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【移住日記】気づいたら長野県内で2拠点目を借りていた話

「向こう4年間は長男のために生きよう。」


そう決めたのは今年の5月。
GWのまるで親の苦行そのものだったミニバス練習試合を乗り越えたあとの話だ。

わたし達家族が横浜から長野にやってきた経緯などは下記よりどうぞ。




「向こう4年間は長男のために生きよう。」


なにも長男は大病を患っているわけでも、海外留学を控えているわけでもない。

でも、そう思わなければ、
ここ 乗鞍高原でもう生きていけない と真剣に思ったのだ。

長野県の乗鞍高原に先に移住した
わたしと小2の次男に続き、
今年の4月から、小6の長男が乗鞍高原へジョインし転校してきた。(長男と横浜で暮らしていた夫が名古屋へ転勤になったので)

次男と暮らす「乗鞍すもも荘」へやってきた長男
次男とコンロでマシュマロを焼く


4年生から続けているバスケットを、
長男はとても愛している。
生きる糧、生き甲斐そのもと言っても言い過ぎではない。

ところが、小中学校あわせて30人足らずの、この山の学校ではチームプレーができない。中学生の部活もバトミントン部と陸上部しかない。


そんな事実を知りながらも、長男はお父さんのいる都会の名古屋へ行くより、弟やわたしのいる大自然あふれる長野に来ることを選んだ。


6年生といえば、ミニバス最後の年。
全国大会の入り口「選手権大会」もあるとても大事な時期なのだ。

6年生がメインでチーム代表として戦っていく

長男は転校してきた、4月早々に松本市内のミニバスのクラブチームに入った。

土日の限定参加という約束で。

なぜなら、ここから練習送迎は車で片道50分前後、ほっそいトンネルをいくつもいくつも抜け、曲がりくねった山道をひたすら走る。
とてもじゃないが、平日の夜に練習へ行くのはなかなかの試練なのだ。

ところが、なのである…

これは横浜時代もそうだったが、土日は基本的に練習試合であちこちの体育館へ行く。
そして平日が、主に実践につなぐ練習日となる。


土日の試合終了後のコーチの話しで


「練習ではできているのに試合で出せていない」
「昨日の練習でもやったことを思い出して…」



などなど、平日の練習に参加していない長男にとってはわからないことが増えていった。
そして、試合についていけない場面も目に着くようになる。
わたしから見ても明らかにみんなから遅れをとっている。


ある日長男が言った

「お母さん、バスケ練習もっとしたい」 


その目は切実だった。

それを見て、わたしもちょっとだけ泣いた。

完全に『SLAM DUNK』名場面とリンクする…



そして土日の練習試合はというと…
長距離ドラバー送迎地獄の幕開けである。


横浜時代では、おなじ市内や町田市など、近場での練習試合ばかりで、引率の保護者と子ども達だけでバスや電車で移動することが多い。

ここ長野は違う。

松本市内だけだとクラブチームも少ないため、
四方八方と長野全域に練習試合へ行くのだ。
当然ながら車での送迎がマスト。

小布施、佐久穂、駒ヶ根…
GW中の練習試合スケジュールたるや、白目をむくばかり。さらに一日も休みがない。
どこぞのブラック企業に足を踏み入れたのかと思った。

ざっと片道2時間〜2時間半コース。
実に長野県の広さを求めてもいない意味で見せつけられる日々。
毎朝5時台に出発し、帰りは夕飯を食べて帰ると21時を過ぎる日もある。

せっかくのGWなのに…
酒を一滴も飲まない、いや飲めない。
酒のために生きてるわたしにとって、そんなGWを過ごした日がこれまでにあっただろうか。

酔ってもいないのに、毎日虚ろな目をしていた。

清々しさしかない大自然豊かな乗鞍高原に住んでいるのに、くる日もくる日も蒸し暑く埃っぽい体育館の中に一日中いるのだ。

あの… ここは本当に長野なんでしょうか??
えーっと… 世の中ってGWですよね??
5月の長野観光なんてさぞかし素敵なんでしょうねぇ…

わたしの頭の中「GWはこういうところに来ていたはずなんだ…」
@上高地旅行情報・観光ガイドより




もうわたしは完全に、精神と肉体の限界を突破し
我を忘れていた…

「一体、なんのために移住したんだ…」


キュキュッと鳴るバッシュの音と、
体育館に鳴り響くドリブル音を聞きながら、
なぜこれが、川のせせらぎじゃなく、鳥のさえずりじゃないんだと。

眠気と疲労とジレンマの無限ループに、
かつてないほどわたしは苛まれた。

横浜から長野に来てからというもの、
ストレスが格段になくなり、最高でしかないなと先月までほくそ笑んでいたではないか。

なのに、なのに、なぜ…
ぶつけようのない怒りがふつふつと湧くばかり。

ぐるぐると考えあぐねた末、
ふと、ひとつの考えにたどり着いた。


何のために移住したのか、

子どものため=自分のため


だったと。


わたしは登校渋りの次男のために、
去年の8月に長野へ2人でやって来た。

でも、横浜に残された長男には半年間とても寂しい想いをさせてしまった。彼は眠っている弟にチューするほど次男大好き兄ちゃんなのだ。
さらに、長野に来る以前の我家の引っ越しの多さもあり、結果的に転校の多い人生にさせてしまった。
人一倍、環境変化に弱いのに…
変わりゆく環境にいつも翻弄されるのは長男ばかりだ。

あの頃の長男を想うと、いまでも胸がキュッとなる。


ようやく家族3人一緒に暮らせるようになり、
残すところ長男の義務教育もあと4年だ。

残りの「4年間を長男のために生きよう」
わたしは腹をくくった。


そしたらスーッと目の前の道が開けた気がした。
やるべき事が見えた。

“市街地にもシェアハウスを借りよう”
金曜日〜日曜日の週末に、バスケの練習や試合送迎のために安曇野市にもシェアハウスを借りる。

“山の学校の体育館を個人で借りよう”
平日の週2回、山の学校の体育館を個人で借りて兄弟2人で自主練する。



長野で2拠点目となる安曇野市にもシェアハウスを借りてから、
山だけではなく町でのコミュニティもできた。
より充実した暮らしになったのは、長男だけでなく次男もわたしもである。

シェアハウスの農業を営む管理人さんからりんごや梨をもらったり、他の滞在者とごはんを食べながらその日の試合報告をゆるりとしたりする。

バスケのチームメイトとは、練習試合の送迎代行を買って出てくれたり、OFFの日にお泊まりさせてもらったり、プールに行ったり、焼肉食べ放題に行ったりと良い時間を過ごさせてもらっている。

チームメイト宅でみんなでお泊まり
元バスケ部夫妻も一緒になってお庭でバスケ

いつのまにか、わたしは長男が試合に出場しようがしまいが、チームの試合を何がなんでも応援しに行きたくなり、試合結果が気になってしょうがなくなった。

わたしはこのチームが大好きだ。

平日の山の体育館での自主練では、
はじめは兄弟2人だったのが、1人また2人と友達も参加してくれるように。

いまでは10人以上参加する日も少なくない。

小学1年生から中学生や高校生まできてくれた


こんな少人数の学校で、
フルメンバー10名でバスケの試合ができる日が来るなんて思わなかった。
ここでもまた胸が熱くなる。

みんなに「ありがとう」しかない。

高学年で転校してきて、右も左もわからず
友達が本当にできるのか、学校に馴染めるのかずっと不安でしょうがなかった長男。

でも、バスケだけはこの学校で1番うまい。

特技は自分を強くする。
自分の居場所を見つけて、自信もついて、
山の生活も心から楽しそうに過ごしている。

放課後のバスケ終わりのみんな


4月から半年が経ち、
格段にわたし達の暮らしは楽になり
更に豊かになったように思う。

そして、生き方にもコンセプトって大事なんだな
と感じた。

迷ったら立ち返る、
なんだかブランディングとも似ているなと。

遊牧民のようにあちこち動くわたし達だが
ダメだったら戻っても、やめてもいい、
まずはやれることを全てやろう。

未来なんてわからない。
時間も健康も有限だ。
ためらう時間ですらもったいない。

とにかくわたしは、子ども達と一緒に今日という日を
一番大事に生きていきたいと思う。

#想像していなかった未来


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