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2023年5月の記事一覧
10.reincarnation
モノの善し悪しを仏教に訪ねる。
仏教は仏の教え、仏と成る為の教説。だから、仏と成れるか否かが善し悪しを決する条件となる。
では、善し悪しの前に、
仏に成るとはどういうこと
だろう。仏に成るということは、仏に成る前があるということ。仏教の流転輪廻という世界観では人間に生まれてこないと仏には成れないとされている。仏に成る前は人間。他の動物や植物では成れないとすると、人間と何が異なるのか?
11.six roads
六道とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・天・人の六つの道。
六道輪廻といった独特の世界観は、仏教に免疫のない人にとって、非現実的な精神世界の話にしか感じられないかもしれない。しかし、私は次のように考えている。
地獄は苦しみだけの世界。餓鬼は欲貪る世界。畜生は意味知らぬ世界。修羅は争い奪う世界。天は最高の世界。これに人を加えた無常の世界が六道。私たちの命は生まれかわり死にかわり、この六つを繰り返す。
12.between people
この苦悩の世界、無常の世界を解脱する存在が仏であり、その前段階としてのヒト。
生命体としてのヒトの命の本質は、紛れもなく動物である。ヒト同士の集団、世の間にあって人間と表されるが、基本的にはヒト科の動物、つまりは畜生。それが鬼になったり、神になったりして、苦悩の世界で蠢いて、やがて死ぬ。
ヒトが人間になるということは、人の間があるということ。間があるとは、つまり限定的な時間がそこにあって、
13.surreal practice
ヒト科の動物として生まれたこの命が、ヒトの間に目指す先ができて、初めて人間としての命を生きる地点に立つ。ここに立たない限り、永遠に留まることのない、無常の苦悩の世界を繰り返し抜け出ることができない。だからその苦悩を解脱することができる唯一の存在である仏と成る為に説かれた仏教という真実真理に基づき、そこに説かれる善悪を基準とするしかない。何故なら人間の視点には偏りがあり、常に煩悩に操られ、正しい判
もっとみる14.you'll know if you do
仏道修行の具体的なものとして、六つの善行を修める『六波羅蜜(六度万行)』というものがあり、仏教を普く弘められたお釈迦様が、説き尽くされた多くの善行(万行)を、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧、の六つに纏められている。
便利な時代、時間を超え、場所を隔て、わざわざ教えを乞うような苦労もなく、知りたいことは大体のことが調べられるようになっている。この『六波羅蜜』についても沢山の情報が溢れているの
15.kindness
布施は、サンスクリット語ではダーナと言い、日本語の旦那、英語圏のDonor(提供者)の語源。
基本的には、相手の利になるものを施すことを意味するが、『六波羅蜜』に示される布施行は、金品を施す『財施』、仏法を説く『法施』、恐怖や不安を取り除く『無畏施』の三つ。
なんだ、それでは財力や知識、特殊な能力がないと善い行いはできないじゃないか。と思われた人は『無財の七施』というのもあるので調べてみて欲
16.promise
持戒は、仏となる者が守るべき様々な戒律を持つ(保つ)こと、サンスクリット語ではシーラ、習慣性を意味する言葉。戒めを守ることが、自分を護る鎧(習慣)となる、という考え方に基づく。平たくいえば決めた約束を破らないということ。
反対は『破戒』だから『言行不一致』、言ってることとやってることが違っちゃいけない。
嘘はダメ
『嘘も方便』と言いますが、仏教で『嘘』は『妄語』であり、『方便』は『(真実
17.Patience
忍辱とは、耐え難きを堪え忍ぶ忍耐。感情に身を委ね、『瞋恚(怒り)』に任せて和を乱してはならない。
怒り、恨み、妬み、嫉み、憎しみ、嫌うことは人間の諸悪の根源と位置付けられ、仏教では、数多ある煩悩のなかでも、最も悪い煩悩ランキング・トップ3(貪欲・瞋恚・愚痴)『三毒』のひとつとしてその名を馳せている。
月並みな表現だが、仏教でなくても、怒って得することなどない。一般的に考えても、争いが真の喜び
19.introspection
禅定とは、心静め集中する瞑想修行。本来、宗教的な瞑想としては、微塵も心が動揺することがなくなる状態、通常では想像できないレベルの高度なところを意味するかもしれないが、
ただ単にぼーっと
何もかも忘れて心の活動を止める。所謂マインドフルネス状態も重要である。
人間は基本的に一つずつしか物事に対応できない。二つ、三つと手掛けることが物理的に可能であっても、一つに集中した状態よりパフォーマンス
20.training
智慧と知識は微妙に異なる。体験を通し気づきを得ることと、学習や情報を集積し学びを得ることは、全く違うとも言えないが、でも微妙に異なる。
目的を持って自らを正しく導くことは、容易なことではないが、それができるようになればなるほど、自らが支えられている
他の存在
に気づかざるを得ず、感謝の念が絶えなくなる。目前の有り難さに気づきを得るということは、今を生きるということでもあり、それが
命
21.summary and awareness
仏教に説かれる善行。『六波羅蜜』布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧について、要約してみたが、前提として仏道修行は聖者によって修められる行で、生半可な考えで為し得るものではない。しかしながらそれでも工夫して、その真似ごとのような行いに徹してみるのも無駄ごとではないと真面目に思っている。
できると思うことからやれば良い。難しく考えてやらないよりは良い。やってみればできないことが見えてくるから良い。
22.action and speech and thinking
善行をやってみるとして、仏教には私たちの行動について、『三業』という概念があり、三つの行為により行いが成立し、その果報を享受すると考える。
その三つとは、身体で行うこと『身』、口で言うこと『口』、心で思うこと『意』。これが
『身口意の三業』
仏教では『意』を最も重視するので一般的な見解と真逆になる。法律では、殺人を犯した人の罪は重いが、殺してやると言ったり思ったりしたくらいで厳罰はない。
23.not stand alone
善い行いをするうえで、最も大切なのは、行動なのか、言葉なのか、心なのか?
正解は、無い
と、言っても過言ではない。と、言ってしまえば身も蓋もない。が、心が出発点である以上、大事というのは真理。しかし、言葉にしなければ上手く伝わらないのだから、軽んじるのはどうか。もっと言うなら、態度で示さなければ意味を成さない、とも言える。結局、全て重要だ。
ただ、それぞれが連繋していることに注目すると、ポイ