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ベースボールクラブの思い出 その参

青空まで届きそうだったボール

色々忘れないベースボールの記憶がある。

印象に残っている。

近畿大会の出場をかけた試合だった。

京都府はベスト4に入ればリーグ戦になっていた時代である。

僕たちもベスト4に入っていたので試合待ちの間に、その試合をみていた。

有名な会社の企業チーム同士の戦いである。

プロにはプロの生き方があり、アマチュアにはアマチュアの生き方がある。

普通に働いてる人もスポーツをしている人もいるだろう。

仕事のスポーツの両立は難しいものがある。

楽しんでいる人もいれば、真剣に取り組んでいる人もいる。

本気の人もいる。

本気で生きている人はみんな偉いと思う。

観ていた企業チーム同士の試合も後半にさしかかる。

大会にも、よるのだが『時間制限』というものが軟式野球に適用される場合が多い。だいたい1時間30分だろう。

時間との闘いも要求される。

試合が5イニングスすめに突入した。

同点のまま試合が進んでいたのだが、片方のチームが1点入れた。

6イニングス目に突入する。

試合が時間切れという『ルール』で終わりを審判が告げようとした時である。

負けているチームのキャプテンが「ちょっと待て」と怒りだした。

真剣に・・・・。

「審判と野球をやっとらへんのじゃあっ!」大声である。

怒りのあまりボールが地面に叩きつけられた。

僕はそれを見ていた。

見苦しいとは思えなかった。

叩き付けられたボールの先には青空があった。

眺めていたのだが滞空時間が長かった。

20年経過しても残像で記憶にのこっているほど・・・・。

負けているチームのキャプテンが審判に歩み寄る。

それをチームメイトが「落ち着け」といいながら羽交い絞めで止めにはいる。

負けているチームのキャプテンの瞳からは涙が流れていた。

悔しかったのだろう。

本気でやっていれば悔しいのは当たり前である。

気持ちが共感ができるものもある。

そうして、試合がおわった。

普通に整列の挨拶をして。

それから1年ー

負けたチームのキャプテンは監督になっていた。

対戦した事もあったので投手がメインポジションの人だった。

若かった。

20代であろう。

チームのメンバーは大半が変わっていた。

2年後ー

そのチームと対戦した。

チームのスタイルも変わっていた。

怒り狂っていたキャプテン時代の面影もない。

落ち着いて指揮をとる人になっていた。

3年後ー

そのチームは全国大会に出場するレベルになっていた。

希望がかなったのであろう。

最後に

その企業チームが今活動しているのかは知らない。

全国大会に行く代わりに得たものや失ったものもあるのだろう。

軟式野球は『草野球』とも言う人もいるが、その中にもドラマがある。






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