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言葉のチカラと、自己満足と、noteのすごさ。

言葉が人を感動させることも、背中を押して動かすことも
深く傷つけ性格や生活さえ変えてしまうことも、知っている。

言葉は愛おしい。そして、とても怖い。



高校生の頃。
いつも元気で、教え方がスピーディーで、でも押しが強く皆から怖がられている英語の先生がいた。
当時の僕といえば残念ながら勉強熱心では全くなく、いつも教室の後ろのほうの席でぼーっと授業を眺めているような生徒だった。

その先生に対して特別な思い入れも、好きも嫌いもなかった。

ある日の通勤途中、先生は電車で同じ車両にいた高校生二人組がこんな会話をしているのを聞いたそうだ。

「最近なんか毎日ひまだなー」
「ほんとだな~、あー、戦争でも起こらんかなー」

その日の授業、先生はその会話に非常に憤慨していた。なんて情けない!と悲しそうに、でも大きな声で、だいぶ感情的になっていた。

そしてこんなことを言った。

「みんなは高校生だから今はまだ将来のこと、はっきり分からないかもしれない。どんな仕事に就くのか決めてない人も多いだろうし、これから大学にいって何か見つかる人もいると思う。それで、もし、もしな、将来やりたいことがなかったら、どういう仕事をしたいか分からなかったら・・・
どんな形であってもいい。いや、ほんの少しだけでもいいんだ。
世界平和に貢献するような、世界平和につながるような仕事をしてほしい。そういう人になってほしい。それが先生の願いだ。」


衝撃だった。

17歳の僕にあまりに突然訪れた衝撃。はっと目が覚めたような感覚だった。
そうなった理由は考えられなかった。ただ、確かに感情が揺らされた。
そして、使命感という感情を生まれて初めて知った瞬間だった。


世界平和に貢献する。世界平和につながることをする。


この言葉が僕に深く深く刺さってしまった。


僕は物心ついたころから音楽が大好きで、将来は自分で音楽をつくりバンドで生きていきたいと思っていた。中学生からピアノやギターで曲を書き始めていた。
先生の言葉を聴いたその日から、僕の書く歌詞は全て世界平和を願うものになった。インディーズでも、明るく楽しく前向きでキャッチーな歌詞がトレンド(だったように思う)の当時、その内容は明らかに浮いていた。

世界平和を願い、世界平和を想うことは自分が書きたいと思えるテーマだった。とてもとても青くて恥ずかしくなるような内容だったと思うが僕はそれを書きたかったし他のテーマでは全然書けなかった。
あらためて歴史を学び、過去に起きた事実を知り、様々な地域でうまれた凄惨な出来事に心を痛め、人間の恐ろしさを目の当たりにして、ただひたすらに書き続けていた。

トレンドからは確かに浮いていたが、聴いてくれる人が増えていった。
バンド仲間からは独特な存在として気に入ってもらった。
同世代から共感の言葉をもらうこともあった。


先生。これも世界平和への貢献になっているんだろうか。
おれはこんなことしか出来ないんだけど、それでもいいのかな。
時々そんなことを考えながら僕は音楽に浸かった。



言葉が僕の感情を揺さぶり、その後の行動を変えさせた。
何かに突き動かされるように、ひとつの拠り所のように、
その言葉はとてつもなく強いチカラで僕を動かしたのだ。

あの授業のことを、覚えている同級生がいるかどうかは分からない。
当時、なにか感じた友人がいたかどうかも知らない。

ただ、僕にとっては20年経った今でも鮮明に思い出せる記憶で、あの言葉がずっと心にある。なにかのタイミングでいつも思い出す。

音楽は、自分の中ではもうこれ以上できないと認められるまでやって離れた。メンバー同士衝突したり他のバンドを妬んだり、黒い感情もたくさんあったけど、とことん楽しんだからなのか今は良い思い出でしかない。


そして僕はまた、あの日の言葉を思い返している。

“どんな形であってもいい。いや、ほんの少しだけでもいいんだ。
世界平和に貢献するような、世界平和につながるような仕事をしてほしい。そういう人になってほしい。”


先生。いま僕がやっている仕事や日々の積み重ねは何かに貢献できているんだろうか。

誰かの気持ちに寄り添って、背中を押して、少しずつ少しずつ優しさがつながって、それが回りまわって世界平和に貢献していると。

こじつけにしか聞こえないけど、そんなふうに考えちゃってもいいですか。
おれはそう信じたいから、そう考えるようにします。

自己満足でいいと思う。そう思う人が増えればいい。
批判したり踏み入ったりしなくていい。誰かの自己満足を受けて、良いと思った人がまた自己満足でつないでいけばいい。優しさはきっと伝播する。



その先生はおろか、誰にも話したとこのないこんなエピソードや気持ち。
なぜかnoteには綴りたくなってしまう。

ここに集まるひとりひとりの、言葉のチカラがあふれているからだろうか。

誰かに読んでもらいたい、伝えたいという気持ちも確かにある。
でも、いつしかそれは自分に向けられている感覚になる。
自身の中にある想いや感情の整理のため、ここに言葉を置かせてもらいにきているような気もする。


この場所が好きだな、と思う。


最後まで読んでくれて、ありがとうございます。


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