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いままでの自分より、ちょっとだけ自由になる方法。

先日、糸井重里さんと阿部広太郎さんのトークショーに行ってきた。これは、「企画でメシを食っていく」の特別編として横浜で開催されたイベントだ。会場に来ている人たちは、自分の仕事や人生の参考になる何かを得ようという顔つきで、PCやノートにメモをとりながら熱心に話を聞いていた。自分もその中の一人だった。間違いなく熱量にあふれた空間だった。面白い話をたくさん聞けた。

今回、そのトークショーの内容をごっそりまとめるといったことはしないが、その場にいた人みんなの印象に残ってるであろう話について書きたいと思う。それは、客席の反応が特に強かった、糸井さんの「100円玉を捨てる」話だ。

100円玉を捨ててきてください。

糸井さんは、以前受け持っていた何かの授業で、生徒たちに「今から外に行って100円玉を捨ててきてください。そしてその感想を述べてください」と言ったという。その結果、生徒からはさまざまな感想が出てきたらしい。「すっきりした!」と興奮気味に語る女子もいれば、「誰かに使ってもらえるかもしれないと思って公衆電話のお金の戻り口に入れた」という男子もいたという。お金は大切にするものとして生きてきたぼくたちにとって、お金を捨てるという経験は強烈だ。100円玉を捨てる瞬間は、お金が生む約束を壊す瞬間なのだと。だから一生の思い出になるという話だった。

100円を捨てるということ。それは、それまで自分を縛っていた世の中の常識から少し自由になるということ。他の人が味わったことのない感覚をたった100円で手に入れられる。みんなと同じ方向を見て、みんなと同じ方向に向かって歩いているとしたら、その大きな流れに逆らってみる経験が、独自の視点や考え方を育てるのかもしれない。

海に向かって叫んだ、あの日のこと。

その100円玉の話を聞いて思い出した(気づかされた)ことがある。ぼくがまだ20代後半だった頃、宣伝会議の某講座で一緒だったT君と湘南の海に行って実行した「海にバカヤロー」企画である。

ドラマや映画などでよくある、砂浜で海に向かって若者が叫ぶ青春の1ページのようなシーン。あれって、実際にリアルの世界でやったことがある人ってあまりいなそうだ、でも実際にやったらすっきりするんだろうな、なんて思っていた。あと、声が小さい自分の、声量のマックス値を知りたいということもあり、T君を誘って企画することにした。

実際やるとなると、非常に恥ずかしい。変質者と思われるかもしれない。「人目が気になる」という障害があったが、日が沈んだ後、顔がギリギリ認識できるくらいの時間帯、人の少ない砂浜で実行すればそんなに気にならないと考えることにした。

砂浜に寂しさがただよう初秋。人もまばらな由比ヶ浜。T君と一緒に、波打ち際に立ち、海に向かって叫んだ。精一杯お腹から声を出す。最初は照れがあったが、何度も叫ぶうちに慣れてくる。しかし、思っていたほど大きな声が出ない。実はT君も声が小さいタイプで、自分と同様にそんなに声は出ていなかった。二人とも全力。でもやっぱり弱い。波の音にも負けそうだ。こんなんじゃ太平洋に笑われる。

「バカヤロー」以外にどんな言葉を叫んだのかは覚えていないが、すごく気持ちよかったのは覚えている。あんなに大きな声を本気で出したのは生まれて初めてだったと思う。そして、やっぱり自分はそもそもの声量のマックス値が低いのだと自覚した。帰り道、セブンイレブンで水を買って、二人でこわれかけの喉を潤しながら「なんかすっきりしたなあ」と話した。あの日、企画を実行しなければ、自分の人生で大きな声で全力で叫ぶような場面はやってこなかったかもしれない。

ほとんどの人が、普通に、安全に、生きている。自分もその一人だ。それは決して悪いことではないと思う。でも、たまにはちょっとはみ出してみるのもいいかもしれない。人生経験になるとかむずかしい話は置いておいて、100円玉を捨てるその行為自体も、海に向かって全力の声を出すのも、やってみると実際に面白いと思うから。

糸井さんの話を聞いて、海に叫んだあの日の経験が自分の小さな財産になっていることに気づくことができた。久しぶりにT君に連絡をとってみようかな、と思った月曜日の夕方であった。

読んでもらえるだけで幸せ。スキしてくれたらもっと幸せ。