見出し画像

おとなのおねしょ

なんの捻りもない初投稿にも、なんと朝起きたら、スキが10も付いていた。

最初の投稿につけたハッシュタグは極めてベタで、『#はじめまして』『#自己紹介』『#プロフィール』だった。ドイツに住んでいるので、『#ドイツ』も付け足したが、どれもゴマンとあるタグだ。
記事タイトルも『はじめまして』で、まあきっと新参者のご挨拶など誰も読まないだろうなと思っていたので、noteの影響力の高さに改めて、もの凄く驚いている。立ち寄って読んでくれた方々、スキ(イイネ!ではないという事に今日気付いた)してくれた方々、本当にありがとう。

さて。本題である。
2つ目の記事でもういきなりすごい釣りみたいなタイトルだが、別にこれは嘘でもなんでもない。

おとなのおねしょ、したことありますか?

皆さんにズバリ問いたい。
特に病気・疾患はなく、ほどほどに健康で過ごしている全ての大人に問いたい。

皆さんは、大きくなってからおねしょをしたことがあるだろうか?

さて、僕の予測はこうだ。
普通にみんな、ひっそりとしていると思う。間違いない。
ただ、数多のnoteライター達はnoteというオサレ媒体にこういう話題を敢えて振る人は少ないかもしれない、と思っている。
僕の中で、noteとはスタバでマキアートなのである。
サンサンと晴れやかな窓際でアップルコンピュータを開き、カタカタと記事を書く、そんな感じなのだ。
皆、本当にステキな記事を書いている。時おり読ませて頂く失敗談なども、この方々はどんな文才があるのかと思うぐらいに面白い。
もしかしたら『#おねしょ』『#おもらし』などのハッシュタグもあるかもしれない。だがそれは敢えて見ない。二番煎じになってしまって悲しくなるからだ。

まあ、そんなわけで、僕は数日前、やらかしたのだ。
まだ明け方は肌寒い、3月頭だった。数日後に今年初の報告会が控えていたから、緊張していたからかもしれない。うん。

いや、すまない。これはただの言い訳である。

僕の夜のおトイレ事情

寝る二時間前ぐらいからは、水分の摂取を抑えるようにしたほうが良い、と聞いたことはあるだろうか?
僕は『睡眠時にかく汗などで朝一番は血液がドロドロになっている』といういつかの健康番組の言葉を未だに覚えていて、寝る前も水をめちゃくちゃ飲むクセがある。
だから正直、トイレに起きない日はほとんどないと思う。
調子がいい時は一度も行かないこともあるが、大体一度ぐらいは起きるし、水分を取り過ぎたり冷えたりすると2、3回起きることもある。そんな感じだ。

トイレに行く夢

脳が尿意を感じると、トイレに行きたくなる夢を見る事があると思うが、皆さんはどうだろうか?
僕はよくある。だけど、いつも夢の中でトイレに座って出そうとすると『なかなか出ない』現象に襲われる。そんな中、夢の中で、僕はこう考えている。

(こんなに踏ん張っているのに出ない…ッ!)

そりゃあ当たり前である。本当に出してしまうとその時点でアウトなのだから。
だが、この日は違った。出たのだ。トイレに座り、もの凄い勢いで放出している事が夢の中でも分かった。

だけれど、出せど出せど、楽にならないのだ。
尿意は消える事なく、膀胱に溜まり続けて僕の潜在意識に圧を送り続けていた。

おねしょをしたと気付いた理由

夢の中では、当たり前だが僕はズボンを履いていた。
夢の記憶を辿ると、とてもおかしな話だが(そもそも夢とはそういうものだけれど)、僕は洋式トイレの蓋の上にズボンを履いたまま座り、用を足そうとしていたワケである。

想像してみて欲しい。
それって単に便器の蓋を椅子みたいにして座っているだけなのでは?と。
まさにその通りである。だが夢とはそういうものだ。
そして夢の恐ろしいところは、それが現実として『トイレに座っている自分』として認識していたわけだ。
だからなんのためらいもなく尿意を解放したわけである。

現実ではベッドの中でシャアアア…と放出していたのだが、夢の中ではズボンを履いたまま用を足していることになるので、

(うお、ズボン下ろし忘れた)

ぐらいの感覚だった。
ズボンはしっとりぐっしょりと濡れているが、夢の中のテンションとは不思議で『気にせず全部出し切ってしまおう』と思っていた。

だが、まさにその瞬間に『現実に還る瞬間』が訪れた。ズボンを履いたまま用を足すなんておかしい、という脳からの無意識の伝達である。
そしてようやく気付いたのだ。

(こ、これは……夢、だ……)

そして現実へ

目覚めるとベッドの中だった。ぼんやりとした頭はなく、シンシンに冴えていた。ズボンとパンツにぐっしょりとした感触。

シーツに被害が染み込んでいく前に、バッと起き上がる。

時計を見ると明け方の4時。なんともな時間だ。
毛布をどけて、シーツのコンディションをチェック。ふわふわの起毛が付いている温かな冬シーツはちょっとだけ濡れていたが、自分の中では『合格点』だった。この場合の合格点とは、『まあ、このくらいは乾くからいっか』という自分なりの判断ポイントである。

汚ねえな、というクレームは受け付けない。
皆さんも人間だ。多かれ少なかれきっとこんな一面があるだろうという確証を持って堂々と発信することにする。

さて。シーツは合格としても、パンツとズボンは何をどう足掻いても不合格だ。
彼らはぐっしょりと冷たく僕のお尻を傷つけてきている。
もちろん実際には痛くも何ともない。
だがこの冷たさこそが、おとなのおねしょをした僕への痛みだった。

ズボンとパンツを一気に脱いだ。トイレの蛍光灯を付けると目が冴えて覚醒してしまうと思い(こんなところばかり真面目である)、暗闇の中でズボンを見つめた。
その夜はシミが目立つ薄いグレーのスウェットだった。
股間とお尻周りははぐっしょりと、幼児がおもらしをしたテンプレートのようになっていた。
申し訳程度に少し水で局部を洗い流した後(他の服と自分のゴールデン何とかが混ざるのは嫌だった)、洗濯機に放り込んだ。

だが、まだ尿意は微妙に残っていた。
トイレに向かい、残り二割がショロリと出た。その時、僕はぼんやりと思った。

全出*じゃなくて良かった、と。

*全出(ぜんで)とは、100%マックスで全てを放出すること【taiga辞典】

ちなみに全出して完全に朝まで気付かなかったパターンもある。七年ほど前だ。つまり僕は、一定の周期でおねしょをしている事になる。これについては、いつか機会があれば気まぐれに書くかもしれないし、書かないかもしれない。

朝が来た

結局、フレッシュなパンツは夜中なんとか探せたものの、暗闇の中でフレッシュなズボンは見つからなかったので(ガサガサと引き出しを開けたくなかった)、大人しくパンイチで布団の中に入り、ぐっと意識すれば分かる程度にはしっとりと濡れた冬シーツに包まれながら再度眠りについた。

そのあとは、意外とよく眠れた。

朝が来てパンツ一丁の僕を見て、配偶者が『えっ、どうしたの』となった。
僕はモジモジと恥ずかしそうに『おねしょしちゃったんだ』と言った。
そんな僕を見て、配偶者は『大人のおねしょは夜尿症って言うらしいよ』と言ってきた。

ただのおねしょだと思うんだけど、と僕は言った。
だが配偶者は『何ならグーグル先生で調べてあげるよ?』と言いながらスマホを出し始めた。
もしチェックリストに該当するなら、病院に行った方がいいかもよ、と。

だが違うんだ。
僕はネットで自覚症状とか病名を照らし合わせるのがとても苦手なんだ。
もしかしたらそうかもしれない、いやきっとそうだ…!と心配になって胃がキリキリしてしまうんだ。
結局僕は、差し出されたチェックリストを見なかった。怖くて見れなかった。

七年前、全出を決め込んだ僕を見て、『だ、大丈夫……!?きっと疲れてたんだよ…!』と言って、宝の地図のようになった布団をベランダに一生懸命干してくれた、配偶者のあの日の優しさを思い出した。
そしてその日は、僕の大好物のハンバーグが出てきたんだった。

そんな優しさが、まるで昨日のことのように思い出された。
あの日も、こんな感じの穏やかな太陽が降り注ぐ、春の初めだった。

この記事を最後までお読み下さいましてありがとうございました。 これからも皆さんにとって興味深い内容・役立つ情報を書いて更新していきますので、今後ともどうぞよろしくお願い致します。