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遅い初恋~36歳初めて「好きです」と告白したのは今の夫~

私は非常に 奥手である。
そして精神的に 幼稚であった。

思春期に まともな恋愛をしたことなどない。
彼氏というものがいたこともあったが、 恋愛の意味を 分からずじまいであった。

前夫と知り合ったとき、精神に病を患っていると聞いた。
そして 3年後ぐらいには、 命を断つつもりだと聞いた。

それじゃ 遺伝子を保存しなきゃ。
そう思った。
避妊はせず ほどなく妊娠し、 母に打ち明け、実家に帰って 産んで育てよう、ということになった。

前 夫から、 家族を持ちたい、 家族に看取られて死にたい、 そう言われた。
婚約指輪を 差し出しながら、「 僕を見とってください」 と言われた。
死ぬ前に 全部夢を叶えてやろう。
そう思った。

前 夫 は 浮気症だった。
とにかく女の人が好きだった。
妊娠中は さすがに 堪え たけれど、 子供が生まれてからは さっぱり気にならなくなった。
私は家族を養うため、ひたすら金を稼いだ。
まるで狩りに出る男のようであった。

次のパートナーの時は、 お互いに 好き勝手遊んでいた。
所謂 男女の 関係のようなものは、 お互いがそれぞれ他でしていた。
お互いの 恋愛の話を 仲良く話すような 関係だった。
それでバランスがとれていた。

私とパートナーにとって大切な、韓国人の親友が死んだ。

私の病状は悪化した。
パートナーの暴走が始まった。
DVに発展し、 さながら日々が地獄になった。
両親に追い出して貰った。

私は、 本当の恋愛というものを全く知らなかった。
恋に落ちればどうなるのかとか、 一途に愛するとか、 そういった意味が分からなかった。

私は縛られることが嫌いだった。
好き勝手やらなければ気が済まなかった。
一番大嫌いなのは、 精神的にでも 肉体的にでも、 支配下に置かれるということである。
自由を奪われること。
私はそれを最も嫌悪した。

私には、 以前のパートナーと付き合っていた頃から、 非常に意識していた男性がいた。
飲み屋で『 ボビー』 と呼ばれている男性だった。

その人に褒められると、 心の底から嬉しいのだ。
会話をすると、 心が華やぐのだ。
何より私は、 ボビーと 一緒だと、 自然と笑顔になるのだ。
当時、笑うということを忘れていた私がである。

人間不信に陥り、 誰も信用せず、 だけどもなぜだか、 ボビーにだけは、 正直なことを言えた。

前のパートナーは、 私が ボビーの話ばかりする たびに、 なぜだか 知らないが、「 ボビーさんとだけは 付き合わないでくれ! 寝ないでくれ!」 真剣になって そればかり繰り返していた。
私がどんな男 と付き合おうと、 こんなことはなかったのに。

「 一番大好きな作家は、 小林秀雄なんです」

ボビーにだけは 正直に初めてそう言った。

三島由紀夫の「 金閣寺」 について問われて、

「 あんなに 隙のない 完璧な 文章で 最初から最後まで 書いてあるものなんて、 逆に面白くもなんともない。 あれ読んだ時、 もうこの世に小説はいらないじゃないか と思いました。 田山花袋とか ロートレアモンとか、 グズグズグズグズと 悶絶しているような 小説の方が、 私は人間味があって好きです」

正直にそう話したんだった。

ボビーは そういう私を面白がってくれた。

そしてそういう話をしたのは、 高校卒業して以来、 ボビーが初めて だった。

自分の意見を、思うところを、 こんなにストレートに 正直に話したのは初めてだった。

前のパートナーと別れ しばらく遊んでいたが、 やがて私は 陽性症状がぶり返し、 アパートの中で ひたすら妄想に塗れていた。

母が様子を見に来て、すぐに私を実家に連れ帰った。

ボビーが心残りだった。
ボビーと喋りたかった。
ボビーとセックスしたかった。
会いたかった。

おそらくもう自分はダメだろう。
ここへ来てまた、 症状がぶり返した。
もう命を絶つしかない。
これ以上 親に迷惑をかけて生きるのは嫌だ。
死のう。

最後に会いたい。
最後に ボビーに会いたい。
自分の気持ちを伝えたい。
遅い初恋だった。
36歳である。
これが恋か。
思うだけで涙が出てくる。
会いたいと、 涙が出てくる。

想いを告げ、 断られたら、 黙って命を絶とう。

飲み屋のママに電話した。
二人で話したいと、 一緒に飲みたいと、 セッティングしてもらった。

1月5日。
上京して まっすぐ飲み屋に行った。
ほどなくしてボビーが来た。
また文学の話をした。
思い切った。
「 本題に入ります。 好きです。 交際してください」
言ったそばから涙が出てきた。
あとはずっと下を向いて泣いていた。
男の人に告白するなんて、 生まれて初めての経験だった。

どうしていいかわからなかった。

ボビーは仰天して、 ちょっと出てきますと言って 表に出た。
しばらくして 戻ってきた。
私は涙をこぼしながら、 ボビーは 緊張して ただ黙々と 酒を飲んだ。

浮かれて酔っ払ったママ と 3人で寿司屋に行った。
ボビーは日本酒だけ黙々と、 私はえび一つ食べるのがやっと、 ママは ウニを10貫食べた。

寿司屋を出て、三人でラブホテルのある路地 の一角を、 ひたすら黙々と 4周回った。
4回目に ラブホテルの前に立った時、 ボビーが思い切って 私の手を握った。
ホテルに入った。
なぜかママもついて来た。

部屋に入るとすぐ、ママはベッドを占領して眠ってしまった。
寒かった。
「とりあえず温まりましょう」
とボビーが言って、ベッドのママを見ながら一緒にお風呂に入った。
私はもうカチンコチンになりながら、
「 キスしてもよろしいでしょうか」
とぎこちなく尋ねた。
「 いたしましょう」
ボビーも緊張していた。
長い長いキスをした。
お風呂の中でした会話は、 戊辰戦争の 話題であった。

お風呂から出た。
ベッドでママがいびきをかいていた。
ボビーが 自分の コートを床に敷いた。
思いが一気に爆発して、 そこで致した。
そしてそのまま床で 二人で眠ってしまった。

起きたらママはいなくて、 私達はまた緊張しながら 今度は 宮古沖海戦の話をした。
お風呂の中での 戊辰戦争の話の 続きである。
なんだって今私たちはこんなに真剣に戊辰戦争の話をしているのか。お互いわからなかった。

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