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宇宙の主(前)

訳者コメント:
科学革命は大航海時代と同時発生して、その根底に「征服」という物の見方が組み込まれていました。科学は中世の教会から知識を解放しましたが、結局また象牙の塔を建設して一般人を追い出してしまいました。科学は自然や宇宙を客体化(モノ扱い)して機械と見なし、物質以外の存在を否定したので、主観や精霊、神を排除してしまいました。理解の後にはコントロールという企みが必ず伴うのです。
(お読み下さい:訳者からのお知らせ


3.3 宇宙のあるじ

科学的思考は本質的に力の思考であって、要するに、意識的であれ無意識的であれ、その所有者に力を与えることを目的とするような思考である。(バートランド・ラッセル)

最も純粋な意味で、科学の目的は世界をよりよく理解することです。あるいはこう言ってもいいでしょう。それは人間の理解領域に新世界をもたらすことです。科学は未知の探求から始まり、その後には未知なるものを人間の目的に従わせる征服となります。ですから非常に意義深いのは、科学革命がヨーロッパの大航海時代と時を同じくして起こったということです。この両者に共通しているのが、同じ布教の熱意と、可能性の新世界という同じ感覚と、同じイデオロギーの根源と、同じ悲劇的な結末です。

大航海時代がもたらしたのは地政学的にも科学的にも帝国主義の時代でした。新しい土地を発見しようという衝動は、けっして権力的な動機なしにはあり得ませんでした。ヨーロッパの人々を文明化と植民地化に駆り立てた使命感は、科学にも息づいています。文明化するとは、飼いならし、秩序をもたらすこと。植民地化するとは、服従させ、原料の供給源として管理すること。科学は世界を技術のために植民地化し、物質を利用する方法を見つけ、自然の力を「首綱くびづなを付けて」活用します。科学が発見した新しい世界、顕微鏡下の世界と天体、電磁気と化学の世界は全て、最初には探検され、次には新たな領土として搾取されました。科学と領土のどちらの征服運動も、同じ願望の表れです。それは世界を我が物にすることです。

今から約500年前、科学者や探検家たちは〈旧世界〉から新たな世界へと旅立ちました。フロンティアは次々と陥落しました。天空、海、極地、考古学的過去、エベレスト、細胞、遺伝子、宇宙、そして原子。文明の領土が拡大するのと同時進行で、科学的征服のたびに人間の領域は拡大し、神秘的なもの、野生の領域は縮小していきました。19世紀末には、どちらの征服もほとんど完了したように見えました。地球の最果ての地には、わずかに残る狩猟採集民の部族が点在していただけでしたし、科学の進撃から逃れたのは、いくつかの不可解な現象だけでした。

新世界の胸躍る約束は楽観主義と情熱を呼び起こし、それが数世紀にわたって続くことになりました。その痕跡は今も残っていて、かつて新世界の領土で一攫千金を探し求めたのと同じように、ナノテクノロジーや遺伝子工学が〈青春の泉〉をもたらしてくれるという根強い期待となっているのです。しかし第1章で述べたように、この約束への信頼は薄らいでいます。

その約束が守られるかどうかは別としても、おそらく私たちは新たな世界に足を踏み入れてしまったのです。確かに、空や宇宙への旅、瞬時の通信、情報処理など、ほとんど奇跡ともいえる驚異的なテクノロジーは、500年前の人々には空想としか思えなかったでしょう。しかし、もし私たちが新たな世界に踏み込んだとしても、そこに旧世界を引きずっているのは間違いなく、それはヨーロッパの入植者たちが逃れようとした暴力と不正義を、新世界に持ち込んで永続させたのと同じことです。科学が切り開いた新たな領域は、昔と少しも変わりません。そこには多くの不安、多くの欲望、多くの苦しみ、多くの野蛮さが満ちていて、その形がいくらか違うだけです。

これは驚くほどのことでもありませんが、それは科学革命が本当は何も新しいものではなかったからです。それは文化的な断絶などではなく、むしろそれ以前の傾向が結晶となったものでした。科学は何千年も前から続いてきた客体化(つまり物扱い)という傾向の頂点であり、まさに極致なのです。科学は自然の客体化を極限まで進めますが、逆に言えば、科学の基本的な考え方や方法を打ち出すためには、それに先立って自然の客体化が必要なのです。私たちの分断が進み科学が離陸できるようになったのは17世紀になってからのことです。ガリレオ、ニュートン、デカルト、ライプニッツ、ベーコンといった科学革命の偉人たちは、機が熟した思想に表現を与えたにすぎません。

17世紀以前の人類は、全てを理解する〈科学の計画〉や、全てをコントロールする〈テクノロジーの計画〉を、夢見る基盤すら持っていなかったのです。謎はあまりにも大きく、自然の力はあまりにも偉大で、私たちの知識はあまりにも乏しく、技術はあまりにも弱かったのです。しかし、ルネサンス期を通してテクノロジーと経験科学がゆっくりと蓄積され、それが自然の近寄りがたい巨大さを徐々に掘り崩したので、私たちは自然の神秘に対しこれほどの暴力を振るうことを思い付くまでになりました。

この暴力に基礎を与えた概念は、ケプラー、ガリレオ、ベーコン、デカルトが17世紀初頭に構築したものです。かなめとなる物理的な洞察は(ガリレオによって発見され、デカルトによって形式化されたものですが)、特に害のあるものには見えません。それは、運動する物体は、力(例えば摩擦)が作用しない限り、同じ速度で同じ方向に永遠に動き続けるというものです。ガリレオ以前の人々の考えでは、何かを動かしておくためには一定の力が必要でした。牛が引くのを止めれば、荷車は動かなくなります。ガリレオはこれを否定し、力がなければ何も新しいことは起こらないとしました。つまり、運動する物体は同じ方向に動き続け、静止した物体は静止したままです。何かを変えるためには力を加える必要があるのです。

この概念的な変化がなぜそれほど重大なことだったのでしょうか? 私たちが生きているのは運動の世界です。ガリレオ、デカルト、ニュートンの物理学を受け入れる前なら、運動があるために〈動かす者〉が必要なことは明らかだと思われました。太陽と月を動かし、風を吹かせ、雨を降らせ、植物を育て、動物を動かす者が存在しているはずでした。新しい運動の法則では、そのような〈動かす者〉は不要です。ひとたび動き出せば、あらゆる物は誰の助けも借りずに動き続けます。助けがあるとすれば、運動がある物体から別の物体へと伝達されるというぐらいです。この世界を動かすために、神はもはや必要なくなったのです。

ここからの類推で自然に到達するのが、デカルトらが発展させた考えで、それは動物もまた機械であり、それを活かすのに生気や精霊など必要ないという考えです。したがって、運動量保存の法則は古代の宗教であるアニミズムを真っ向から否定するものです。アメリカ先住民が神を表す言葉、「万物を動かす精霊」というのを考えてみましょう。ガリレオとその後に続いたニュートンの世界に、そのような精霊は必要ありません。もともと生気を持つものなど存在せず、物理的な力を加えて初めて何かが動くのだ。物質は本質的に死んでいる。

デカルトやガリレオなどの人々はまだ神を信じていましたが、彼らは神の存在を物質の世界から取り除きました。神は時計仕掛けの世界を造った職人となり、天地創造は継続的な営みではなく、最初の一回限りの行為になりました。宇宙は本質的に機械となったのです。神は、かつて自然と完全に同一視されていましたが、農業と機械の時代を経てだんだんと抽象化され、今や物質界から完全に切り離されてしまいました。

神が世界の動きに関与しなくなった今、人間が世界のあるじになるのを止めるものは何もありません。そして私たちの支配の道具は力の道具です。十分な力を正しく加えることさえできれば、変えられないものはありません。

私たちが宇宙、身体、そして人間相互に及ぼす力を制限するものがあるとすれば、自分の自由に使える力の量と、その力をどこに掛けるべきかという理解だけです。ここにあるのがテクノロジーの興味深い定義です。それはつまり、力を行使するための技術体系です。

では正しい力の掛け方はどうすれば分かるのでしょうか? それは、科学が与えてくれる定量的で客観的な現実の記述に、理性を適用することによってのみ可能になります。言い換えれば、私たちの力は頭脳の能力によってもたらされたものです。では頭脳の領域とは何なのでしょうか? 宇宙のどの側面がそこに含まれるのでしょうか? ケプラーはこう答えました。「耳は音を、目は色を知覚するようにできているように、頭脳は量を知覚するようにできている。」ガリレオは心から同意しました。脳は、彼が一次的性質と呼ぶもの、つまり大きさ、形、量、運動の理解に特化したものだと、彼は確信していました。それ以外のものは、特に音、匂い、色といった感覚的な経験でさえ、全て二次的なものであり、頭脳の領域外、科学の領域外のものでした。結局、私たちは動物と共通のそのような経験をしますが、ガリレオが純粋に頭脳から生じるとした抽象化と定量化は、人間固有の特徴なのです。そこにある暗黙の了解は、頭脳の働きへと完全に専念すればするほど、私たちは動物たちから切り離され、より上昇した存在になるということです。

質的な側面を現実から追放することで、ガリレオは科学から主観を排除し、私たちがどのように世界を体験するかということの重要性を否定しました。今も科学は個人の主観的経験に依存しないことを目指していて、ガリレオにならって主観とは無関係なものだけを関心の対象としています。ルイス・マンフォードは簡潔にこう言います。「ケプラーの先導に従って、ガリレオは物質だけが意味を持つ世界を構築し、そこで質は〈非物質〉となり、推論によって頭脳の余分な滲出しんしゅつ物と見なされた。」[6]

客観性という福音は、私たちの言語そのものに浸透するほど深く浸透しているので、私たちが言葉を使ってそれを解体しようとしても、かえって無意識のうちに強化してしまう危険性があります。先ほどの奇妙な文をご覧ください。「物質マターだけが意味を持つマターズ。」 ここで「意味を持つマターズ」とは、重要であるということ、実質的に現実であるということです。「物質マター」の動詞形が意味するのは、現実であるということです。この動詞そのものが暗黙のうちに含んでいるのは、実在するのは物質だけということです。(重大なマターは実在しないんでしょうか?)これとは反対に「精神は物質マターよりも重要であるマターズ」というような感情を想定しようとすると、言葉そのものに込められた暗黙の前提によって、実際には物質の優位性を強化していることになります。

さらに微妙なことに、「であるイズ」という宣言文は全て、誰の主観的な経験からも独立した絶対的な現実について厳格に主張することによって、客観性を強化してもいるのです。ほら、そういうものなんだよ、と。

もしも、現代物理学が示唆するように、観察者が観察されるものから切り離せないのであれば、「であるイズ」という文章は、よくて近似値、悪くすれば嘘です。このような結論は、第2章で説明したように、表象言語の抽象化の中にすでに存在しています。象徴文化における抽象化には、ケプラー、ガリレオ、デカルトの人間疎外的な結論がすでに存在しています。これらの思想家たちは分断をイデオロギー的原理として形式化したにすぎません。そのとき長らく水面下に溜まっていた潮流が浮上し、やがて全てを覆い尽くそうとしていました。

ガリレオが物質の世界から神を排除したのは、厳密な知的探求の領域から主観的な体験をいっそう大胆に追放したことの反映でした。主観的体験が認識可能かどうかということだけでなく、現実かどうかさえも疑われました。科学とは現実の研究であり、測定不可能なものは科学の対象とならず、したがって測定不可能なものは実在しないのです。それから100年後、デイヴィッド・ヒュームはこの立場を熱心に取り上げました。「こう問うてみよう。量や数に関する抽象的な推論が含まれているか? 否。事実や存在に関する実験的な推論が含まれているか? 否。ならばそれを炎に捧げよ。詭弁と幻想しか含まれていないからだ。」[7]

これらの哲学者を擁護するには、その考えの由来に目を向けるのが良いでしょう。客観性というイデオロギーは、初めは思想の解放という点で間違いなく有益な効果をもたらしました。それまで知識は傲慢不遜ごうまんふそんなスコラ学派によって、アリストテレスや教会神学者たちの難解な書物の中に長い間封じ込められていました。これとは対照的に、新しい科学的知識は誰の手にも届くものであり、科学の実験は自分の目で確かめようとすれば誰でも再現可能でした。教義ドグマへの信仰は必要なく、全ての知識は実地検証できるようになっていました。真理は教会支配層の手から取り戻されました。〈科学革命〉は思想を縛るのではなく、解放しようとしたのです。

すると、実に皮肉なのは科学の現状で、またしても広大な探究領域が立ち入り禁止になり、正統性に反する実験結果が発表から排除され、知識はその難解な書物の言語を伝授された者だけに限られ、あらゆる分野が実りのない超専門化に陥り、一般大衆は知識の門の鍵を持つこの新しい疑似教会の支配層から発表があるのを待つしかありません。これでは新世界の中に旧世界を再現しただけではないでしょうか? 〈科学的手法〉は中世の制度化された権威主義的迷信から思想を解放しましたが、その上に私たちが築き上げた新たな正統主義は、 捉えどころの無いものではあっても、中世より全体主義の度合いを強めています。

ガリレオに話を戻すと、宇宙が「数学の言語で書かれている」という彼の主張は、潜在的には宇宙の全ての謎を人間の理解と人間のコントロールの下に置くものです。したがって現在に至るまで私たちが世界を理解しようとする方法は、(1)データを収集し、(2)数学的モデルに従ってデータを操作することによります。そうすることで自然は扱いやすくなり、〈テクノロジーの計画〉が目指すコントロールにとって、信頼できる基礎が確保されます。数学の分野で、宇宙を数字に従属させようという野望は、デカルトの座標系という形で実を結びましたが、これは空間と時間のあらゆる点に数字を振るものでした。デカルトもまた、知識に対するこの新しい取り組み方がもつ潜在的な力を完全に理解した初期の人々の一人でしたが、それはこの有名な一節に現れています。

わたしの考えついた原則を使えば、人生においてとても役にたつ知識に到達することが可能だと思えたし、学校でふつうは教わる思弁的な哲学のかわりに、火や水や星や天など、われわれを取り巻くすべての物体の力とふるまいを、われらが工匠たちのさまざまな技巧を理解するくらいきちんと理解するための現実的な手段を発見できるようになるとも感じ、それをそうした物体が使われるあらゆる場面で同じように追うようして、われわれを自然の支配者にして所有者とすることができるだろうと思った。そしてこれは、望ましい結果だろう。これは無数の技芸を産み出して、この世の果実や快適さをなんの苦労もなく楽しむためというだけでなく、健康を保つためにも(いやそのためにこそ)望ましい。[8]

ここでデカルトはその後3世紀を支配することになる科学と技術の関係を明確に表現しています。科学が理解を獲得し、その上に技術が制御を達成するのです。何かの働きを正確に理解できれば、それを無限の精度でコントロールすることもできるでしょう。そして、これら全ての目的、その動機と理由は、自然を支配し、労働をなくし(「この世の果実や快適さをなんの苦労もなく楽し」み)、快適さを確保し、病気を克服することにあるのです。彼は死そのものを克服するというテクノユートピア的な理想までは至りません(そのような大胆な考えは20世紀まで待たねばなりませんでした)が、それでも彼は〈テクノロジーの計画〉の本質を細部まで描き出しています。

(後半に続く


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注:
[6] ルイス・マンフォード [Lewis Mumford,] The Myth of the Machine. v.2, p. 53
[7] 『人間知性研究』第2部(1748年)より.
[8] ルネ・デカルト [Rene Descartes,] 『方法序説』第6部(1637年). 訳は©1999 山形浩生 による.


原文リンク:https://ascentofhumanity.com/text/chapter-3-03/

2008 Charles Eisenstein


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