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「七つまでは神のうち」という言葉が、気づかせてくれること。


「ねえ、お父さん」。今日だけで三十回以上は聞いたこの台詞。小学生になってから二回目の夏休みを迎えている息子は、自宅を仕事場にしている父親に、ことあるごとに構ってほしいと近づいてくる。

この前買ったばかりのTシャツがもう入らないという。信じられないような速度で、子どもは大きくなっている。それこそ、襟の丸いシャツを着て幼稚園に通っていたのが昨日のような気さえする。最近では、一人でできることも増えてきていて、「ああ、もうこんなこともできるんだなあ」と日に日に成長する姿を目の当たりにしている。

子を持つ親なら、覚悟しなければならない。子どもはいずれ自分を必要としなくなる。忙しい毎日の中でふと気がついた時、「手のかかる子ども」は、静かにどこかへ消えてしまっているだろう。親の手を借りなくても自分で生きていけるようになっていく。そして反抗期や思春期を迎えれば、親に世話をやかれるのが嫌になる。

小さな手を握り、小さな歩幅に合わせてゆっくり歩いていたあの日々はどこへ行ってしまったのか。今ではたまに手をつないでも、私を力強く引っ張るくらいにまでなった。

手がかかる時は早く成長してほしいと思っていたのに、今では、なるべくゆっくり成長してほしいと思うようになった。泣いたり笑ったりと忙しい子どもとの一日一日をもっと噛みしめようだなんて、今さら勝手すぎるかもしれない。

「七つまでは神のうち」という言い伝えがある。

「七歳までは神の子」「七つ前は神のうち」など言い方は色々あって、日本で古くから伝承されてきた言葉らしい。産まれてから七歳までは神様から子どもを預かっているということを表している。まだ穢れのないその時期は「あの世(黄泉)」の所属(神に近い存在)なのだという。神に近いというのは死に近いということを意味している。

医療が今ほど発達していない時代、まだ抵抗力のない子どもは常に死と隣り合わせで、幼くして病気等で亡くなることがたびたびあった。それは「預かっていた子供を神様にお返しする」というふうにとらえられていたという。

その言葉が示すとおり、「七歳」という年齢は何かの境目なのかもしれない。今、息子は七歳。その純粋無垢な姿を見ることができる期間はもうあとわずかかもしれない。今という時間がどれだけ貴重か。いつか過去を振り返る時が来たら、きっとかけがえのない時間だったのだと思い出すのだろう。

子の成長を見守る親の心には、嬉しさと寂しさが混ざり合っている。そんな親の想いとは裏腹に、時計の針はさらに加速していく。

「ねえ、お父さん」と背中に抱きついてくる息子に、自分は何ができるだろう。そして明日は何をしよう。


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