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今の苦しみは何番目?

もうすぐ、終戦記念日8月15日である。

この日が近づいてくるといろいろな事を思い出す。


おじいちゃんが戦争から帰ってきて植物人間状態になった事。

修学旅行で広島に行ったこと。

野球の大会でも黙祷を捧げたこと。

いろいろと思い出すものである。

良い言葉を記憶の中から抽出してみよう。

人生で本当に苦しい事は3回しかないという記憶

誰から聞いたのだろう?

本で読んだのか忘れてしまったが30代で出会った記憶である。

1番目の苦しみは、産まれて来た時。

母親の体内に約10ヶ月いてそこから細い産道を潜り抜けてきて産まれてくる。

自分では覚えていないのが、産まれれてくるということは苦しい事らしいというか、実際に生きていれば苦しいものである。

2番目の苦しみは自分が死ぬ時。

友達や身内が死ぬのも辛いものである。

自分自身の肉体がなくなるのは、苦しいことである。

自分自身の存在がなくなり自然に戻るのであろう。

大往生したいものである。

実際に死んだことがないのでなんとも言えないが、身内や親愛な人達は

悲しむであろう。

また、そういう生き方をしたい。

家族とかに惜しまれながら死にたいものである。

3番目の苦しみは?

1番目と2番目の苦しみは確かに辛いものだと勝手に解釈している。

始まりと終わりである。

笑って生まれてくる赤子をみたこがない。

安らかに死にたいものである。

3番目の苦しみはそれ以外で1番苦しいことだろう。

たまに、自分自身に問いかけるのだが戦争で亡くなられた人達に比べたら対した苦しみではないと認識している。

特攻で亡くなられた人達。

また、戦争で家族を失われた人達。

その人達の苦しみに比べれば、『うつ病』である今の僕の苦しみは3番目か、10番目か、100番目かは知らない。

第一生きているし、家族がいる。

3番目以外の苦しみで、「苦しい」とか「大変だ」とか言っている歳でもない。

いい歳である。

最後に

今が一番苦しいとは、思っていない。

記事を書くのと読むのが好きである。

例え、うつ病であるとしてもである。

10年分のカルテのエビデンス付きの人間である。

本当に苦しい時がやってくる時まで『天運』をとっておくとしよう。





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