「知る」前に、動く
私は最近、英語を勉強している。
まだ勉強したての私は、「英語を話せる世界」がどのようになるか知らない。
しかし、なんとなく、そんな世界を想像して時々ニヤけている。
その世界や自分自身に対して期待を抱いている。
だから、勉強している。
一方で、その期待とはあくまで仮説に過ぎない。
同時に投資した時間やお金に対する見返りとしての結果が得られるのかどうか、そんなことは分からない。
「もっと別のことに時間やお金を使えば、もっとたくさんの見返りがあるのではないか」ということも頭を過ぎる。
勉強し始めたときには、
「英語よりも自分で起業してビジネスを始めた方が良いのではないか?」
「まずは何よりも目の前の営業成績を上げてからにした方が良いんじゃないか?」
「本当に英語って役に立つのか?」
という言葉が何度か頭に浮かんでは消えた。
そしてふと思う。
「ああ、なるほど。人はこうして、一つのことに打ち込むということができなくなるのか。」
何か自分の時間やエネルギーを一つのものに投資していけば、当然その結果が出てくる。
もちろん思った通りにいくとは必ずしも限らないし、往々にして挑戦的な目標に対する初動には失敗がつきものだ。
だからこそ思う。
結果が出ること。
それはどんな結果であれ、人生が前進していることの証。
改めて、私は英語でコミュニケーションしている自分が好きだ。
そして、世界中のまだ行ったこともない国、文化、歴史を持つ人たちと日本や世界でビジネスをしたり、旅をしたり、研鑽したい、という欲求が自分の中にある。
「俺はこの欲求に突き動かされて生きているんだ」という思いそのものを自分で確認できる幸せ。
それを実行させてもらえる周りの人間関係、あらゆる環境、そしてそれを可能にしている自分の肉体、健康状態、自己意識に対して、強烈な感謝が湧いてくる。
それは、自分が主催し、かつ自分自身も参加し、自分が決めたマラソンコースを、今この瞬間走っている感覚の中で生きることの幸福に近い。
そう思い始めてから、英語の勉強に対して、より一層の成果や見返りを求めるようになった。だからこそ、いっそう身が入ってきた。
同時に、その見返りが自分の想定通りでなかったとしても、「自分で掲げた目標を達成する道に今自分が立っていることそのものを生きる」という生き方をしている自分に満足している。
だからこそ、安心して、もっと遠い世界へ行ってみよう、という気持ちを持ち続けることができているのだと思う。
もし私が「英語の話せる世界がどんな世界か、”知っているから動いている”」ということであれば、逆にそうした世界への期待が抱けるだろうか。
知らないからこそ、動きたくなるのではないか。知りたくなるのではないか。ワクワクするのではないか。
見たこともない問題や課題にぶつかるからこそ、ワクワクする。そんな生き方で、これからもずっと生きていようと思う。
そして最後に。大切なのは、問題が起きるたびにネガティブなことを言いまくる人からは一刻も早く距離を置くべきである。自分の状態と環境には、自分自身で責任を取るしかないのである。
〜完〜
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