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現代に潜む''奴隷制度''=''学校制度''

学校教育が、もはや奴隷制度なんじゃないかという疑問について、徹底考察してみました。

更に、現状の学校制度の問題点の解決策も提示します。

筆者である タイチ は、現在現役高3です。私立受験進学校に通っています。

第1章
学校制度の成立の歴史を振り返る

学校というものが、どのように社会制度に根付いていったのか、人類の歴史とともに簡単に振り返ります。

人間は、共同生活をする生き物です。
知識や経験から学ぶ、人が快適に過ごす為に必要なことです。

昔、学校のような教育機関が誕生する前は、先哲が培った知識や経験は、
「親から子へ」
「友人から友人へ」
といった具合に、ステップバイステップで伝言ゲームのように伝わっていきました。

狩猟採集を中心に生活し、小規模のまとまりで暮らしていた人間は、そういったステップバイステップの伝達方法を取っていても何ら問題はありません。

けれども、社会が成熟し、定住化が進みます。1つの集落に何千人単位で住むようになると、みんなに知識を伝達するのに、1人ずつだと効率が悪いですよね。更に、時はたち、学問の内容も高度になります。

こうなってくると、効率の悪さが際立ってきます。

そこで、〝集団授業〟という方式が発明されました。

これにより、1人が持つ知識を、一度に大勢に、伝えることが出来ます。

大革新です。

1箇所に知識を持っている先生と学びたい生徒を集約することで、
教育の質のバラつきを改善し、
手間を大幅に省きました。

江戸時代の日本には、寺子屋という教育機関がありました。
寺子屋は、当時の日本の識字率が世界でも郡を抜いて高い水準に達していた事に、大きく貢献しています。集団で学ぶスタイルが、人々の知的レベルを飛躍的に向上させたことを物語っています。

そして、日本は明治維新を迎えます。

富国強兵をスローガンに掲げた明治政府は、強い軍隊を持つことを求めました。

強い軍隊には、質の良い兵隊が不可欠です。

ここで言う「質の良い」とは何を表すのか?


命令を理解し、指示に従順に従う事を言います。
軍隊は集団行動ですので、集団行動に適した人間である必要もあります。

「質の良い」兵隊を沢山育てるために、欧米を見習い、〝学校制度〟を導入しました。

ここで初めて登場した 学校というもの。

一対数十人の集約された授業のシステムで、効率よく知識を与え、集団で生活をすることを強います。
教員の言うことを素直に聞き入れる、すなわち

命令に従う事を幼少期から叩き込みます。
しばしば「躾」という言葉がそこに用いられます。
躾の本来の意味は、人間関係を円滑にする礼儀や作法を教える事です。

命令を聞くようにすることは、「躾」とは異なります。

従順で物分りがよく、軍隊に都合のいい人材を育成するべく学校制度が制定されました。

全国に〝学校〟がどんどん誕生していきました。

確かに、人々の基礎学力は向上し、社会がより豊かになったのも事実です。

こうして作り上げられた兵士たちは、多くが日本のために命を落としていきました。

戦争の為に制定された学校制度です。

しかし、日本で戦争が終わってから約80年経つ2019年現在も、
学校制度は形をほぼ変えずに存続したままです。

戦争が終わってから、すぐに学校制度は形を変えても良かったのでは?

答えは、工業化にあります。

戦後の日本は高度経済成長を迎えました。経済成長の要因は、工業化です。

工業が発達し、日本は世界一の経済大国にまで上り詰めるほどでした。

そんなに発展した工業化。
発展を支えたのは、「労働力」でした。

日本には、優秀な労働力がたくさんいました。

その働きぶりから、海外の人達は日本のサラリーマンを「ワーキングアニマル」と皮肉ったそうです笑。

では、ここでいう「優秀な労働力」とはどういったものなのでしょうか?

命令を理解し、指示に従順に従う事を言います。
工場労働は集団行動ですので、集団行動に適した人間である必要もあります。

軍隊が求めている「質の良い兵隊」と全く一緒じゃないですか!!

これが理由です。

戦争の為に作られた学校制度が生み出す人材は、
工業化にも使える人材だったのです!!

軍隊だって工場労働だって、「指示を理解して従うこと」が最重要事項です。

お分かりいただけましたでしょうか?

学校制度が、戦後も健在であった理由は、工業化にありました。

第2章
学びを得る方法の変遷

次に、
人間が学びを得る方法をどのように開拓して来たのか
について考察していきます。

(言語を獲得)

太古の昔、人類は言語を習得しました。

※しっかり言うと、認知革命のおかげですが、ここでは省略します。詳しく知りたい方は「サピエンス全史」という本をご覧下さい。



言語は、1人の知識や経験を他の人に伝える事を可能にしました。
革命的な出来事です。

人から人へ、学びは伝わっていきました。

以前は自分が経験した事からでしか学べなかったのに!、他人の経験からも学びを得ることが可能になったのです!

(文字と紙の発明)

時はたち、人類は文字と紙を発明しました。

文字と紙により、音声言語以外の方法で学べるようになったのです。

この発明は、人々の学びを「時間」の制限から解放しました。

知識教えてもらうには、その場にいなくてはなりません。

しかし、文字を読めばいいのです。

文字を読めば、学習者はいつでも学べるのです。

更に、紙は手軽に持ち運べるので、「場所」の制限も大きく解放しました。

産まれる前に亡くなったおじいちゃんの異国での経験を、孫が学ぶ。こういう事を可能にしたのです!

(学問の発展とシステムの発明)

更に時がたち、社会が成熟し、学問も発展していきました。

それでも、
知識を持っている人や、高度な本の数は依然として少ないままでした。

そこで、人類は、
集団授業や図書館といったシステムを発明しました。

学習の場所と学習に必要な教材を、1箇所に集約させることで、時間効率と資源効率を向上させます。

すると、
より多くの人々が、より高度な学びを得ることが可能になります。

広くあまねくみんなが学ぶ。学べる。そんな社会が実現したのです。

更に、印刷技術の向上は、学べる人々の数の増加に拍車がかかりました。

集団授業や、図書館といったシステムは、

人々を「学ぶ機会」の制限から解放していくのです。

いつでも誰でも、集団授業を受けたり、図書館に行けば学べるのです!

(更なる飛躍、インターネットの出現)

人類は少しづつ、学びを得る機会や環境を改善し、自由にしてきました。

そのひとつとして、大きな飛躍が、最近ありました。

それが、インターネットの普及です。

このnoteをお読みになっているということは、何らかのインターネットに繋がれたデバイスを使用しているということでしょう。

パソコンだけでなく、スマートフォン、タブレット端末等、インターネットに繋がっているものは身の回りにわんさか溢れています。

ブラウザ、検索エンジンの整備、アプリやサービスの充実に伴い、学習するための情報(教材)はオンライン上に、山のように存在しています。

キーワードを入力するだけで、あらゆるノウハウや知識に、アクセス出来るのです。

いつでも、誰でも、どこでも

インターネットの普及は、
「時間」
「場所」
「機会」
の全ての制限から人々の学びを解放しました。

インターネット、ヤバし😅

インターネットの登場により、学びを得ることが圧倒的に簡単になりました。

例えば、
・CMでも有名な、「スタディサプリ」
・数学の問題を人工知能が解析し、
解答と類題を検索してくれるアプリ、「クァンダ」
・高度な積分の計算でも
解法を示してくれる「フォトマス」
・オンラインで個別質問が出来るサービス。

上記以外にも数え切れないほどの学びのサービスがあります。

※まあ、高校過程程度の科目ならば、数冊の教科書と問題集で十分ですが、笑

(まとめ)

・言葉が情報の共有を可能にした。
・文字が、「時間」を。
・紙が、「場所」を。
・システムが、「学ぶ機会」を。
・インターネットが、「時間」「場所」「機会」を更なる高みへ持ち上げた。

第3章
もう必要ないだろう!?

第1章では、学校制度がどのようにして今の状態になったのか、

第2章では、人類が学びを得る方法を進化させてきた歴史をざっくり振り返りました。

ここで、現行の学校制度をもう一度考えてみましょう。

確かに、戦後の工業化社会において、質の高い従順な労働力になることが、成功の秘訣でした。

「自分のやりたい事を押し殺して、有名大学に入り、有名企業に入る。」

これが一昔前の成功のテンプレートです。

しかし、2019年ですよ!当時と状況は全くもって違います。第三次産業すなわちサービス業が経済の大部分を占めています。

単純な労働力になる必要は、皆無です。

労働力は、高度なロボティクスや、AIに既に代替されています。

自分のやりたい事、自分の意志を押し殺す必要もないのです。

「労働力」になる必要がないのなら、
古いまま姿を変えず、時代に取り残されてしまっている学校制度に縛られる必要もありません。

大きな変革を迎えるべきなのです。

蝉の抜け殻が、かつて生きていた蝉であることは間違いありません。ですが、今はもう〝抜け殻〟です。

学校制度の中で、素直に先生の言うことを守り、課された課題に取り組み、授業を熱心に聞こうとする、そんな事は、まるで、

いつまでも蝉の抜け殻が生きていると信じ続けているようなものです。

インターネットの普及によって、
「勉強しよう!」
っていう意志さえあれば、勉強出来る時代がとっくに来ています。

本もメルカリやAmazonで買える。
分からなかったら、ネットで調べればいい。
それでも分からなかったら、教えてくれる人に連絡もとれる。たとえ地球の裏側にその人がいたって。

もう既にそれが出来る世界なのに、学校制度に多くの人が、不必要に縛られているのです。

・決められた時間に
・決められた先生から
・決められた科目を
・決められた進度で
学んでいく、そういった〝学校〟に今この時代通わなければならないのでしょうか?

答えは明白です。
「通う必要ありません!」
むしろ、通わない方がいいかもですね。

第4章
学校で起きている笑笑な現状

今まさに、学校では、物凄く滑稽な情景が広がっています。

「スマートフォンをポケットに入れた高校生が、教壇にたつ先生の授業を受ける」

生徒たちのほとんどは、自分達のポケットにあらゆる情報が得られる魔法の板が入っているのに気づいていません。
先生たちの多くも、インターネット上に溢れる教材よりも、自分の授業を聞くことを生徒に無理強いしてしまっています。

インターネットや書籍で、勉強出来る時代に、
先生が果たす役割は、
「知識を伝える事」ではなく、
「どうやって勉強を進めるのか」を教える事です。

迷える登山者に、安全な道を教えてくれる案内板、それが先生です。

だから、わざわざ授業する必要はありません。

多くの先生方が複数のクラスで同じ授業を行っています。テクノロジーを使えば、わざわざ同じことしなくてもいいのに、、、。

※これを言うと、映像授業とか人間味が感じられないとか言う人がいます。僕は、過ごす必要のないことに時間を費やすよりも、もっと充実した時間の過ごし方をした方が人間味があっていいと思います。
年老いたおばあちゃんが洗濯板で洗わないと人間味が無くて嫌!なんて言う人いないでしょう?それでも尚おばあちゃんに洗濯をさせるようなら、おばあちゃんの時間を奪っていることになります。そんな人間味の無いことはしたくないです。

第5章
奴隷制度的学校制度

ここまで読んだ皆さんは、きっと学校制度が、時代に取り残されてしまっていることに、気づいています。

本noteタイトルにもある、奴隷制度=学校制度という意味もうすうす理解出来るのではないでしょうか?

詳しく説明していきます。

まず、奴隷制度について確認です。
奴隷とは、人間としての名誉、権利、自由を認められず、他人の所有物として扱われる人のことを指します。

奴隷は、主人の命令に従わなければなりません。
自分のやりたい事に取り組む時間はありません。
命令された役務をこなさなければなりません。
「自分の好きな事がしたい。自由が欲しい。」
こう願っていることでしょう。

では、学校に通う高校生を見てみましょう。

生徒は、学校の言うことを聞かねばなりません。
自分のやりたい事に取り組む時間はありません。
指定された科目を勉強せねばなりません。
「大学に行って好きな事がしたい。自由が欲しい。」
こう願っていることでしょう。

半ば冗談混じりに表現しましたが、あながち間違っていないかと。

勉強は、役務じゃない!将来の為にやってるんだ!
というならば、それは少し見当違いかと。

奴隷だって、役務をこなす中で、体力増強や技術を身につけていることでしょう。

将来役に立つか立たないかとかではなく、その時間を、満足して過ごしているか。これが問題なのです。

多くの人々は、奴隷制度は断固として反対だ!というスタンスです。可哀想だと思うでしょう。

「一生奴隷になれ😠」
なんて言われたら、たまったもんじゃありません。

しかし、(奴隷的に生きる)学生たちには酷く無慈悲です。
「もっと頑張れ。我慢しろ。」と強います。

何度も言いますが、
学校に行く「必要」はありません。
※行っては行けないとは言ってない
1人1人やりたい事も興味も、得意な事も違う。けれども、一律に主要五教科(国数英理社)に取り組まされる。

朝早く起きて学校に行く必要もありません。
若者はホルモンバランスの影響で、夜型の人が多いそうです。

・決められた時間に
・決められた先生から
・決められた科目を
・決められた進度で
学んでいく、必要はありません。

「好きな時間」に
「好きな分野」を
「色んな方法」で
習得し、成長していくべきです。

僕自身、
「将来なんの役に立つか分からないし😠」
などと嘆きながら、疑いもせずに嫌な課題に取り組んできました。
学んだことが有用かどうかはおいておいて、

そうやって
「やりたくないこと」を他人にやらされている
そう感じる時間があるなら、もはや、奴隷です。

第6章
奴隷制度よりヤバい学校制度

もちろん、挑戦に失敗や苦悩は付き物です。
学ぶことは基本的に辛いことです。難しいことに悩み、長く継続しないと結果は目に見えない。

決して、失敗や苦悩から逃れる方法があるとは言ってません。

ただ、全員が全員、一律の科目を勉強させられるそういった制度がおかしいのではないかということです。

スポーツだって野球、サッカー、テニス、柔道、ラグビー、色んな競技があります。

みんなが、ラグビーに打ち込まなくてはならないなんてことはない。各々が望むスポーツをやれば良いのです。

同様に、みんながみんな、
物理を勉強しなければならないとか、
古典を勉強しなければならないとか、
おかしいですよね。

今の学校制度はそういうことを平気でしています。

多くの大人たちも、この時代の変化に気づかず、子供たちに有名大学に進むことを望みます。子供たちの為だと思い込んで、子供たちの時間を奪ってしまっているのです。

1日の大半を学校で過ごし、帰ってからも課題をやる。
「めんどくせぇ」とボヤきながらも学校に行き、
「将来ぜってぇ使わねぇし」と言いながらも仕方なく課題に取り組む。

自分の時間を過ごしている状態とは、程遠いです。

他人の人生を生きていしまっています。その時点で、奴隷と一緒です。

「そんな事ないだろ」「学生は勉強させてもらってるんだ。むしろ恵まれている」と言う方もいると思います。

実際に、僕自身そうやって自分に言い聞かせながら、授業にのぞみ、大学受験の勉強をしていました。

しかし、そこが1番厄介な点です。

この点で、奴隷より悲惨な状態です。

「自分が奴隷だと認識出来ていない奴隷」なのです。

めんどい、だるい、嫌だ、も思いながら学校生活を送ることは、決して(現代において)恵まれた状態とは言えません。しかし、遠い過去と比較して「自分たちは恵まれている!」と思い込み、思考停止するのです。

あまりにも多くの人が、
学校に行くことは当たり前だ、という幻想
を信じ続けているのです。

覚えておいて欲しいことがあります。

自分に優しくしてくれる人と、自分にとって有益な人は必ずしも同一人物ではない。

学校に毎日行かなくてもいいんです。

学校がめんどくさい、そんなことで悩む時間は勿体ない!

すぐに実践に移しましょう。
つまり、学校から解放されるのです。

でも、どうしたら学校から解放されるのか?
突然サボり始めると言っても、やり方がわからない😭

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