視点、感じ方、捉え方で世界は変わる

僕は時々コース料理を出すフレンチなどに行くことがある。


それは味覚のグラデーションを忘れないようにするためで、スタバのフラペチーノや、コンビニや大手チェーンの味付けは強めに設定されている。
甘い、辛い、しょっぱいなどの感覚が非常に分かりやすく、メモリやグラデーションを感じることはほとんどない。

フレンチではデザートの「甘い」に行く前にお米をデザートに見立てたデンプンや糖の甘みを感じる品が出て、メインからデザートへの味覚の移行がなめらかになされるようにできている。

それは暑いと寒い、夏と冬しかない世界ではなく、春夏秋冬があり、季節がなめらかに移ろっていくのにもどこか似ている。



都市部に生活していると味覚に間のメモリがないように、寒暖の間もまた感じにくい。


冷房の効いた屋内から出れば灼熱で、灼熱から戻れば寒いくらいの冷房で、「暑い」と「寒い」あるいは「涼しい」の世界で、その間や小さな変化はほとんど感じられない。


暑いし、日焼けしてしまうから嫌かもしれないが、夏でもちょびっとは歩いてみるのをオススメしたい。

そうすると、日差しの暑さ、雲が出ると弱まる日差しと暑さ、風が吹いている時と無風の差、木陰の涼しさ、川辺の空気の抜け方、コンクリートの照り返し、など今まで「暑い」と一言で括っていた暑さにも様々な表情が、グラデーションが、メモリが見えてくる。


「暑い」というものが、常に変わり続けるもので、様々な表情の暑さを感じて、それを知っていることは、その他の感覚や味覚、または人の感情に寄り添うときにも、一言で言い切れるものではないこと、変化し、グラデーションがあることを、体感から教えてくれているように思う。

いろいろな視点、感じ方、捉え方ができると、この世界の見え方は変わる。


それで時には感じ取り過ぎてツラい日もあったり、なんだかわかり合えたようで幸せ、という日もあると思うが、それら一つ一つに良し悪しはなくて、そういう日常の揺らぎを感じ取れて、気付けることが、僕にはとても豊かだなぁと感じる瞬間なので、僕は夏も時々お散歩します。
というお話しでした。


今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
冬生まれで、ルックスもインドア文科系ですが、暑さには実は強いです。






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