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画像というイメージ

訳者コメント:
 Photoshopによって本物っぽい偽イメージが作れるようになり、AIによってそれが自動でできるようになり、イメージの世界はますます嘘っぽくなっています。「生活は全てコンテンツ」といって自分の生活を何でも撮影してブログに上げるという現象が2000年代に現れたとき、ぼくは強い違和感を感じました。今はSNSでその現象がさらに加速しているのが分かります。
 スキューバダイビングと水中写真がセットで流行した頃、カメラを持つことで目の前のものだけ視野狭窄のようにしか見えなくなるのを体験しました。水の中にいるという皮膚感覚は写真では伝えられないので感じられなくなってしまうのです。
 今でも、自分が当事者として関わっていることを写真に撮ろうとすると、何だかつまらない方向に体験が変化するのが分かるので、自分の生活のことはあまり写真に撮りません。
(お読み下さい:訳者からのお知らせ

2.6 画像というイメージ

切り離された人間の領域は、石器と火、言語、数、そして歴史の記録を中心にして成長してきましたが、それが明確に反映されるのがイメージの世界です。表象ひょうしょう芸術、つまり物を描いた絵は、文字通り人間が世界をコピーしたものであり、人間の目を通して解釈された世界です。今や芸術の域をはるかに超えて、イメージという切り離された領域はますます独自の生命を持つようになり、かつてそれが表していた現実から離れていきます。政治家や企業が掲げる偽りのイメージは、私たちが投影する自己イメージとともに、偽物の世界、見せかけの領域の一部です。このような外見だけの世界が現実からますます離れるにつれて、私たちの人生が「本物ではない」という直感も大きくなります。この節では現在の私たちが浸りきっているイメージの世界の進化を探っていきます。

〈分断の時代〉に生きる私たちが芸術を捉え理解する見方は、人間と自然を仲立ちする(物や思想、感情の)写し絵か、そうでなければ美的快楽を提供する生活の添え物かのどちらかです。表現か、そうでなければ装飾です。しかしイメージには別の目的があるのではないでしょうか?

具象絵画や彫刻は、この地球上では非常に最近の現象です。ネアンデルタール人はそういったものを作りませんでした(ただし色素の使用は取り入れたようで、おそらく現生人類から伝わったものです)[52]。最古の具象絵画はナミビアの洞窟で発見された約5万9千年前のもので、約3万年前からアフリカ、ヨーロッパ、オーストラリアで多くの絵画が現れました。そのほとんどは動物を描いたものですが、「共感呪術」によって狩りに幸運を招こうとしたのだと解釈されてきました。同じように、最古の彫刻は呪術的あるいは儀式的な用途に使われたと考えられますが、それもこの時代のものであり豊穣のシンボルだったようです。

言い換えれば、学者たちの説明では、旧石器時代の芸術は表現を操作することによって現実世界に影響を与えようとする試みだったということになります。何とも不器用な試みだこと。そのような呪術を私たちは実際に役立つテクノロジーで置き換えたのです。わっはっは、哀れな原始人たちは壁に飾られた絵がその絵に描かれた出来事に影響を及ぼすと思っていたのだ。しかし考えてほしいのは、この解釈はまた別の投影だということです。原始人の芸術家に私たち自身の不安と分断を投影しているのです。本物と錯覚して見せ掛けのマトリックスを操っているのは、彼らではなく私たちの方かもしれません。

狩猟採集民の芸術が私たちの理解するような意味で表象的だったという軽率な思い込みは、もっと慎むべきです。動物の絵と実際の動物が別だということは、私たちにとって当たり前に思えますが、原始人の心にそれを当てはめることはできません。ジョセフ・エペス・ブラウンが言うように、「アメリカ先住民の伝統芸術における象徴は…、単に象徴するものを指し示しているのではなく、実際に象徴するものに成る」のです[53]。現代の視点から見るなら、こういった迷信的な未開の状態、さらには地球上に存在したすべての「原始」社会の儀式全般に対して、ついつい私たちが送る見下したような視線は、絵が狩りに幸運をもたらすと本気で考えている哀れな愚か者だというようで、まるでそれがもう過去のことであるかのように、あたかも儀礼の中に存在した自然の支配という幻想をテクノロジーが本当のコントロールに置き換えたかのように思っているのです。でもちょっと考えて下さい。最近まで全ての人類文化が呪術的儀式の力を信じていたということは、そこに何かがあったとは考えられないでしょうか? この信念は農耕以前の民族に普遍的にあったものでした。その真実を忘れ、他のあらゆる文化が知っていた宇宙の基本原理との接点を失ってしまったのは、おそらく私たち現代人の方でしょう。いずれにしても、表向き表象的な芸術が二元論的な考え方の表れである必然性はなく、もっと可能性が高いのは、他の発展の影響で芸術本来の呪術的な意義が大きく忘れ去られるに従って二元論が拡大したことです。

意義深いのは、テクノロジーと農耕が人間と自然の隔たりをさらに拡げるにつれ、芸術家たちの描写はますます様式化され、標準化され、抽象化されていき、ラスコーやショーヴェの洞窟壁画が持っていた、描かれた動物たちの魂を捉えているようにも見える活気あふれる生命力を失ったことです。このような壁画と対照的なのが、古代エジプト農耕社会の有名な様式化された人物像です。それはまるで、芸術家が自然から遠ざかれば遠ざかるほど、真に偉大な芸術作品に命を与える現実世界の無限性を直接に橋渡しすることが難しくなり、その表現によって野生をコントロールし閉じ込めることが必要になってくるかのようです。ジョン・ザーザンが言うように、「芸術は主体を客体に変え」、現実世界の無限性を芸術家という人間の概念的・知覚的枠組みの中に閉じ込めるのです。

現代の芸術家であっても、文化や飼い慣らしから一時いっときの解放を達成する可能性は残っていますが、そのためには自分の内なる無限性に立ち入ることが必要です。それは自発的で飼い慣らされない魂で、文化の巨大な重圧の下に深く埋もれているのです。グルジェフの伝統ではこのような芸術を「客観芸術」と呼んでいますが、それは表現形式を具体化するからではなく、旧石器時代の図像のように、その本質的な存在は表象ではなくそれ自体であり、つまりそれが本物だからです。そのような芸術には本当の力があります。その存在は私たちを感動させ、世界を変えることができます。

人類が〈原初の宗教〉から二元論的な農耕の宗教へと向かうにつれ、芸術の魔術的な重要性は、対象自体に内在するものからその表象力に内在するものへと変化していきました。疎外される前の人々(アニミスト、精霊崇拝者)は、宇宙全体が、生物も無生物も含めて、生きた精霊の顕現であると信じていましたが、その一方で、分断が広がるにつれ人間は精神と物質を切り離し、あるものの精神性が他のものより優位にあるかもしれないと考え始めるようになりました。イメージとその延長である儀式は、ジョン・ラルストン・ソウルが言うように、「魔法の罠」になりました。もはやその力の在処ありかは、それが何であるか(つまり、宇宙の他の全存在がその一点へと合流したもの)ではなく、それが象徴するもの、それが内包する精神の中に、存在するようになりました。魂は霊性のない肉体に宿るが、同時にそれとは別のものであるという観念と並行して、魔法の具はそれ自体が魔法ではなく単なる器となりました。その中に何かが吹き込まれて初めて、それは魔法になったのです。これと対照的なのは、形から切り離され二元論的に思い描かれた「内容コンテンツ」とは関係なく、それ自体に力のある芸術です。これとぴったり対応するのは、音が意味論的でない意味を持つ〈アダムの言語〉です。シェーカー家具はこのような「客観」芸術の一例です。それは形と機能のどちらからも切り離されることなく、両者の完璧さの中にあります。

芸術の魔術的な力が表現の内容によって理解されるようになると、芸術家たちがイメージの完璧さを追求するのは当然であり、この信念によれば、それは世界を完璧にコントロールすることと同じです。しかし、ラファエロ、ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチが1500年頃に遠近法技術の最終的な突破口を開いたとき、魔法のようなことは何も起きませんでした。ソウルはこう書いています。「西洋で画家や彫刻家の仕事は、人間の不死を求める完璧な罠をデザインすることだった。[54]」その野心とは表象を現実にすることであり、最新版の不死の罠の中に生き続けている野心と同じものでした。それはVR世界で意識をソフトウェア・シミュレーションしようというものです。いま私たちが生きているのは、ほとんどと言っていいぐらい作られた現実、つまりイメージの世界ですが、実際には何も変わっていません。有限の手法を使って無限を近似し、表象を使って現実を近似しても、バベルの塔を高くすることしかできません。それはいつか天に届くのでしょうか?

遠近法のパズルが解けたことは、技術的突破口というだけでなく概念の転換でもありました。遠近法はある瞬間に単一の視点を想定することによって物体を時間の中に固結させます。「14世紀まで遠近法という試みが無かったのは、画家が物事を見たままではなく、ありのままに記録しようとしたから」です[55]。遠近画法はある瞬間に見えるものをそのまま記録することで、現実を暗黙のうちに観察者という人間に従属させ、自己と世界の基本的な二元論を肯定します。ここにデカルトが「我あり」という、他者を見つめる孤立した知覚の一点があります。もしかすると中世の画家たちは、相次ぐ進歩の最終的な結果として単に技術的な突破口が開けるのを待っていたのではなく、近代的な自己概念がまだ十分に成熟しておらず、時間の計測が自然のリズムに完全に取って代わる前の時代にあって、遠近法を試みることにさえ興味を持っていなかったのでしょう。

現実を完璧なイメージとして捕まえることには思い上がりの要素があって、おそらくこれが説明するのは、多くの宗教的伝統が神の写し絵、あるいは人間、動物、物体の写し絵に対して深い疑念を抱いていることです。ユダヤ教とイスラム教はそれらを完全に禁止していますし、アレキサンダー大王がギリシア文化をインドに持ち込むまでは仏教も同様でしたが、ギリシア文化が死とともにイメージにも執着していたのは偶然ではありません[56]。写真を撮られることに抵抗する文化も多く、それはおそらく写真の持つ擬似不死性が示唆する傲慢さと無益さか、あるいは現実の一瞬と現実ではない凍結された一瞬の表象とのファウスト的な交換を直感しているのでしょう。じっさい私が気づいたのは、カメラや、もっと悪いのはビデオ撮影が、フィルムに残すはずの幸せな出来事から注意をそらしてしまう傾向のあることです。誕生日パーティーや結婚式で楽しい思い出を残そうと写真を撮ることで、体験をイメージに置き換えてしまうので、そこに演出されたような感覚を吹き込むことがあり、それがあたかも現実ではないような、あたかも後で楽しむために上演された劇のような感じにさせるのです。それはまるで私たちが現実の瞬間を不快に思い、遠くから間接的に体験する方を好むかのようです。その最も極端な場合には、写真やビデオに記録された出来事こそが、その出来事そのものを完全に定義するようになります。それが確かに当てはまるのは、広報や政治の分野です。

現代生活の疎外を軽減するための、ささやかだけれど人によっては非常に有効な方法は、その瞬間をフィルムに残そうという無益な試みを捨て、カメラを置いて、その瞬間に全面的に参加することです。全てを記録しなければならないという衝動は現代生活の根底にある不安を物語っていて、それは時の計測から生じたもので、日ごと、時間ごと、瞬間ごとに、私たちの人生が消えていくという確信です。おそらく写真に撮れば、私の子供たちが幼い頃の貴重な瞬間は永久に保存されるでしょう。しかし私が気づいたのは、息子たちが赤ちゃんの時の写真を見るとき、わき起こる主な感情は切なさであり、唯一無二の貴重な時間を本当に十分に味わうことができなかったことへの後悔だということです。私のいちばん大切な写真を見て、悲しみや後悔を感じないことはめったにありません。そのように瞬間を所有し保存しようという努力そのものがその瞬間をおとしめてしまうのは、概してテクノロジーというものが、コントロールしようとする世界それ自体から私たちを疎外し、より恐れを抱かせるのと同じことです。

それよりずっと良いのは、同じように美しくも、それぞれに美しい瞬間が、数限りなく待っていることを穏やかに知りつつ、美しい瞬間の一つ一つを楽しむことです。同時に、一瞬一瞬がはかないものであるのを意識することは、その瞬間をより良く味わうことにつながりますが、そのためには例えば写真によってもたらされるような、一瞬を永久のものにできるという幻想に屈しないことが必要です。その幻想は人生から突き動かすような激しさを奪い、その代わりにあてがわれる無味乾燥な自己満足は、本物の体験を求める私たちの埋もれた満たされない飢えを隠してしまいます。そしてその満たされない飢えが、今度はテレビや、映画、遊園地、スポーツ観戦、そして最後のあがきであるリアリティ番組の中にある、代理の模倣体験への果てしない欲求をあおるのです。

仏教は(そしてあらゆる密教の教えもですが)本質的に無常なものを永続させようとすることには苦しみが内在すると認めます。チベットの僧侶やナバホ・インディアンが描く美しい砂絵は、その素材の性質から(翌日わざと破棄しなくても)非常に短時間で消えてしまいますが、そこには重要な原則が表れています。美の価値はその保存に左右されるものではないということです。そのような創造を現代人の考えでは、美しいものを作ってまた壊すなんて時間の無駄だと考えがちで、博物館に保存し、そこから何らかの「利益」を得たいと考えます。この考え方は今この瞬間を未来のための抵当に入れますが、それはまさに農耕の精神構造メンタリティーで、刈り取るためには種を蒔かなくてはならず、未来が現在の労働を動機付け正当化します。現在を写真に撮り、記録し、整理保管するとき、私たちは農耕民と同じ不安に駆られます。農耕民は、いま穀物を蓄えておかなければ将来穀物が不足すると考えます。農耕民が(狩猟採集民が信じていた)自然の恵みという摂理を信じなくなったように、私たちもまた美しい瞬間を、その供給が限られているかのように貯め込む他なくなったのです。

絵に描いたイメージが完璧なものになっても魔法のようなことは何も起きなかったので、まもなく芸術の世界には失望と、やがて絶望が蔓延していきました。ソウルはこう書いています。「ラファエロの発見から約20年間、職人たちはその勝利を天才的な才能の発露で祝った。だが次第にこの意識的な成功の下にある潜在意識下の失敗が彼らの足を鈍らせ、視界を暗くし始めた。観衆はティツィアーノの華麗さと官能的な喜びが次第に悲劇的なものに変わっていくのをただ見ているだけだった。進歩の余地を失ったイメージは、現実世界の死すべき運命を超える方法を探して、向きを変え、身をかわし、ぐるりと回って逆戻りし、自らの不可能な約束に鎖でつながれた動物さながら堂々巡りに没頭した。[57]」でもどれだけやってみても、印象派によるイメージの事実性の証明から、キュビスムによる遠近法の破壊まで、次から次へと押し寄せる芸術「運動」の波が生み出すあらゆる歪みを通してさえ、イメージがカンバスに描かれた絵の具にすぎないという現実から逃れることはできません。

さらにイメージを完璧にしたところで失望はさらに深まるばかりでした。写真、映画、そしてホログラムも同様に、魔法のような結果を生み出すことはできませんでした。つまり、表象をコントロールすることで現実を実際にコントロールすることは無かったのです。しかし負けを認めたくない私たちは、自己の分断がもたらした行き止まりの比喩としてふさわしい「仮想現実」に向かって邁進します。焚き火の輪に始まる切り離された人間の領域は今やほぼ完成の域に達し、完全に人工的な現実となりました。そこに到達したものの、私たちの迷いは増すばかりです。

現在の娯楽メディアが提供する間接的な疑似体験は、実体験への渇望を一時的に和らげてくれますが、結局その飢餓感を強めるだけです。あらゆる依存症の対象と同じように、それは本当の必要を満たさない偽物ですが、使用量を増やせば一時的にあらを隠すことができます。たとえば映画や音楽は、ここ数十年の間にだんだん激しさを増し、音量は大きく、テンポは速くなってきました。コンピュータによる3Dアニメーションは、画家たちが昔から抱いていた夢である完璧なイメージ、それも動くイメージを実現させましたが、そこに残る不都合な事実は、どんなに完璧であってもイメージは決して現実にはなり得ず、バーチャルな世界は決して現実の世界にはなり得ないことです。そしてこの現象は娯楽メディアに限ったことではありません。ジョン・ザーザンはこう書いています。「誰もが感じられるのは虚無感、日常生活や安全安心のすぐ下にある虚しさだ。」私たちが生きているのはイメージの世界、表象の世界で、それが私たちを現実の体験から切り離しますが、私たちは現実への渇望をもっと多くのイメージで満たそうとします。したがって使用量のさらなる増大は必然で、決して満ち足りることがありません。それはガムを噛んで空腹を和らげようとするようなものです。

2004年の大統領選挙は、私たちがどれほど現実から切り離されたイメージの世界に迷い込んでしまったかを示す一例です。ジャーナリストのマット・タイービの言葉を借りれば、「これは全て映画スタジオで簡単にできることです」[58]。その世界では、本当のことは何も無く、全ては演出され、全ての行動は計算され、全ての出会いはどう見えるかによって筋書きが作られています。どの候補者も自分のイメージにこだわるので、不真面目さが透けて見えます。ケリー陣営についてタイービはこう説明します。「彼らがしたいのは、有権者の印象に残るとわかっている電話調査の言葉をぶつけることだけです。チェンジ。リーダーシップ。強さ。このような文字通り幼稚な概念こそ彼らがあなたに伝えたいものなのです。」イメージは現実に勝るという妄想は、中東におけるアメリカの「イメージ」を向上させるという悪名高い「ブランド・アメリカ」作戦として、アメリカの公式政策にまで及んでいます。

私が言うイメージの世界は、コーポレート・アイデンティティの仕組みや政治家の態度に限定されるものではありません。個人のレベルでさえ、私たちは外見にこだわる傾向があり、世間に受け入れられる自分のイメージを投影しようとします。私が言いたいのはファッションの浅薄さのことだけでなく、見知らぬ人だらけの世界で私たちが盾として身につける微妙な仮面やポーズのことです。現代世界の非現実性は、私たちの顔に、声に、思考に投影され、それゆえ「本物になりたい」という欲求が高まり、真正さを求めるようになりました。言葉が意味を失いつつあるように、イメージもまたその力と神秘性を失いました。ライプニッツをはじめとする〈理性の時代〉の思想家たちは、虚偽の発話など不可能なほど現実と一致した完全な言語を発明できる可能性を信じていましたが、彼らが気付いていなかったのは、その探究の目標は言語以前から存在していて、表現の精度を高めたところで到達できるものではなく、表現を完全に超越することによってのみ可能となるということでした。英語ほど多くの単語が存在し、現実を細分化する精密な専門用語が氾濫している言語はかつてなかったにもかかわらず、本当の意味はますます手の届かないところへ遠ざかっていきます。同じように、現実のイメージは当たり前になるまで増殖し、最新の携帯電話にはデジタルカメラが内蔵され、ビデオカメラは公共の場での私たちのあらゆる動きを記録するほどになりましたが、もう何の意味もなさないように見えます。生々しい映画のような暴力映像にも私たちの心が動かないのは、その完璧に近い臨場感にもかかわらず、それが本物ではないことを知っているからです。何も本物ではないのが、イメージの世界です。

現実とは無縁の完璧なイメージを作ることがますます簡単になるにつれ、イメージに残る力も急速に衰えていきます。アブグレイブ刑務所での虐待スキャンダルの少し前、笑顔の米兵とその隣にいるイラク人の少年が、「この男は母をレイプし父を殺した」という看板を陽気に掲げる写真が出回りました。この悪趣味なジョークは、少年は英語が分からず知らぬまま自分を辱めている、というものでした。しかしその後、看板のメッセージが異なる別バージョンの写真が出回り、どれが本物なのか見分けがつかなくなりました。

しかし、アブグレイブの映像に対するアメリカ人の反応の鈍さが物語っているように、その信憑性に疑問がない場合でさえ、なぜか写真は衝撃を与える力を失いつつあります。憤り、嫌悪、国家の恥はどこへ行ったのでしょう? おそらく娯楽メディアで生々しい暴力や非道な残酷描写がますます当たり前になったせいで、たとえそれが架空のものでなくても、私たちは暴力的なイメージや悲惨なイメージに慣れてしまったようです。それを私たちは単なるピクセルの塊としか扱わず、どうせ人生はいつも通りなのでしょう?

現実とイメージの乖離のさらなる症状であり結果でもあるのが、芸術アートが二元論的に工芸クラフトと対比されるような無関係な地位へと徐々に移行していることです。芸術の対象は美学で、工芸の対象は機能です。中世には、画家は社会的、政治的、宗教的に有用な役割を果たす職人だと考えられていて、美術と工芸の区別が生まれたのは18世紀になってからのことです[59]。ソウルは皮肉交じりにこう言います。「別の言い方をすれば、18世紀に社会は芸術が有用であることを意識的に疑い始めていたのだ。」次の世紀には純粋に美を目的とする最初の博物館、つまり美術館が設立されました。現在、芸術の美的機能はほとんど誰でも納得していますが、それが芸術を実質的には無関係なものに、機能とは切り離された華やかさにしているのです。ザーザン(p. 68)はこういいます。「キルケゴールは美的観念の決定的な特徴として、あらゆる視点を受け入れ選択を回避することにあると考えた。このことは、芸術を高く評価する一方で、その意図や内容を『まあ、結局のところ、芸術でしかないのだから』と否定する永遠の妥協に見ることができる。」

もしかするとこれが、小さな子どもたちと同じように、私が美術館を嫌いな理由なのかもしれません。普段なら15キロ以上歩いてもそれほど辛くありませんが、美術館に20分もいると足が疲れてきて、誰かアイスクリームを買ってきてと泣き言を言い始めます。美術館は壁やガラスケースで美術品を物理的に他の世界から隔てているにもかかわらず、美術品は「手を触れないで!」見るだけのものだということを再確認させてくれます。芸術を保存するために払われる多大な努力は重要性の証となるはずなのに、美術館はその本質によって、芸術の無関係性と隔絶性を是認するのです。

もう少し遡るなら、芸術と工芸の区別だけでなく、芸術と生活の区別にも疑問を投げかけることができます。ジョセフ・エペス・ブラウンによれば、アメリカ先住民の言語には芸術を意味する言葉が全く無いといいます。彼はジェームズ・ヒューストンの言葉を次のように引用しています。「エスキモーが芸術を満足に言い表す言葉を持たないのは、そんな言葉の必要を感じたことが無かったからに違いないと思います。他の狩猟社会と同じように、彼らは自然と調和して生きるという行為全体を芸術だと考えてきたのです。[60]」 後に彼はこう書きました。「このようにして実用的なものを『工芸品』でしかないと切り捨てたので、芸術を生活から切り離すという悲劇を助長することになりました。しかしアメリカ先住民の伝統が作り出したフォルムに、そのような二分法が存在しないのは、芸術が特定の創造された形だけでなく、外向きの形を生み出す内なる原理でもあるからです。芸術の作る形が美しいと思われるのは、単に美学的な面だけでなく、その有用性や目的を果たす度合いによることが多いものです。[61]」

以上のような芸術批評で私が提唱したいのは、芸術を生活から切り離すことではなく、この2つのカテゴリーを融合させることです。芸術はあらゆる次元を包括する生き方になり得るのです。ウェンデル・ベリーはこう言っています。

完全に世俗的な芸術とか、精神のない、醜い、役に立たない芸術作品という可能性は、長いあいだ私たちの間にはなかった。伝統的に、芸術の制作方法が正当な価値を置いてきたのは、その素材や対象、芸術によって作られるものの用途や使用者、そして芸術家自身に対してであった。それはつまり、神の御業みわざに敬意を表する方法である。…神の創造物の中にはく使用することを免れるような素材や題材などはなく、私たちが有能で責任ある芸術家であることを免れるような仕事はない。[62]

このように神の創造物、つまり世界を尊重することは、現代の生物学や経済学の論理とは全く相容れません。なぜ必要以上のことをするのでしょう? 生物学でいう生存と繁殖、あるいは経済学でいう競争は、ある一定レベルの優秀さに報いるものですが、それ以上のことをしても無駄で、作り手と素材によって内的に動機づけられるものは何もなく、そこにあるのは環境や市場によって外的に動機づけられたものだけです。つまり、十分なことをすれば、それで十分なのです。私はこの結果を教育現場でいつも目にしていて、そこで学習を動機づけるのは成績です。なぜ「A」を取るために必要以上のことを学ぶのでしょうか? 個別ばらばらの自己という論理の下で、十分以上のことをする理由は、常に幻想です。私たちの世界観そのものが芸術を生活から切り離し、前者は定義の上で軽薄または無関係なものに、後者を魂のない自分自身の戯画、空虚な抜け殻にします。そしてこの2つのカテゴリー、芸術と人生を再統合することこそ、〈分断の時代〉の崩壊とともに起こる癒しの中心なのです。


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注:
[52] オッペンハイマー [Oppenheimer,] p. 120
[53] ジョセフ・エペス・ブラウン [Joseph Epes Brown,] Teaching Spirits, p. 71.
[54] ジョン・ラルストン・ソウル [John Raulston Saul,] Voltaire’s Bastards, p. 427
[55] ザーザン [Zerzan,] p. 22.
[56] ソウル [Saul,] p. 430.
[57] ソウル [Saul,] p. 435
[58] “Politics-a-palooza”, ジョナサン・シャイーニン[Jonathan Shainin]によるマット・タイービ[Matt Taibbi]の対談, Salon Magazine, May 12, 2005.
[59] ソウル [Saul,] p. 439.
[60] ブラウン [Brown,] p. ***
[61] ブラウン [Brown,] p. ***
[62] ウェンデル・ベリー [Wendell Berry,] Sex, Economy, Freedom & Community, p. 112-113


原文リンク:https://ascentofhumanity.com/text/chapter-2-06/


2008 Charles Eisenstein




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