自転車日本一周の旅1日目
2014年8月19日。僕は滋賀県にある実家を飛び出し、自転車日本一周の旅に出た。
朝8時、外は快晴だ。空はやたら青く、剥き出しになった太陽がジリジリと僕の肌を焼く。自転車を走らせていると、道路沿いに置かれた温度計が35度を記録しているのが見えた。だけど、「暑い」とか「しんどい」とかいう気持ちは一切ない。
そんなことが気にならないくらい、心の中のワクワクドキドキが勝っていた。
僕は今、好奇心だけに動かされている。
「自転車でどこまで行けるのか試してみたい」「日本という場所をちゃんと見てみたい」
そんな衝動だけに生かされている。
旅は滑り出しから調子がいい。一番重く設定したペダルが嘘みたいに軽く感じられる。自転車はどんどん進んでいく。
「待ってろ、日本!」そんなことを叫びたい気持ちだ。
いよいよ地元の終わりが見えてきた。地元を出れば、もうすぐ右手には母なる湖、琵琶湖が現れるだろう。
見慣れたはずの琵琶湖は、僕の目にどう映るのだろうか?
そしてこの先には、何が待っているのだろうか?
わからない、わからないから、追いかけてみる。
いつかやろうとしていたこと、いつかやってみたかったことを、今やってやるのだ。
大学5年生。おそらく人生最後の夏休み。
まだ見ぬ景色を求めて、僕はさらに強くペダルを踏み込んでいく。
と、いうような内容の日記に、本来ならばなるはずだった。
本当は、こんな感じの「うーん、青春!」みたいな日記にしたかった。
だがしかし、2014年8月19日、夜の10時10分過ぎ。今、僕は実家にいる。冷房が効いた自分の部屋でベッドに寝転がり、iPhoneのメモにこの文章を打ち込んでいる。
ちなみに今日の夕飯は大好物の唐揚げだった。母がつくる唐揚げは、どの飲食店よりも美味しい。あまりにおいしすぎるので、ご飯大盛りを三回おかわりしてしまった。お腹がはちきれそうなほど苦しい。
もしすべてがうまくいっていたら、僕はさっき書いたような旅に出ているはずで、おそらく、この時間なら既にテントの中でスヤスヤと眠っている頃だ。
だが、日本一周1日目。僕は、実家にいる。
「旅にハプニングはつきものだ」ということをひしひしと感じた、そんな一日だったのだ。
まず、朝6時に起きた(正確には、爆睡しているところを「あんた旅出るんちゃうの!」と母に叩き起こされた)。ここまではパーフェクトである。
1階に下りると、玄関には必要な荷物が入ったバッグやテントなどが置いてあった。昨日の自分、ナイス。ここまでも、パーフェクトである。
それで母親がつくってくれたブレックファーストを食べようとしたのだが(朝食はライスにミソスープにサーモン、ナットー。これもパーフェクト)、ここで父が心配そうな目線を僕に投げかけているのに気がついた。
「おまえ、ほんまに旅出れるんか?」
僕は静かに首を横に振った。答えはNoだ。ノットパーフェクトである。
先ほども言ったように、野宿用のテントに、テントの中で敷くマットレス、数日分の着替えと洗剤、自転車の予備のパーツや工具など……すでに必要な荷物は二つのバッグにまとめてある。
あとはこれらのバッグやテントを自転車に括り付けるだけなのだが、僕のロードバイクは荷台がついていない。荷台を取り付ける必要があるのだ。
だが、出発当日になってもまだ、僕はその荷台を取り付けていなかった。「こんなん数分で終わるやろ」と余裕をぶっこいて昨日の昼に始めたのだが、想像以上に難易度が高く、途中で挫折してしまったのだ。
荷台は鉄でできており、穴が上と下にそれぞれ2箇所ずつ、全部で4箇所空いている。その穴をロードバイクの穴に通してコイルで固定すれば終わりなのだが、よりによって、僕が購入した荷台は少しだけ下側の穴2つが外側に曲がっていたのだ。
最初は「黒だし、そういう目の錯覚みたいなのがあるのかもな〜」程度にしか思っていなかった。いざ作業に取り掛かってみると、上の2箇所をすぐに固定することができたので、やはり目の錯覚だと思っていた。
しかし、下側を連結させようとすると、本来あるべき場所よりも2つの穴はかなり外側にあるのだ。やっぱりめちゃくちゃ曲がっていた。不良品だ。旅の前日に不良品だと気付かされるなんて。
専用のコイルは長さがまったく足りず、なんとか無理やり荷台を曲げようとしたが、荷台は鉄でできているため、うんともすんとも言わない。
「フンッ!」「ハァッ!」と何時間も格闘したものの、連結できなかったのだ。
「まぁ、これでもいけるんじゃないか?」と思って試しに荷物をセットしてみたが、下がゆるいと荷台全体が嫌な沈み方をした。出発前から、ハプニングのオイニーがプンプンするのだ。
さすがにこの状態で出発すると、僕自身、荷物のことで頭がいっぱいになって純粋に旅を楽しめなさそうである。
漫画のバガボンドで、沢庵和尚が武蔵に「一枚の葉にとらわれては木は見えん。一本の樹にとらわれては森は見えん。どこにも心を留めず、見るともなく全体を見る。それがどうやら『見る』ということだ」と言ったが、僕はまさに自分の荷物だけを見て旅をしてしまいそうなのである。
だけど、明日出発するってみんなに言っちゃったしなあ……。今日やっとかないとまずいよな、これ、普通に……。
そんなことを思いながら悩みに悩んだ結果、空がオレンジ色になっていたこともあって「明日には付けられるかもしれないから、明日がんばろう!頼んだ、明日の自分!」という結論になり、僕は家の中へと戦略的撤退を行ったのだった。
つまり、自転車日本一周の旅に出る予定ではあるものの、荷台が取り付けられていないので、旅に出られなかったのだ。
時間は今日の朝に戻る。朝食後、家のまえで再び「フンッ!」「ハァッ!」と鉄と格闘していると、仕事に出発する直前の父が荷台を見てくれた。
そして「コイルの長さが足りていないので、長いものを買った方がいい」と、めちゃくちゃ真っ当なアドバイスをくれた。仕事帰りに部品を買ってきてくれるという。
その厚意に感謝しながらも、小林泰輔22歳は「もうちょっとやってみる」と言い、再び「フンッ!」「ハァッ!」と鉄を曲げようと試みた。
だが、暑さや苛立ちのせいで鉄を曲げるよりも先に心が折れてしまい、朝10時ごろには「部品、お願いします」と父にラインして家の中に引き返したのだった。
実家のリビングに寝転がってテレビ(人間国宝さん)を観たり、和室に寝転がって音楽を聴いたりするうちにウトウトしてしまい、気づいたらそのまま眠ってしまった。
「自転車で日本一周をしてみたい」と思ったのは、大学1年生の夏のことだ。
僕は早稲田にある学生寮に住んでいて、斜め前の部屋にはFさんという先輩がいた。F先輩はロードバイクが趣味で、時間を見つけては旅によく出るような人だった。
いつもは「先輩、起きてくださいよ!」と言いながらビンタしても起きないのに、旅に出ると決めた日だけは例え早朝であろうとシャキッと目覚めて「ウィ!行ってくる!」としっかり旅に出ていくのだ。
先輩は「俺は日本のすべての峠を制覇する」と言って国内のあらゆる峠に挑戦したり(先輩は走破した峠を記録していて、その数は本当に多かった)、「ちょっと行ってくるわ」と言って日本一周やアメリカ、オーストラリア横断を敢行したりと、めちゃくちゃ楽しそうだったのだ。
僕も、もともと自転車に乗るのは好きだった。母と自転車ででかけたり、友人と冒険をしたりして遊んだり。それらがとても楽しい思い出として残っている。
そして「もっと遠いところに行ってみたい」「あの山の向こうには何があるのか、見てみたい」と思いながら家に帰らないといけない歯痒さも、しっかり覚えていた。
だから、真っ黒に日焼けした先輩が話す旅の話を聞くうちに、行きたい場所に自転車で行く、ということをやっている先輩を羨ましく感じるようになった。
そして、話を聞くうちに「僕も、いつか、自転車でどこまで行けるのか試してみたい」「いつか、日本という場所を自分の目で見てみたい」と強く感じるようになった。
ただ、この時は「いつかできたらいいな」程度にしか思っていなかったし、自分が旅に出ている姿もまったく想像できなかった。
その後ロードバイクを購入して街をウロウロすることは増えたものの、旅の予定を立てるようなことは一切せず、結局、僕は過ぎていく時間にダラダラと身を任せ続けていた。
そしてダラダラし過ぎた僕は、大学に留年してしまう。
両親からは電話でメタメタに怒られるわ、就職で誘われていた出版社はいきなり倒産するわ、人生のお先が真っ暗になりつつあったものの、1年の延長が決まったモラトリアムを「挑戦する期間として使いたい」と思うようになった。
幸運なことに前期で卒業できそうだったので、せっかくだったら大学生でも社会人でもない、空白の半年間を全力で楽しんでやろうと思ったのだ。
そこでふと思い出したのが「自転車日本一周の旅」だった。
だから僕は昼間はバイトをしまくって旅の資金を稼ぎ、夜は、多留を理由に寮を追い出されていたF先輩の家に行って、ラーメンをおごってもらいながら、いろんなアドバイスをもらった。
「泰輔、いつ旅に出んのさ?」ラーメン屋を出たときに、先輩に聞かれた。僕は出発日をなにも考えていなかった。家に帰る道中、ぼーっと考え、漠然と8月19日が浮かんだので、その日から出発しますと先輩に連絡した。1ヶ月近く時間があった。
まじめに働くうちに資金は準備でき(2ヶ月で35万円を貯めて、旅に出るまでに15万円使ってしまった)、キャンプ用品一式はF先輩から借りた。F先輩は僕みたいな凡人には理解できないほど懐が深い。「ああ、これ使いな」と快諾してくれた。本当にありがとうございます。
旅に出ることを大学の友達や寮の人々、バイト先、バイト先の常連さんなどに報告した。たまに「自分探し?」とバカにされて少し傷ついたこともあった。
だが、僕のことを知っている人は全力で背中を押してくれた。お守りもたくさんいただいた。常連さんからは多額のお小遣いをいただいた。ありがとうございます。
悪友たちと安酒を酌み交わし、ゲロを吐きながら再会を誓った。悪友たちに言われた。俺の分まで頑張ってこい、絶対に生きて帰ってこいよ、エッチなハプニングが起きるといいな。
そして数日前、地元に帰ってきた。旅の準備は万端だ!よし、いつでも行けるぞこのヤロー!いつでも行ってやるぞこのヤロー!やる気は満々だ。気持ちだけなら、日本どころか世界、いや宇宙まで一周できそうだった。
しかし、荷台が取り付けられなかったのである。
日本一周1日目。昼飯に母が作ったオムライスを食べた。食後にリビングでアイスコーヒーを飲みながら、漫画のMAJORを読む。ゴロゴロしていると、スマホが鳴った。
見てみると、大学の悪友Yからのラインだった。
「今、どこにいんの?」
僕はシカトを決め込むか少し悩んだ。日本一周の1日目だが、自宅にいるからだ。でも、返事をすることにした。
「実家……」
「えっ!?」
「まだ実家なのよ」
「どういうこと?今日出発じゃないの?」
「ハプニングがあってさ。明日にしたのよ」
「えーーーーなんだよーーー」
Yが残念そうに言うので、少し戸惑った。確かに日程通りに旅に出ることはできなかったが、旅には出る予定である。それに、どうしてあいつがそんな反応をするのだろう?
訊いてみた。
「どうしたん?なんかあったんか?」
すぐに返事がきた。
「俺いま福井にいるんだけど」
「えっ」
「さっき電車で着いたんだよ」
「まじ!なんで福井に来たの?」
「なんでって、お前!別になんでもないよ!」
そういうと、悪友から返事が来なくなった。
僕は「なんでこいついきなり連絡してきて怒ってるんだろう」「なんで福井県にいるんだろう」と疑問に思いながらMAJORをまた読み始めた。そして中学生の茂野五郎が左投げに転向したことを山根や小森たちに告白するシーンで初めて「あああ!!!」と、彼の言いたかったことに気がついた。
もしかすると、彼は、僕にサプライズをしようとしていたのではないだろうか?
「サプライズをしようとしたのではないか」という過度な期待を抱くのがいかにゲキキモであるかは百も承知なのだが、そういえば、僕は彼に初日に福井県に行くことを言っていたような気がするのだ。そして、あいつはやたら応援してくれたのだ。
多分、それであいつは福井県に来ているのだ!!
うわー!ごめん!ミスった!今から福井県、行けるかな?
でもどうやって行こう?自転車?荷台がないんだが!じゃあ電車?いや、それはダメだろう!行って帰ってくるのもアリだけど、あっちは自転車で来ると思ってるわけで。駅で合流してあいつとしゃべって地元に帰ってくるというのは、なんか間違えてる気がする!
ジタバタしてもダメなので諦めた。今度あいつに会ったら謝ろうと思う。
というわけで、漫画を読んでいると夜になった。仕事帰りに父が部品を買って帰ってきてくれ、無事に荷台を取り付けることができた。
そして今日の夕飯は唐揚げで、僕はご飯を三杯食べたのだ。両親と姉は僕のことを呆れた目で見ていたが、起きたことはしょうがない。
旅にハプニングはつきものだということを、旅の初日に学べただけよかったのだと思う。
僕はいよいよ明日、日本一周の旅に出る。
ここまで散々ふざけたが、いざ明日旅に出るって考えるとソワソワして落ち着かない。
どんな景色が僕を待っているのか?まったくわからないけど、多分なんとかなるだろう。
きっと、楽しめるはずだ。
だから、つらいことや嫌なことがあっても走り抜けたい。
全力で楽しみ、怪我なくこの場所に帰ってこられたらと思う。
生きます。