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 学校は家畜化工場だから不幸なのが正しい。by天皇家と統一教会&英国王



より

上記文抜粋
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「日本の子どもが幸せそうじゃない」問題を直視せよ、自殺・不登校・いじめ過去最多

● 「子どもが幸せじゃない日本」で育つとどんな思考になる?

 岸田政権が掲げる「異次元の少子化対策」の目玉のひとつ、「子ども予算倍増」が炎上している。何の予算を、いつまでに、何に対して「倍」に増やすのかがよくわからないとして野党から批判を浴びているのだ。

 ただ、カネをいくらバラまこうとも少子化には歯止めがかからないだろう。日本人が子どもをつくりたくないと考える根本的な問題にまったく手がつけられていないからだ。

 それは端的に言うと、「日本の子ども、まったく幸せそうじゃない」問題である。

 3月1日、ツイッターで「過去最悪の512人」というワードがトレンド入りした。昨年、自殺した小中高校の児童・生徒が512人で過去最多になったというのだ。こういう話を聞くと脊髄反射で、「それはコロナが」と理屈を並べたくなる人たちもいるが、コロナ禍以前から日本は「子どもが生きる希望を失って自殺をする国」として知られていた。

 ユニセフが20年に発表した「レポートカード16」では、日本の子どもの精神的幸福度は38カ国中ワースト2位だった。また、日本では15~39歳の各年代の死因の第1位が「自殺」である。人身売買や戦争のない先進国では、子どもが亡くなるのは事故や病気が多いが、日本では自ら死を選ぶ子どもが多い。しかし、G7でこういう異常な国は日本だけだ。

 自殺までいかなくとも「心」が殺されている子どもも多い。文部科学省によれば、令和3年度で全国の小中高校などを対象にした「いじめ認知件数」は61万5351件。前年度に比べて9万件以上増えていて、これまた過去最多となっている。また、病気などを除いて30日以上登校しなかった小中学生も21年度に24万人を超えて、こちらも過去最多だ。

 さて、そこでちょっと想像していただきたい。このように子どもがいじめられたり、不登校になったり、自殺をしてしまったり…というようなことが日常的に起きている国で、成長した若い男女が結婚をした時、「子どもが欲しい」という発想になるだろうか。

 なるわけがない。どんなに苦労をして育てても不幸になることが見えている。そんなわかりきった「無理ゲー」に挑みたくないという若者はかなりいるはずだ。

 実際、それがうかがえるような調査もある。

お金の問題ではない?若い人が子どもはいらないと思う理由

 BIGLOBE(東京都品川区)が18~25歳の未婚男女500人に実施した「子育てに関するZ世代の意識調査」である。

 それによれば、「子どもがほしくない」と回答したのは45.7%と半数近かった。ただ、それよりも注目すべきは、その理由として「お金の問題」と答えた人が17.7%にとどまったことだ。

 つまり、政府が「産めよ増やせよ」と税金をバラまいたところで、少子化対策の効果としては限定的ということだ。

 では、「お金の問題ではない」とする若い人たちは、なぜ子どもが欲しくないのか。

 もっとも多いのは、「育てる自信がないから」(52.3%)である。これは言い換えれば、「子どもをつくっても幸せにする自信がない」ということでもある。先ほども触れたように、日本の子どもはちっとも幸せではないので当然、子どもを産んで育てることは「失敗」が見えている愚かな行為だととらえる人も出てくるのだ。

 次いで多いのは、「子ども好きではない、苦手だから」(45.9%)、「自由がなくなる(自分の時間を制約されたくない)から」(36%)だった。これは完全に子どもを「お荷物」「厄介」扱いしている。このように考える人というのは、自身も親や周囲の大人から「お荷物」「厄介」だと思われていたケースが多いのではないか。「不幸な子ども」が大人になって、自分のような不幸な子どもをこれ以上、世に増やしたくないという思いで、「子ども嫌い」になっている可能性もある。

 日本の少子化の背景に「日本の子どもが幸せではない」ということもかなり大きなウェイトを占めているかもしれないということを、この調査は示してくれている。

 少子高齢化という問題は、かれこれ半世紀以上前からわかっていて警鐘が鳴らされてきた。政府も以前から少子化対策の予算を組んで、「子ども手当」のようなバラまきも行ってきた。しかし、まったく成果が出ていないのは、この問題の元凶が「カネ」だけではないからだ。

 日本特有の“ハラスメント教育”が元凶?

 では、なぜ日本の子どもは幸せそうじゃないのか。いろいろなご意見があるだろうが、個人的には、日本特有の“ハラスメント教育”が元凶だと考えている。

 日本では「子どもを自由にのびのび、個性を尊重して育てる」ということを建前としてはよく言うが、本音ベースでは「そんな風に育てたらロクな大人にならないぞ」と言わんばかりに、自由も個性も否定しがちだ。

 事実、物心ついた頃から家庭や学校で「ルールを守れ」ということを教え込み、「みんなのことを考えろ」と同調圧力を叩き込んでいる。そして、もし自分勝手な行動をしたり、集団の秩序を乱したりすると「痛み」でわからせるという大人もまだ存在している。殴ったり、蹴ったり、グラウンドを走らせたりという「折檻(せっかん)」が「愛のある体罰なのでセーフ」と奨励されてきた過去があるからだ。

 そんな日本のハラスメント教育の象徴が、「制服」だ。

 貧しい家庭でもありがたいとか、もっともらしい理由をつけているが、本質的なところでは、私服よりも没個性の制服の方が、親や教師という大人側が「管理がラク」というだけだ。制服は青春の象徴だ、みたいな話も大人のノスタルジーに過ぎず、「子どものため」を考えたルールではない。

 また、授業以外でも徹底的に「個性」を殺して、集団への貢献を誓わせる。わかりやすいのが、運動会の集団体操や人間ピラミッドだ。あれに感動している保護者は、マスゲームで熱狂している北朝鮮の人民と自分たちが何も変わらないことに気づいていない。

 世界的にも珍しい「ブラック部活」も同じだ。海外では、スポーツなどの課外活動は自分の意志でやりたい子どもだけが参加して、1年の中で活動する期間が決められている。日本のように、朝から晩まで週6日部活で、子どもが疲労でフラフラ…なんてバカな話は少ない。よく言われる「部活で苦しい経験をしたから今がある」という話も、大人たちが自分の受けたハラスメントを正当化しているだけだ。

 しかも、ただスポーツをやるだけではなく、髪型がどうしたとか、声が小さいとか、礼儀作法やら精神論も叩き込まれる。これはあまり言われないが、軍隊的な集団教育だ。

● 集団主義教育によって子どもたちが「日本人」になる

 日本の部活が今のように、親や教師という大人が前のめりになって、体罰やシゴギで子どもが死んでいくようになったのは1960年代だ。

 この時期に何があったのかというと、「集団主義教育」の復活だ。

 戦前の子どものように規律正しい行動ができるようにしよう、ということで東大教授の宮坂哲文氏を中心として結成されたのが、「集団主義教育」の普及を目的とした「全国生活指導研究協議会」だ。これがあれよあれよと勢力を伸ばし、1963年には会員が2000人を突破した。

 そしてこの年、GHQが軍隊っぽいとして禁止していた「気をつけ」と「休め」について、文部省によって設けられた集団行動指導の手引き指導委員会が「復活」を検討。その翌年には、「集団行動の統一スタイル」(読売新聞 1964年5月25日)として全国の小学校に普及する。

 この時期から「部活」は「涙と根性」がつきものになって、ひねくれた子どもの性根を叩き直す教育的機能が期待されるようになる。つまり、血反吐を吐かせて、ボコボコに殴っても、勝利の喜びを経験させてやれば、自堕落な子どもたちにも、集団主義が身について立派な日本人になれるというわけだ。

 こういう集団主義教育の極め付けが、「偏差値」だ。世界の大学は、高校の成績や論文などで総合評価式の審査を行っているが、日本はいまだに一斉学力テストなど、偏差値教育に固執している。そのため、子どもは幼い頃から、遊びの時間を削って、偏差値アップのための詰め込み教育を強いられる。成長するにつれ自由と個性をつぶされていくというのは、子どもにとってこれ以上の「ハラスメント」はない。

● 日本では「自由に生きてはいけない」

 さて、いろいろ並べたが、気になるのは、こういう日本独特のハラスメント教育を続けると、一体どういう人間に成長をするのかではないか。

 その一端がわかるのが、平成30(2018)年度に実施された「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査」だ。これは日本、韓国、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、スウェーデンという7カ国の満13歳から満29歳までの男女を対象に実施したインターネット調査である。

 その中で、「他人に迷惑をかけなければ、何をしようと個人の自由だ」という質問に対して、「そう思う」と回答をしたのは、日本以外の国では7~8割いた。しかし、日本だけは42.2%しかいなかった。つまり、日本の若者は「他人に迷惑がかからなくても自由に生きてはいけない」と考えているのだ。

 なぜ日本の若者だけがこんなにも「自分を殺す」という傾向があるのかというのは、国民性などというふわっとした言葉では片付けられない。やはり幼い頃からのハラスメント教育によって、大人たちから「いいか、子どもだからって調子に乗るなよ。みんなと同じが一番だから、自由勝手に生きようなんて大それたことをするな」と繰り返し叩き込まれているからではないのか。

 いずれにせよ、日本の子どもたちが学校や家庭で、かなり生きづらい環境にいるということは、自殺、いじめ、不登校の多さからも明らかだ。

 父親にボコボコに殴られた子どもを保護した後、「やっぱりパパと一緒が幸せだよね」なんて感じで地獄に送り返して死に至らしめるような児童虐待の事件が多いことからもわかるように、日本では欧米と違って、「子どもの人権」は尊重されていない。日本は「親権」が強いので、まだ未成年者は「親の付属物」のような扱いなのだ。

 まずは諸外国のように、子どもを一人の人間として扱って、子どもの幸せを実現する。そういう当たり前のことができずに、「子どもを増やせ」もへったくれもないではないか。

 (ノンフィクションライター 窪田順生)

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抜粋終わり

親権も怪しいのだ。

「天皇陛下の赤子だから、国家の好き勝手になるべき」ってのが、潜在的にある。

し、親の人権を国家や社会がまともに保護しているわけでもないに、親が子供にまともに人権を教えれるわけがない。

からも

上記文抜粋
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wgd5571時間前

同じことを常に感じていたので、よく分かりました。教育に問題がありますよね。不登校の子供達は敏感にこの国の異常を感じているけど、うまく伝えられないから、苦しんでる。その子らを見て見ぬふりで公教育から放置してる国の責任は重大です。
今この国を動かしているのは、まさにこのハラスメント教育にマッチして生き延びた偏差値の高い人たち。残念ながら、そんな頭でっかちの役人や政治家が、自分たちの人生を否定するような教育改革はできないでしょうね。なぜなら、エリートの自分たちを育てた偏差値教育、同調圧力に合わせる協調性を育てるこそが一番良いと思ってるんだから。
子供たちの未来も、日本の未来も絶望感しか感じないです。

・・・・・・・中略・・・・・

are*****1時間前

親だって没個性教育を望んでいるわけじゃないが、自分たちが歩んで来た道から子どもの将来を案じずにいられない。
男子はそれまで自由自由できたものが、社会人になった途端「いつまでも学生気分では困る」と会社の集団主義を叩き込まれ、自己主張せず酷使しても壊れない兵隊になるのを期待される。男だからと長時間労働や飲みニケーション、上司への忖度を強要される。
女子はそれまで平等できたものが、急に「女は出産するから」と門戸を狭められ、能力不足と給与に差をつけられ、マナーとして女らしい外見や振る舞いを強制される。
そして社会全体に蔓延する同調圧力。
それを経験してきた親が子どもに「そんなんじゃ社会に出てやっていけない」と集団主義を学ばせるのはある意味当たり前。子どもが将来困らないようにとの配慮だ。それが幸福を奪っているとは知らずに。

・・・・・・中略・・・・・・

*****2時間前

貝塚古墳を発見したモースは、「町や家は朝から掃除され、ゴミ一つ落ちていない、識字率が高く、庶民も和歌を詠み、古道具を飾って楽しみ、街角では冗談を言いあってゲラゲラ笑い転げているし、老人や子供達も大事にされて明るい。ここは、天国か?」と記している。ジェンダーの問題も、戦争をして軍国主義になってから。それまでは、障がい者も同性愛者も「特別な感覚を持った人、居るのは当たり前」として認識されていた。今、軍国主義の名残が時代に合わなくなって、やっとおかしいとみんなが気づいてきた。坊主頭でないと野球は強くなれない?黙って列に並んで緊張している幼稚園児の運動会、何が楽しいの?って。さっさと変えて行ければいいですね、時代に合わせて。お互い様、袖すり合うも多生の縁、日本には「和」の精神がある。想像力を働かせて、思いやりと友愛を。

kdh*****55分前

相変わらずブラック労働に耐えられる人間を養成しようとするから、現代の子供には耐えられない。もっと仏教を取り入れるなど心の教育を重視したほうが良い。学歴主義に関しても、昔から東大に執着して早稲田で仮面浪人とか結構いたけど、皆が東大に向かう必要は無いはず。バスの運転手などがそれなりに豊かに生活できるようにしないと。

低脂肪牛乳 トースト好き2時間前

給食ではマスクに黙食、コオロギを食べさせる学校も出て来たということなので日本が子供たちを大切にする国だとはとても言えませんね。
教育予算も毎年減らされて教員不足に陥って教師のブラック労働環境と化し
それゆえに子供に対する扱いが雑にならざるを得ない。
子供たちは卒業したら大卒までいかねば非正規労働者になる割合が多く、
そのために熾烈な競争になるけど親に経済力が足りなければ将来はずっと低収入と決まっているようなものなので
希望は持てなくて当然。
そのような社会を政府は作り上げてしまったという訳です。
私が若者だったら子供が可哀想で絶対に子供をつくりませんね。

・・・・・・・中略・・・・・

aaa1時間前

過去30年間不況だからね。

国民の給料は毎年減少。

政治家の給料だけ、毎年上昇する国だからね。

外国人から見たら、日本人って、長時間、低賃金で働いて。

居酒屋で、政治家や会社の上司の悪口を話して、人生の何が楽しいの?と言われるよ。

そんな国に生まれた子供が幸せなわけがない。

日本に生まれた時点で、生まれてくる国ガチャの失敗。

全ては、日本の政治家、自民党の責任だろう

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抜粋終わり

まあ、政治=天皇が、諸悪の根源ですは。

より

上記文抜粋
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あなたの子どもがいじめで自殺したら... 地方私立高校で起きた信じられない出来事

 ある日の夜、これまで普通に暮らしていたあなたの子どもがいつになっても帰ってこなかったら...。家出?誘拐?事故?親であれば誰もが眠れず、心配になるに違いない。

 2017年4月、長崎市の高校2年生の勇斗(はやと)君もそうだった。父親は単身赴任、長男は遠方の大学に進学し、一人だけ家に残された母親は狼狽し、警察にも連絡するが行方は分からない。しかし、翌日、公園で首を吊っている勇斗君が見つかる。想像もしなかった自殺。享年16。そして、学校でのいじめが原因だった可能性が浮上した。

 これだけでも家族を打ちのめすには十分な事実だが、自殺した勇斗君が通う高校は、「いじめによる自殺」をどうしても認めようとしない。いや、最初から「突然死」「転校」ということにすることを持ちかけ、自殺そのものも隠蔽しようとした。家族が動揺しているのをいいことに、学校側の責任を回避しようとする信じがたい行動で、家族はさらにダメージを受ける。

 本書『いじめの聖域』(文藝春秋)は自殺した勇斗君の家族と、長崎の名門私立、海星高校との間で繰り広げられる「事実」をめぐる闘いを、現地の共同通信記者、石川陽一さんが克明に追いかけたノンフィクションである。

第三者委「いじめ認定」も受け入れないキリスト教学校
 海星高校はキリスト教に基づく中高一貫教育で知られる。学園の幹部はクリスチャンだ。東大合格者も出し、野球部は甲子園出場経験もあり、長崎はもちろん、全国でも知られた名門校である。

 勇斗君の父母、そして同じ海星出身の兄の3人は、自死の背後にあったいじめの事実を勇斗君のメモなどから確信していくが、まるでかみ合わない学校側とのやり取りをめぐる描写を読み続けているうちに、こちらも息苦しくなってくる。

 未成年者の自殺、ましてやいじめがからむとなれば、扱いに丁寧さが求められるのは当然として、学校は真相を解明し、同じようなことを2度と起こさないような対策を立てることが決められている。

 だが、海星高校はこれを実行しないだけでなく、第三者委員会が自殺の主因はいじめと認定しても、その報告書を受け入れない。さらには、いじめによる自殺があった際、遺族に支払われる「災害共済給付金」の申請手続きについても協力しようとしないのだ。ここまでくると異常とも思えてくる。母親の電話での問い合わせに対応する文部科学省の担当者の言葉のほうがまともに感じられる。

 しかも、私学の海星高校を指導する役割の「長崎県学事振興課」は当初、海星高校の擁護に回る。そこには、日本の教育行政が「私学」を指導するときの限界を本書は指摘していくのだが、私学に子どもを通わせている親は、起きてほしくはないが、大きなトラブルが起きた際、どんな対応をすべきか、本書で肝に銘じておくことを強くお勧めする。いずれにせよ、このときの家族の絶望は察するに余りある。

 そして、本書が鋭く抉り出すもう一つの闇が、地元メディアの対応である。勇斗君の死の第一報は高校名を伏せて報じられたが、その後はほとんど報じられなくなっていく。自殺報道は後追いの問題もあり、慎重さが必要なのは事実だが、高校がいじめを認めなかったことに加え、取材に対して「遺族の意向」という理由で詳細を答えなかったこともある。

地元メディア記者「うちは叩けない」
 しかし、最大の理由は、名門の海星学園を批判する報道を地元メディアが自粛したことが大きいことを本書は指摘する。地元メディアからすれば、普段のネタ元でもある長崎県の認識も影響しただろうし、海星高校による日常的な広告を含めた営業上の理由も見え隠れする。

 実際、勇斗君の家族は、海星高校の理不尽さを世に問うべく、地元紙ではない西日本新聞(本社・福岡市)や著者の石川さんの所属先である共同通信の取材に応じ、そこから報道が全国に大きく発信された。しかし、長崎市での記者会見後も、肝心の地元紙や地元テレビでは比較的、小さな扱いになったという。共同通信の記事に至っては地元メディアが黙殺したこともあった。

 そして、海星高校で新たな生徒の自殺者が発覚したとき、地元メディアの記者が石川さんに語った言葉、「うちは海星を叩けないから、君が頑張ってよ」が、すべてを物語っている。もはや報道機関の役割を半ば放棄した言葉にも聞こえるが、似たような構造は多くの地方メディアに共通している。

 本書のタイトルにある「聖域」には、様々な意味が込められているが、学校にしろ、行政にしろ、メディアにしろ、人ひとりの命が失われたときに、真相を覆い隠す役割を果たす「聖域」の残酷さを思わずにいられない。

 本書では触れられていないが、勇斗君の父母は2022年11月、海星高校を相手取り、損害賠償と謝罪広告の掲載を求める民事訴訟を長崎地裁に起こしている。何が父母をそこまで追い詰めたのか。本書はその答えである。

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抜粋終わり

長崎海星高校は、バチカン教の高校。

そのバチカン教でも「イエスズ会系」の「教皇真理教徒」の系統の宗旨。

まあ、「天皇真理教」の天皇カルトと仲がいいわけで。



天皇家を殺し尽くして 子供の笑顔を取り戻す

天皇の無い 蒼い空を取り戻す

慈悲と憐みに富む社会になりますように


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