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知覧という記憶

元気になれば一度は行ってみたい場所である。

『永遠の0』で知ったのだろうか?

あまり、覚えていないが、どうしても行きたい場所である。

日本人なら一度は行ってみるべき場所だと、誰かが言っていた。

僕の主治医の先生も行ったことがあるみたいである。

なぜ、行きたい場所なのか記憶を掘り下げてみよう。

特攻基地『知覧』

日本最南端の特攻基地であった場所である。

沢山の若者が飛び立った場所であろう。

日本という国を守るために・・・・・。

少し、遺書を記載させて頂く。

追悼の思いをこめて。

晴れている。

わずかに雲はあるものの、五月晴れとはこういうことをを言うのだろう。

うん。エンジンも快調。

絶好の飛行日和だ。

となりにみえる仲間の顔も晴れ渡っている。

この数日間の葛藤が今は嘘のようだ。

鹿児島の最南端にある、開聞岳、別名薩摩富士を左手に見ながら、

僕たちの飛行機は空を飛ぶ。

大好きな日本。

この景色も見納めだ。

                    

             ☆

最愛なる妻へ

長い間、俺みたいな人間によく尽くしてくれた。

俺は幸福だった。

生涯こんな幸福なことはなかった。

俺には君はできすぎた妻だった。

もったいないくらいの妻だった。

最後にあたり、心から感謝する。

あとは俺の言うことをよくまもり、息子を立派な子に育ててくれ。

息子は頼んだぞ。

息子は頼んだぞ。

俺が死んでも君の胸には俺の魂が永遠にある。

必ず苦しい時は手助けする。

だから安心してくれ。

ではさようなら。

永久にさようなら。

さようなら。

                

    永松茂久著 『人生に迷ったら知覧に行け』より抜粋

トメさんの言葉

富屋食堂のおばさんである。

特攻隊の母と慕われていた方である。

メモ書き

「よきことのみを念ぜよ 必ずよきできる。生命より大切なものがある。それは徳を貫くことである」

最後に

こういう時代も事実あったのだ。

戦争に行った、おじいちゃんの命日が近くなると思いだす・・・。

先人たちは、今の日本をどう思っているのだろう。


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