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こだわれること

今日はお休みで、市役所に書類などの提出と、秋から引っ越す家のリフォームの壁紙やタイル、床などを無数のサンプルから決める日になった。

おもしろかったのは、市役所の書類を出したりするのは何度も同じことを違う紙に書かされたり、何のために書いているのか分からず、終わったあとに疲れ果ててしまったが、それよりも意思決定が必要な壁紙や床のデザインを選ぶものは一向に疲れなかった、むしろ楽しんでできた、ということ。


それにはひとえに昔洋服が好きだったことが影響しているように思えた。

洋服、着るモノ、身に付けるモノというのは、じぶんという素体との調和を取る作法だ。


足してばかりでも引いてばかりでも、揃えるだけでも外し過ぎてもいけなくて、そのいいところに落ち着かせることが必要で、今回のリフォームのセレクトの作業はまさにその調和を取る作法そのものだった。

今ある家、部屋の変えないところと、変えるところの調和を取りながらじぶんたちが良いと思える、気持ちがよくなるものを探して、選んで、決めていく。

この作業がじぶんは楽しかったし、夢中になれたし、あっという間だった。
空間の、色彩の、質感のバランスを取る作業はじぶんが熱量を持って向き合える、こだわれることなのかもしれない、と感じられた。


何事も経験してみないとどういう感情になるのかわからないものだなぁとしみじみ思えたし、ここは人に譲れない、じぶんがやりますといったこだわりみたいなものがあるところが、それを繰り返すと、その人の得意なことや好きなことになる可能性が秘められているのでは、と思えた。

なんでもやってみるは、あながち間違いではなさそう。




今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
じぶんのだからでは?と思えるけど、他人のものでもより良い空間にしたいという思いはある。



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