困った時にだけ手を差し伸べよう、そんな距離を置いていた。
アユム本人に意識があるのか分からないが、兄弟の中でも突出してしまった。つまり「モリ・アユムの兄弟」という看板を、歩は兄弟に知らないうちに背をわせてしまっている。兄にも、小さな弟達に対してもだ。
人は残酷な生き物で、なんでも比較してしまう。親でさえ、自分の子供に知らず知らずのうちに順位づけをしてしまっている。だからこそ、突出して成功しなくてもいいから、失敗だけはしないで欲しいと身勝手にも願ってしまう。それはアユム自身の為でもあり、弟達の為でもある。

例えば、歩の前のオーナーのケースで見てみよう。このクラブのオーナーの本業が苦境にあると知った他クラブが、足元を見るかのように、主力選手を引き抜いていった。移籍金は手にした。しかし、クラブの懐事情が芳しくないと知れ渡っていたので、声をかけてみても選手は二の足を踏み、十分な選手補強が出来ない状況にあった。名門と言われたバレンシアが、オーナーの事情だけで簡単にガタガタになる。バレンシアFCも含めて、あらゆるクラブチームが直面し、経験してきた場面でもある。何度となく繰り返してきた光景が、再び再現されたに過ぎない。オーナーになった歩にも、いずれ訪れ兼ねない話だ。
自分は選手登録を避けるという選択は唯一の適切な判断だったが、仮に兄弟がいいパフォーマンスが出せずにブーイングを浴びたとして、果たして兄弟をお前は切れるのか?という問題も出て来る。
親族や身内がクラブ内に居るのも、リスクとなりうるという話だ。

先行きの評価が決して良好なものではない製鉄業という業界を選び、そこにどっぷりと関与してしまった。今後の経営がどうなるのかは予測も難しいが、規模を拡大し、前任者の失敗をトレースし始めた、と見られなくもない。「未来には絶対はない」だからこそ、先行きを誰もが気にする。シーズン前だからこそ、誰もがそう思う。
絶対など無いのだと、皆、知っている・・

自分の作り出した境遇をいかに泳ぎ切るのか、それとも溺れるのか、スマートに泳ぎ続けるのか、それとも足掻いて苦しみながらゴールに辿り着くのか・・その過程も含めて、全てを見届けようと考えていた。それも、父親として、十分な距離を置いて。

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中南米諸国連合の幹事国でもあるスペイン政府に、ベネズエラの首相が表敬訪問しない訳にはいかない。入国した時点で既に連絡は伝わっているし、事前に家族の応援が目的だとも伝えている。マドリードにやって来て、会談が始まると要らぬ情報が手に入る。
スペイン政府が、新オーナー承認の支援に、背後で動いていたのだという。モリのセガレが絡んでると知って、介入せざるを得なかったと明け透けにいうので、カナモリ首相は考え込んでしまった。
スペイン経済に於ける、中南米諸国連合の貢献度は非常に大きなものだ。その連合体のド真ん中に居るベネズエラ大統領の息子だから、配慮したのだろう。フランスとドイツで不動産会社も起こし、ドイツの製鉄会社まで手中に収めた実業家でもある。スペインもご多分に漏れず不動産価格の高騰は問題となっている。スペイン国内で不動産業に取り組んで貰い、地価を下げてもらいたいと考えたのだろう。歩に直々にスペインの産業省が不動産事業を始めて欲しいと要請したらしい。それでスペイン首相自らが、各クラブチームのオーナーの説得に乗り出した・・のかもしれない。
シーズン前であってもバレンシアFCの売却は已む無し、と全てのクラブが容認の姿勢を見せた。本来ならば選手達には何の咎もない話なので、経営が良好な状況で継続されるだけラッキーなオーナー交代劇だと言われていた。

バレンシア市民が歓喜したのは、日本人オーナーに代わると報じられると、今までとは異なる様々な企業がスポンサーに名乗りを上げてきた。少なくとも、ラ・リーガで最も資金力のあるクラブチームになる可能性を秘めていますよ、とスペイン首相が思いついた様なリップサービスを最後に言った。 

鮎はこの首相が、大嫌いになった。

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8月早々にバレンシア入りした火垂と海斗の兄弟は、チームに合流し練習に参加した。最初のプレマッチでは、スペイン人監督とコーチ陣が引続き指揮を執ったが、翌週のプレマッチから、スタンドでビデオカメラとタブレットを抱えて試合を見守っていた後任の日本人監督と新コーチ2名が指揮を執っている。元コーチ達は給料はそのままに下部組織へ移動して貰った。何時でも復活できるように含みを持たせているが、AIが機能している今は復活の機会は当分の間やってこないだろう。

日本人コーチ陣と火垂と海斗では協議が常時持たれており、試合相手の分析結果と、当日のポジションと役割をそれぞれの選手に伝えて、戦術コーチが個々の役割の指示を徹底してゆく。選手は毎試合、コーチの指示通りに試合に臨んでいた。
上手く機能しているので、暫くは戦術AIの「間接的な利用」で様子を見る。外人選手枠を一人開けているのでカタール・アルシッドのアルゼンチン選手を、夏の移籍市場で獲得する予定だ。
PB Barcelona社がバレンシア市に新拠点となるオフィスを契約すると、中東から転籍してきた柴崎が事務所に入り、RS建設とIB不動産を設立した。マドリード、バルセロナ、バレンシアの建設会社と地方銀行との提携交渉に乗り出している。
柴崎はPB MiddleEastから、PB Barcelona社に転籍した。ゴードン社長の温情采配だった。バルセロナから然程離れていないバレンシアに拠点を構える事ができた。そこに翔子、志乃に引率されて、ベネズエラから5人の小学生がやってきた。兄のクラブチームで下部組織の選手として寄宿舎生活を送る。スペイン語はこの半年で随分流暢に話せるようになっていた。
火垂と海斗が小さな弟達を面倒を見ると申し出ると、5人は迷うことなくスペイン行きを決めたという。実際は柴崎の負担が増すかもしれない。これで海斗は柴崎から離れることが出来ない・・かもしれない。「チェックメイト、投了!」柴崎のバレンシアでのツィートが、客室乗務員の元同僚達に出廻ると「おめでとー」の文字が連なった。

同時にバレンシアFCにもスペインの国内外から、スポンサー企業が集まってくる。元宗主国のスペインだからだろう、中南米の企業も大挙してバレンシア入りし、拠点を構える動きを始めた。

バレンシア市に、歩は活力を齎したのだろう。響子は前向きに評価した。
こうしてクラブを手に入れた事で、火垂と海斗はチャンスを手に入れた。2人をその気にさせたのも、歩が発破をかけたからとも言える。
歩がサッカーに再び向き合うようになると、兄弟には何よりも刺激となる。その一縷の可能性に賭けたのが倅に他ならない。治らないと言われていた足の怪我をアメリカの外科手術に託し、自分の軟骨の一部を提供してまで治そうとした。結果的に成功したのも、親子の持つ運のようなものなのだろう。
その運に、響子も賭けた。他の兄弟にはない素養を身に付けた歩に、貧者の知恵を与えた。響子がこの歳になって事業を始めたのも、最後のご奉公のつもりだった。
孫達が授けてくれたITを使わせて貰い、今の世界が自分に近づいたものへと変わった。そこで得た知識やアイディアで、机上の空論を練って、練りまくった。歩はそのプランを現実的な内容に変えながら実行し、完遂してみせた。勿論、驕り高ぶる性格ではない。堅実で質素な生活スタイルには変化は生じていない。プロのサッカー選手が中古の軽自動車で、自分がデザインしたウエアを着て練習場に通う、そんな自分の見せ方まで計算している。祖父によく似ている・・

今の状況を見る限り、おそらく今後のビジネスも堅調に進めるだろう。倅の、小心者のような心配はいらないと響子は思った。このバレンシアに集まった家族の顔が物語っているじゃない。
歩は、このスペインの地に、みんなの居場所を作りだすことに成功した。 

何故、お前はここへ来て、我が子を祝福して上げないの・・

響子は息子よりも、孫の将来性を高く評価していた。

(つづく)

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