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ゴジラ - 1.0を観て「最悪だった」という人とは親友になれる


観てきた


今日新しいゴジラの映画を観てきた。
3歳の時に憧れてから、ゴジラはどこか自分のヒーローのような感覚がある。突然やってきてゴジラの都合で街や日常全てをぶっ壊していく、その圧倒的な存在感と、それに対して恐れ逃げ惑うことしか出来ない人々というくっきりとしたコントラストが気持ち良いのだ。

今回の映画を観て良かったところは脚本”以外”の全てである。
役者の人の演技も、VFXを使った映像美も小道具から細部に至るまで実に凄かったし、感動した。


じゃあ一体何が最悪なのか

それ以外は良かったのに脚本の何が嫌だったのかと
ひと言で言えば、一つ一つのシーンやキャラクターが予定調和に壊されて全体としてどっちつかずになっていたことだ。
映画の展開の都合に優先させられてキャラクターやシーンの整合性がおざなりになっており、「このキャラクターはここでこんなことはしない!!」や「いやそこでそれは無理があるだろ笑」と観ている途中に心の中で何度も叫んだ。

キャラクターの言動が変

人の人格には必ず一貫性というものが存在する。
必ずである。
それが崩れる時は多重人格の場合しかない。それは漫画やドラマ創作物などについても同じで、それが崩れるとどうしたっておかしくなるし魅力的でないと思ってしまう。
今回のゴジラではまさにそれが崩れていた。
もっと言えば、それまでは一貫性があるキャラクターだったのに急にストーリーの都合を合わせるために”らしくない”言動をさせられていたということだ。

もちろんストーリーを進めるために、登場人物にきっかけとなる言動をさせるのは重要であるし必須だとも思う。しかし同じ内容を言うにしてもそのキャラクターに合った表現方法があり、その境目をスムーズに均すことをしないとコンクリートから急に砂利道に変わったようなデコボコ感が生まれる。

最初に違和感を覚えたシーンは、戦争から帰ってきた主人公が街で見知らぬ女性が赤ちゃんを渡して去っていった。一度は捨てようと思ったが思いとどまりもう一度その女性と会うシーンである。
そのシーンで女性が「どうしてその子を見捨てなかったんですか?」と問うのだが、それに”ん?”となった。

そのキャラクターならここでそうは言わない。

同じ内容を言うにしても
赤ちゃんに喋る感じで「捨てられると思ってヒヤヒヤしたね〜」と皮肉を織り交ぜて言わせるか、そのまま家まで付いていって勝手に上がり込んで「私とこの子を面倒見て」とその下りを飛ばすパターンなどがあると思う。

何にしてもこの女性の最大の特徴は”図々しさ”である。
何も知らない相手に赤ちゃんを押し付け、タメ口でしゃべり、家に上がり込むというこの図々しさを持つ女性がどうして急に「どうしてその子を見捨てなかったんですか?」と丁寧語で言うのだろうか?
絶対言わないし、ここいらなかっただろと思う。

「主人公が臆病ながらも、赤ん坊を見捨てられない優しい面を演出するキッカケとして、このセリフを言わせましたよ〜」
という監督の顔がにょっと顔を出した感じがしてすごく嫌だった。


他にも例を出せばキリがないほどあるが、中でも一番許せなかったシーンがある。

それはラストシーンで主人公がゴジラの口の中に、戦闘機ごと突撃するがパラシュートのおかげで助かるというシーンがある。実はその脱出装置は主人公と因縁がある整備士の橘が彼のために準備したものだった。

その内容自体は嫌いじゃない。
戦争中に臆病さ故に特攻出来ず、仲間も助けられなかった無念を晴らすために今一度ゴジラに覚悟を決めて向かって行くこのシーンは感動ものだ。

許せなかったのは、脱出装置の説明の仕方だ。
特攻覚悟だった主人公が何故助かったのかについて観ている人に分からせる必要があるのだが、それを整備士の橘にさせていたという所が許せなかった。
この橘は登場人物のキャラがブレブレな今作において、唯一リアリティーが高いキャラクターであった。
意気地なしの主人公に厳しく当たり怖い人物かと思えば、中身は仲間思いの熱くて優しい男という魅力的な性格を持っている。
この橘が主人公のために脱出装置を用意していた所までは違和感が無いし、解釈一致である。

しかしそれを主人公に直接「これは脱出装置だ。危なくなったらこのレバーを引け」と言わせているのは最悪だった。
橘は優しい性格をしているが、それを直接相手に伝えるほど野暮なやつではない。
脱出装置がついていることを説明するなら「突っ込む瞬間にこのレバーを引け」とだけ言わせて、脱出装置だと知らずに引いた主人公が助かり「橘さん、、」と脱出装置の整備をしている橘の回想を流す方が綺麗なのだ。

全く関係ないけど、橘だけ他より圧倒的にリアリティありすぎたから、恐らく監督の知り合いに似た先輩がいるんだろうなーとか思った。

シーンも一つ一つ変

シーンについても書こうと思ったけど、気力が切れたのでここでは割愛します笑

なぜこうなったのか?

恐らくこのような話になったのはストーリーラインとキャラクターや場面の構成をを”別々”に考えたからではないだろうか。

ストーリーラインはストーリーラインで、キャラクターはキャラクターで独立した違う世界線の話のように観てて感じた。例えたら別々のパーツを違う工場で作ってそれらをくっつけた結合部分がデコボコだったみたいなことだと思う。
そう考えると庵野監督のシンゴジラは全てが調和していて、改めて庵野監督の凄まじさを感じる。

さいごに

始まって20分くらいからもう映画館出たかったし、終わってから隣の人やすれ違う人たちが「おもしろかったね」と言い合っているのを聞いて、初めて外国に行った時以上の衝撃を受けた。

何よりゴジラ映画は全てがゴジラ中心に回っていて欲しいのに、今回のゴジラはスタッフに「このタイミングでギャおーって出てきてください」って言われて出てくるお利口さんのゴジラになっていてとても悲しかった。

まあNOTEの書くネタくれてありがとうって感じでした。
また観た人と感想言い合いたいなー笑

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