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「いいこと書かなきゃ」という呪縛。


自分の書いたもので、誰かの人生に少しでも影響を与えたいとか、誰かの日常にやさしい余韻を残したいとか、誰かのモチベーションの潤滑油になりたいとか、世の中を変えたいとか‥‥。

そういう“いいこと書かなきゃ意識”でパソコンに向かっているnoterは多いんじゃないだろうか。

書く行為は自分の内面をさらけ出すことだ。当然、外見と同じように、内面もいいように見られたいに決まっている。だから力んでしまう。うん、よくわかる。

でも、思ったように書けない。うまくまとまらない。できあがった文章は自分の理想と程遠い。自分の寂しいスキルに若干落ち込んだりする。どこかから借りてきたような耳触りの良い言葉を並べて体裁を整えても、誰かの心はおろか自分の心にすら響かない。

“いいこと書かなきゃ意識”は、かえって執筆速度を鈍らせてしまう。今書いているこの文章でさえ、自分は無意識に“いいこと”を書こうとしているかもしれない。

良質な記事は、当然、スキがいっぱいつくし、コメントも書き込まれるし、編集部のおすすめに選ばれやすいだろうし、SNSの枠を越えてバズったりもする。

それらの記事を「すげえなあ」と指をくわえて見ているだけでは進歩がないので、自分なりにちょっと分析してみようと思う。


■バズる記事って、どんなの?

多くの人々の心に刺さるような記事に必要なことって何だろう。自分なりに、編集部のおすすめにセレクトされた記事やバズった記事の傾向を分析してみた。んでもって、ざっくり分析して以下の四つの要素をざっくり導き出した。ただ、ざっくりしすぎているし、僕の主観が結構入っていると思うので、参考程度に読んでいただければ。

一つ目は、自分にしか書けないことが書かれていること。独自の視点など、他の人には書けない内容が書かれた記事は、注目を集めやすい。特に、自分に嘘をつかず、かっこつけず、本音をさらけ出した文章は読み応えがある。

二つ目は、実際の行動がともなっていること。例えば、「◎◎に参加してみて思ったこと」系の独自の取材や体験や挑戦をもとにした記事はそれだけで説得力がある。

三つ目は、ハウツー系。例えば「私がフォロワー◎◎人を達成するためにやったこと」みたいな記事だ。他人の日記には興味がないが、直接自分の役に立つような記事なら読みたいという人もいるはずだ。

四つ目は、芸術性に優れていること。優れたストーリー性、個性的な絵やイラストなど。人の気分を高めたり、楽しませたりするエンターテイメントとして成立できるようなクオリティが求められる。

これら四つだけでなく、他にもあるとは思う。


■「スキ」を集めるのは、そんな難しいことじゃない。

スキの数は、その記事が優れているかどうかの客観的なモノサシの一つではある。ただ、こういったSNSでは必ずしも記事の内容だけで判断されない部分がある。例えば、いつも仲良くしているフォロワーとの相互スキだったり、積極的に他者の文章を読みに行ってスキを押したりコメントを残したりすればもらえるお返しスキなどの“愛想スキ”も結構あると思う。「返報性の原理」は最近よく聞く言葉だ。

自分から積極的に誰かの記事に絡みにいくやり方は、スキを増やす上で合理的だとは思う。手当たり次第にフォローしまくれば、ある程度のフォロー返しがされて、フォロワーを増やすことができる。フォロワーが増えれば、当然自分の記事へのスキの割合も増えていくだろう。(まあ、自分には合わないやり方なのでやらないけど)

また、note上で他者との交流が盛んな書き手は、なんとなくコミュニティのような集合体になっていて、内輪向けメッセージを記事にすることも多い。オフ会なども盛んだ。バーチャルだけでなくリアルでも仲良くなっていたりして、つながりはより強固になる。閉鎖的なコミュニティに見えても実はオープンだったりして、外から仲間に入りたいと人が集まってくる。コミュニティ内ではスキの数が増えやすいはずだ。

「スキ」が全てではないし、その数が多いから優れているとは限らない。noteをぶらぶら読みあさっていると、スキがあまり入ってない素敵な記事は山ほどある

ただ、まず数字がなければ、誰もいない暗闇に向かって「王様の耳はロバの耳」と叫んでいる状態になってしまうし、せっかく記事を作ったなら何かしらの手応えがほしくなる。

まとめると、スキの数は客観的なモノサシにはなる。でも、スキの数が多いから記事の質が高いかというと、必ずしもそうではないということだ。だから、スキが少ないからといってネガティブになるのはやめましょう。はい、やめます。


■「いいこと」なんて書かなくていいのだ。

こんなこと言うと元も子もないが、多くの人々の心をとらえるような記事をめざすのはやめた方がいいのかもしれない。結果的にそうなっているのが理想だ。

いいことを書こうとすると、無理して、見た目のいい言葉、かっこいい言い回しをよそから引っ張ってくるようになる。飾れば飾るほど、だんだんと自分の本当に言いたいことは原型を失っていく。そして、どこかで聞いたことのあるような名言チックな文章ができあがる。なんだかすごく良い感じなのだけど、ふわ〜としていて、よーく読み解いてみると大したことを言っていない。・・・これは絶対に避けたい。

めざすなら、「いいことを書く」ではなく「本当のことを書く」の方がいいかもしれない。「嘘がない」「かっこつけていない」「逃げていない」は、やっぱり強い気がする。本当のことを恐れずに言う人のところに、人は集まってくると思う。(本当のことを言う=誰かを傷つける、ではない)

例えば、とある有名画家の展覧会で一枚の絵を鑑賞し、その感想を記事にするとする。以下、どちらの文章が読みたくなるだろうか。

「◎◎◎の絵は、実に繊細だ。当時のパリの街を愛する恋人たちの姿が、画家自身のフィルターを通して強く伝わってくる」

「◎◎◎の絵は、苦手だ。じっと見ていられない。恋人たちに向けられた画家の視線には、欲望と憎悪が込められている気がした。でも美術館を出た後、無性にもう一度あの絵を見たくなった」

少なくとも僕の場合だと、下の文章の方が読みたい。なぜなら本音の言葉で語っているから。(例文が下手でごめんなさい)

これらのことを一番強く言ってあげたい人がいる。彼のエッセイは、いつも、いいことを言おうとして、空回りしている。

それはいったい誰なのか。

僕自身だ。



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