見出し画像

宇宙の主(後)

訳者コメント:
ニュートンの古典力学は天体の運動とリンゴの落下を同じ方程式で記述したという点で画期的でした。人類の理解は神の領域に侵入し、神を完全に追い出してしまいました。そして実際に宇宙旅行で神の領域を征服したとき、そこに見たものは何だったのか。そこまでやって来た目的とは何だったのか。
(お読み下さい:訳者からのお知らせ


前半から続く

ガリレオやデカルトは宇宙が数式で表現できるはずだと仮定しましたが、それを実現する最初の有望な主張は、〈科学革命〉を決定づけたアイザック・ニュートンまで待たねばなりませんでした。ニュートンは有名な方程式 F=MA(力は質量に加速度を掛けたものに等しい)を使って、ガリレオの発見を厳密に数学的な形で表現しました。力が、そして力だけが、加速を引き起こす、つまり運動の速度と方向を変化させるのです。

ニュートンはまた、天と地を一体化させることで物質世界から精神の排除をさらに進めました。中世まで、天国は抽象的な概念ではなく、文字通り空と同一視されていました。そこに神が住んでいるのです。空、つまり天は、人類の農耕時代には神の住処すみかでした。ギリシア人は神々をまずオリンポス山に置き、後には目に見えない超自然的な空中のオリンポスに神々を置きました。同じような同一視が古代中国にも存在しました。中国語で「天」は天界と空の両方を意味し、半神である皇帝は「天子」でした。

ニュートン以前は、天界と地上界は別々のものでした。天界は完璧の領域であり、そこで天体は完全な円(実際には楕円)を描き予測可能な経路に沿って動いていました。一方、地上界は混沌としていて、そこにある秩序は(潮の満ち引き、昼と夜、季節などのように)天界に由来するように見えました。人々は必然的に、秩序や数学的完璧さを持つ天界を神と結びつけました。天体は地上の法則に従いませんでした。ガリレオの分銅はピサの斜塔から落ちましたが、月が空から落ちることはありません。

ニュートンの功績は、重力を力として理解することで、F=MA という同じ方程式が天上と地上という両方の領域を記述できることを示したことです。全く別々のものと見えたガリレオとケプラーの経験則に、一つの方程式が取って代わったのです。一つの方程式で惑星の運動と木から落ちるリンゴの運動の両方を記述できたのは、驚くべき統一でした。今も物理学の聖杯である「万物の理論」の最初の候補がここに登場しました。全宇宙とそこに存在するあらゆるものが、ガリレオの言ったように数学の形で本当に理解できるかもしれないという、最初のもっともらしい希望がここにありました。

興味深いことに、自然の数学への還元(落とし込み)を推し進める動きの中で、ニュートンの法則は新たな還元を考案する必要があったのです。ニュートンの法則の導出と応用には新しい数学的手法である微積分が必要でした。それは、時間を無限に短い瞬間の連続として扱うことによって問題を解決し、本質的に変化を数に、ることをることへと還元するものです。単に数学としてでさえ、微積分が忍び込ませた概念化の様式は非常に異質なもので、おそらく世界の客体化(モノ扱い)が進むという状況以外では発生し得ませんでした。アルキメデスは2千年前に同じ基本技術を幾何学の多くの問題に応用していましたが、微積分の発明に至らなかったのはこの異質さのためだったのかもしれません。同じように、高校で「数学が得意」だったにもかかわらず大学で微積分を習得できないらしい生徒が多いのは、この抽象度の飛躍に対する無意識の拒絶反応かもしれません。こうして、あなたは自分のことを頭が悪いと思ってしまうのです!

ニュートンの万有引力の法則が主張したのは、まさに万有ユニバーサル、つまり全宇宙ユニバースに共通ということでした。ついに人間の頭脳は宇宙の最も深い秘密を突き止めたのだ。最大の謎が明かされた。ニュートンは神の創造のメカニズムの鍵を発見した。理解の及ぶ人間の領域は、今やひとつの支配方程式によって宇宙全体を包み込むまでになったのだ。そして、あとはデータを蓄積するだけでした。

ニュートンの発見はあまりに刺激的だったので、ニュートン自身がこれほど有名人だったのも不思議ではありません。詩人たちは彼が宇宙を解き放つ鍵を発見したのだと語りました。(アレクサンダー・ポープが書いた彼の墓碑銘にはこうあります。「自然と自然の掟は夜の闇に隠されていた。神は言った、『ニュートンあれ』と。そして全ては光となった。」)

正統近代科学の創始者たちが空に夢中になっていたことは重要で、そこは大地とは掛け離れた領域で、人間の主観から独立しようとする探究の様式には適していました。空への注目は、遙か昔の古代建築文明における半神的な支配者、天子、太陽神の地上の代理人たちが持っていた神権につながっています。当時でさえ、宮廷の司祭科学者たちは占星術や暦作りのために空を見つめていました。科学者は、頭を雲の中に突っ込んで、地上のことにはあまり関心がありません。そのため、〈うわの空〉の博士というステレオタイプが生まれたのです。「科学に専念し」「政治に介入しない」限り、政治的には概して無害でもありました。現世の領域は科学の領域とは別のものであるはずでした。科学は大地とは掛け離れた天の領域なのです。比喩として、これはさらに強く当てはまります。科学、特に応用科学よりも高尚な「純粋」科学は、純粋な思考の高尚な次元であり、最も高度に訓練された知性の持ち主以外は立ち入ることができません。それは完全に頭脳の領域にあります。そして知性や頭脳はそれ自体が人間独自の領域なので、純粋科学は人類の最も高い上昇を意味し、科学者は最も高く上昇した人間なのです。そう、科学者は現代の聖職者であり、目に見えない世界を神秘的な装置で見つめ、真実を探ります。私たち一般人は、彼らの寺院の外で託宣を待っているのです。

ケプラー、ガリレオ、ニュートンの仕事は天の征服に等しく、天の現象を抽象的な数学という人間の領域に引き込みました。文字通りの「宇宙征服」はあと数世紀待たなければならなりませんでしたが、その野心は必然でした[9]。宇宙旅行は人類の運命の成就であり、旧世界をついに超越した新世界への希望を全て約束するものでした。しかし私たちがとうとう月に降り立ったとき、別に大したことは起きませんでした。指導者たちは一般の願望を導いて、頭を雲の上、つまり天上界に置いていましたが、地上世界を捨て去るのはそう簡単でないことが分かりました。宇宙探査は前例の無い文字通りの人類の「上昇」でした。神の本来の住処、科学の高尚な次元が、物理的に打ち破られたのです。私たちは文字通り天界に入り、気が付けば地上の問題を〈新世界〉に持ち込んでいました。私たちは生物性やこの世を捨てたわけではなく、じっさい宇宙旅行では、地球のかけらを宇宙カプセルに封じ込めて持って行く必要があったのです。

私たちが頭脳の領域へと進出した時も、世俗的な事柄を消し去ることはできませんでした。科学という文化は、他のどの人間の領域にも増して、意地悪、虚栄心、政治的駆け引き、不正行為、好意主義、偏見が入り込むのを免れません。また宇宙旅行と同じように、理性的な社会や理性的な生活を、それを支える有機的な母体から切り離そうと試みるなら、そこには途方もない努力が必要であり、途方もない危険が伴います。そのような生活や社会は弱く、もろく、短命です。生命の源泉に再び繋がること無しには、長く存在することなどできません。

私たちが自然から独立していないのは、宇宙飛行士が地球から独立していないのと同じです。もう地球など必要ないと考えるのは、非常に愚かな宇宙飛行士だけでしょう。「ほら、食べ物も水も酸素もある!… 大丈夫だ!」このように近視眼的なのが火の文明で、自らの探検の乗り物に閉じこもり、それを支える燃料と様々な供給源、つまり自然資本、社会資本、文化資本、精神資本は、持ってきたものしかありません。これほど遠くまで私たちは旅して来ましたが、その目的は何だったのでしょう?

私たちは月に到達しましたが、そこは不毛の地でした。岩とほこりの荒涼とした月の風景が比喩としてふさわしいのは分断の光景で、理性の人の荒廃した感情にも、均質な郊外の醜さにも当てはまります。でも私たちの逗留とうりゅう、つまり分断の全行程に、目的がないわけではありません。その目的のヒントを伝えるために、人類がこれまで知る中で最も極端な、文字通り隔絶の視点から地球を見つめた宇宙飛行士たちの体験を、いくつか引用してみましょう。[10]

月から見れば、地球はとても小さく、とても壊れやすく貴重な、この宇宙に浮かぶ小さな小さな丸であり、親指で隠すことができるほどだ。そのとき、その丸の、その小さな青と白の物体の上に、あなたにとって意味のあるもの全てがあることに気付く。歴史、音楽、詩、芸術、死、誕生、愛、涙、喜び、ゲーム、その全てが、親指で隠せる小さな丸の上にあるのだ。そして、その視点から自分が永遠に変わってしまったことに気付く。そこに何か新しいものがあり、その関係は以前とは違うものになったことに気付くのだ。(ラッセル・シュウェイカート)

1972年12月、月面を歩いた最後の人類となった私は、青い闇の中に立ち、月面から地球を畏敬の念で眺めた。私が目にしたものは、美しすぎて理解できないものだった。理屈や目的はうんざりするほどあったが、偶然にしてはあまりにも美しかった。神をどう崇拝するかの選択の問題ではなく…幸運にも私が目にしたものを、創造した神は存在するはずなのだ。(ユージン・サーナン)

月からの帰路、24万マイルの宇宙の彼方から、星々と私が来た惑星を見つめたとき、私は突然、宇宙が知的で、愛に満ち、調和していることを体験した。(エドガー・ミッチェル)

最初の日には全員が自分の国を指さした。3日目か4日目には大陸を指さしていた。5日も経つと地球が一つしかないことに気づいた。(スルタン・ビン・サルマン・アル・サウード)

汚染物質が浮いているのはどの海や湖だとか、森で火災が発生するのはどの国だとか 、ハリケーンが発生するのはどの大陸だとかは重要ではない。あなたは私たちの地球全体を見守っているのだ。(ユーリー・アルチューヒン)

月に行くことについては賛否両論あるが、地球を見るために月に行くべきだとは誰も言わなかった。しかし実はそれが最も重要な理由だったのかもしれない。(ジョセフ・P・アレン)

その最も象徴的な成果である宇宙旅行のように、科学は私たちを知性の飛行に乗せて、冷たく不毛で異質な領域へと連れて行き、そこで生命を力と質量の集まりに落とし込みました。しかしこの新たな視点は、これまで思ってもみなかった素晴らしい光景を見せてくれました。蓄積された科学知識のレンズを通して身体や細胞を見つめ、その複雑さと調和を、その秩序と美しさを、数多くの階層とシステムの完璧な共働を、本当に理解できたとき、私たちは奇跡を目の前にしていることを知るのです。畏敬の念こそ、ただ一つの本物の反応です。科学が私たちにもたらしてくれたのは、世界という現在進行形の奇跡に畏敬の念を抱きながら歩むことができる地平なのです。先のジョセフ・アレンの考えになぞらえれば、おそらく科学の真の目的は、コントロールではなく、このことにあるのです。それは新たな畏敬の領域を理解することです。

確かに、科学のもう一つの目標、すべての自然を人間の領域に取り込むという企ては、失敗に終わりました。第2章で説明したイメージの完成と同じように、科学の完成形となるはずだった天空の征服は、幻ということが明らかになりました。ニュートンが提唱した〈万物の理論〉の候補は、私たちを宇宙のあるじにするはずでしたが、間もなく不完全であることが判明しました。そこで電気と磁気に関する新しい法則を追加し、19世紀の末までにはマクスウェルの方程式とニュートンの力学を組み合わせた物理学が完成したかに見えましたが、黒体放射の量子性や光速の不変性など、厄介な異常や細かい点がいくつか残っていました。これらは量子力学と相対性理論につながり、現在もその統一に向けた努力が続いています。一般向けの書物を読むと、もうすぐそこまで来ているという印象です。間もなく残された謎が明かされる。最新の候補は〈ひも理論〉で、科学者たちが今その詳細を調べているのだ!


前< 宇宙の主(前)
目次
次> 確かさを求めて


注:
[9] ヨハネス・ケプラーは、17世紀初頭に書いた著書『夢』の中で実際に月面着陸を予言し、予見したさまざまな困難についても説明している。
[10] ここに引用した言葉やその他多くは、以下のサイトに掲載されている。http://www.evolutionarychristianity.org/view.htm


原文リンク:https://ascentofhumanity.com/text/chapter-3-03/

2008 Charles Eisenstein

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?